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夫婦の日常と こころの中のこと
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(後付)
妻の誕生日である。36歳になる。
金木犀の香りを含んだそよ風の心地よい、この季節。この季節ならこそ、妻の鷹揚な気性を育んだか、と思う。
本日も穏やかにして、爽やかな晴天であった。


俺の「豪華・すき焼き計画」ではこっそりと高級銘柄和牛を購入して、妻を驚かせるはずであった。
「ちょっと、買い物をしてきます」と出かけようとしたら、妻が同行したいと言ってきた。俺は拒否した。誕生日のご馳走の買い物だから、とを理由にした。
妻は「ご馳走ってすき焼きやろ?わかってるのに。一緒に行ってもいいやろが」と言った。
退屈していたのだろう。今日は夕食に頭を悩ませることはないのだから。
強硬に拒否すると、雲行きが怪しくなりそうであったので、一緒に買い物に行くことにした。
スーパーマーケットで野菜だけ買って、肉は後で俺が一人で買いに行けばいいと考えた。
荷物を置きにいったん帰って、「肉は肉屋で買ったほうが都合がいいでしょう。俺ちょっと行ってくるから」とでも言って、とっとと出かけてしまえばいいと思った。


スーパーマーケットにて。野菜ばかりカートに入れて肉売り場を素通りしようとする俺に、妻が声をかけた。
「すき焼きやろ?肉買わないが?」
待ってました!だ。用意していた言い訳の前半分を述べる俺。

「肉屋でなくてもいいやろ?」と反論する妻。
「肉屋の方がいい肉売ってるんじゃないかな」
「ここでも充分いい肉あるってー。そんなに味わからんのやでーいいってー」
というような会話がなされた。

押し切られそうな気がした俺は、せめて○○牛と金色のシールのついた牛肉を買おうとした。妻はそんな高い肉を買うな、と言う。国産のノンブランド牛のものでいい、とか言う。
ノンブランドでは誕生日祝いの有難みがないではないか、と俺は反論した。
○○牛の下のグレードと思しき△△牛とシールのついた牛肉はどうか、と俺は妻に尋ねた。
妻は、輸入牛肉と国産牛肉の味の差が辛うじてわかる程度の二人だから銘柄無しの商品でよいのだ、と譲らなかった。

妻の、我々の味覚についての正しくもシビアな評価に、俺は感心してしまった。それもそうだ、と思い始めるのが情けないのだが・・・。
やっぱり妻に押し切られるパターンなんだよな。最近こういうのばっかり。(亭主)関白失墜である。

しかし俺としても、妖しい銘柄だとはいえ、△△牛の線は譲れない。ぎりぎりの妥協ラインだ。
肉売り場の前で小声の議論を交わし、結局△△牛を買った。
当初の計画にあった花の贈り物も断念。ケーキもいらんということであった。

誕生日でしょうが!と叫びたいところであるが、妻はすき焼きだというのでほくほく顔である。
準備の手間いらずで、お得な肉でたらふくすき焼きが楽しめるだけで、満足を感じたのだろうか。そう思うと、怒る気にもならん。

すき焼きといっても、準備らしい準備もない。材料を調えたらおしまいである。料理とは言えない。
時間もあることだし、家にあった粉寒天を使って遊んでみた(?)。牛乳かん作成。寒天の袋に作り方が書いてあり簡単そうだったので。
娘と、缶詰のみかんを並べ入れて、アレンジしてみた。寒天培養地を作っているみたいな気分になったが、娘とやっていると楽しい。

すき焼きは美味かった。
「(娘)ちゃんと俺からの心づくしです」ともったいぶって牛乳かんを出した。喜んでくれた。


普通の日曜日であった日が妻の存在によって特別な日曜日になったのだ、と。妻ならばこそ、これからもさまざま迷惑をかけるがよろしく頼む、と。そのようなことを告げた。
愛のささやきには程遠いかもしらん。今はそう言うのが精一杯である。「愛のささやき」という課題には、十年計画で取り組む所存である。

書き記してみても、中途半端な計画遂行率であったと思う。そうそう計画通りにいかないものだ。殊、人のこころに関わることなどは難しい。愛情に限れば尚更のこと。
俺はうまく気持ちの全てを伝えられなかったけれど、少しずつできるようになりたいと思う。
他人から変わっているとか、もっと行間を読めと言われているのも、重々念頭に置いて過ごしたい。


ま、俺としては・・・晩げに燃えたのが一番感動的だったのだけれど。
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秋晴れ。天気の安定している時期である。


驚いたこと。
黒川紀章氏、死去。心不全って・・・(笑)。
都知事選以降、エキセントリックなキャラクターを前面に出し、楽しい笑える人であった。
ご冥福を祈りたい。

アル・ゴア氏、ノーベル平和賞授与。
副大統領時代はクリントン氏の影に隠れていた印象であったが、活動には敬意をしめしたい。
これを機に、アメリカ政府の環境問題に対する姿勢が、大転換されることになるかもしれない。
「京都議定書にも批准しておらんくせによー」とはもう言えなくなるのはシャクだが、地球のためには望ましいことであろう。

赤福の賞味期限改竄。
あんな老舗でもやっておるのか、と残念であった。俺は甘いものは食べつけないが、結構旨いと思っていたのに。
他のあんころ餅と一味違うのは、解凍餅の味加減であったか・・・とは思いたくない。早く立ち直って欲しい。


明日の妻の誕生日、俺の手料理は「豪華・すき焼き」である。
すき焼きにマツタケを入れるか入れないかにはまだ納得がいかない。しかし、「マツタケは土瓶蒸し」が俺のデフォルトであるから、入れないこととする。
妻の想像を超えた高級銘柄和牛の、ロース肉を手に入れてくる予定である。
下仁田ねぎが手に入ればもっといいのだが、ここらで売っているいるのを見たことがない。時期も外れているだろう。普通の白ねぎにしておこう。

燃えてきた♪
頑張って妻を喜ばせたいと思う。妻が喜んでくれれば俺も嬉しいし。
おお、これこそ赤心慶福である。

手料理だけでは寂しいような気がしてきた。
馬鹿の一つ覚えと言われようが、誕生日には花だ。あのときの経験が、俺の中に確かに刻み込まれたのだ。
「主婦になっちゃうと花なんか貰う機会ないから、嬉しいはず」なのだ。
花屋は恥ずかしいが、以前ほどでもなくなった。花束も付けようと決める。
花は情熱の赤い薔薇だに決まっておる。
晴れ。優しい空色にいわし雲がきれいだった。
久しぶりのオフ日、晴れた秋空で気分もよろしい。

妻の誕生日近くにと思って、夏に取ったオフであったが、今年の妻の誕生日が日曜日であることをチェックして取らなかった。だから、何だか中途半端な休日になった。


朝はほんの少し遅めの起床。いつもながら夜はたびたび目が覚めるが、休みの気安さがあって明け方に掛けてぐっすり眠れたようだった。目覚めの気分も悪くなかったと思う。
妻は最近味噌汁のだしを煮干に変えた。懐かしい味だと感じるのは、母親の味噌汁も煮干だったからか・・・おそらくそうだったのだろう。記憶にないのだが、舌が覚えている感覚。
妻は「短気な人はカルシウムが足らんの」などと、煮干使用の理由を説明したが、俺の短気なのは生来のものだ。あまり効果は期待できないと思われる。
朝食後ネット遊び。朝っぱらから遊べる元気が嬉しい。興味の喪失は気配もないぞ、と確認。

午後、妻は娘を連れて幼稚園の見学に出た。俺は約束していた友達と遊んだ。
話も弾んで楽しかった。妻の誕生日に作る料理の相談にも乗ってもらい、微妙に(笑)参考となった。
しかし・・・すき焼きにはマツタケは入れないのか。豪華なすき焼きには入れるものだと思っていた。

それから、妻の帰りを待ちながら「僕はパパを殺すことに決めた」を読む。
内容のほとんどが関係者の供述資料の引用であった。それを並べるなら中立な立場で並べるべきだと思う。しかし、並べ方にどことなく著者の故意を感じる。
半ばまでしか読んでいないゆえ、読了するまでめったなことは言えないのだが。


妻子帰宅に、見学の様子を尋ねた。
月二回ほどの親子クラブに参加している幼稚園である。娘もかなり慣れている。俺たちの中では来春入園決定なのだ。
今日は教室の並ぶ棟を見せてもらったそうだ。小さな椅子と低いテーブルのある教室で、園児が整然と帰りの会をしているのが、妻には印象的だったようだ。
結構厳しい指導をしているのではないか、娘は平気だろうか、などと少し不安になったらしい。

整然とといっても幼稚園児の整然だ。彼らも新入園のときからそうだったわけではないだろう。娘はどうしようもなく落ち着きのないタイプではないし、平気だろうと思われる。
幼児に言うことを聞かせるには厳しいだけでは無理だと思う。すると、想像するに過ぎないが、子供と幼稚園教諭の対話がうまくなされているゆえの整然さではないか。
今のところ以上のように思う。
俺も実際に幼稚園教諭と話すときに、その辺を検分したいと思う。

よいオフ日であった。仕事に関することは何一つしておらん。それこそ雑誌ひとつ見ておらん。
大嫌いな仕事を忘れる・・・のは無理だが、脳裏の隅に押しやることができた。オン・オフの区別までできたわけだ。
リフレッシュした。
明日からの奴隷勤務にも耐えられるだろう。
素晴らしい秋晴れである。清々しい。体調も落ち着いて、気力の萎えることは無い。無理せず頑張りすぎずいきたいと思う。

書類仕事がかなり多く、難儀した。何でこんなもん俺が書かねばならん?というような書類もあり、渋滞することしきりである。
昼飯の時間を削るつもりで仕事を急いだ。いざ飯・・・と思えば今度は、急な仕事が割り込んできた。
ちくしょうめ!
飯などと贅沢は言わん、エサでいいから与えてくれ!
と、心の中で叫ぶ。
昼飯4時半。これは昼飯とは言えん。早めの夕食だ。もそもそした握り飯と烏龍茶で食った。体を壊しそうである。
ま、明日休みを取っていると思えば。それこそ贅沢な予定であるからして。文句は言わないのが筋だろう。


夜更けに帰り、疲れた疲れたと言いながら妻と会話。明日の予定について。
娘の入園に備えて幼稚園の見学に行きたいと言った。同行希望かと尋ねたら、公式な説明日があるそうで、俺はそのときでいいと言われた。
物足りん気もするが、久々のオフを休養に努めるのもいいだろう。もしかしたら、妻の心遣いかも知れん。
娘の寝顔だけ見て、美味しそうな頬っぺたを噛み噛みしておいた。ほんに噛み心地のいい頬っぺたである。寝ているときにやると、娘の容赦ないエルボーが入るのだが。幼児のこと大したことはない。

新月で真っ暗なこと。妖しい気分にもなる。
闇夜こそありとあらゆる秘密を孕むもの。陰謀・密通、歴史は夜作られるそうだし。
久々に濃ゆいセックスをしやがりましょうか、と素晴らしいアイディアが浮かんだが、妻は同意してくれなかった。
眠いそうだ。月並みな理由だ。
抱き合って震えてれば目も覚めるよ、と説得してみたがだめだった。
「濃ゆい」って言葉があかんかったのだな、と俺は失敗の理由を分析してみた。しかし「薄い」のでは寂しいではないか・・・。
テストステロンの血中濃度高めか。こいつが男を馬鹿者にするんだよな。
家族のことを想うなら、自分の健康には配慮したいものだ。
健康など、普段意識することも無く過ごしているものは、往々にしてその有難みを失念しがちである。
いったん病を得れば、自分も苦痛を味わうだけでなく、家族も苦悩することになる。それすらも忘れてしまう日常である。
勝手な理屈で自分を甘やかしているのは嫌いである。「できない」の多くは「しない」ということ。

また、自らのエゴのため家族を動かすのはどうかと思う。特に子供などは要注意。
親であれば、子供の望みはすべからく叶えててやりたいと願う。しかし、それが為にならないならば、諌め止めるのが親の役目だろう。
あの時俺を諌めた母の気持ちは、親になった今やっと解る。その意味をこころに刻みたいと思う。

他人のものを盗むのは悪いこと。幼稚園児でも知っている。
他人の持ち物が羨ましくてどうしようもないこともある。しかし、盗まないでいるだけの自制心を持つのが大人というもの。
他人を悲しませて得る喜びなど、空虚なもの。
他人の不幸の上に、自分の幸福は築けない。
目も耳も塞いで悦楽に酔うなど、恥知らずなことである。

俺は今までに二度本気で自死を想ったことが在る。願うのは何度もあった。
遂行しなかったのは、実にくだらない理由だ。
俺は妻より少しでも長く生きていなくてはならないからである。
なぜなら、妻はあの通りのぼやけた女であるから、俺の葬儀一式を執り行うことなどできないと思うから。
それは半ば冗談、半ば本気の理由であるが。
なによりは、妻は寂しがりであるから、俺のいない彼女の日常は哀しく切ないものになるだろうから。

妻の人生をより豊潤なものにすると心に誓って、二度目の結婚生活を始めたのである。
俺は「豊潤≒苦労の無い生活」だと、短絡的におもっていたが、そうではないかもしれんと思い始めた。
苦労も二人でいればこそ。悩むのもお互いが大切な存在であればこそ。
幸せや喜びと同じく、これらも二人の人生の彩を深めるものだろう。多くの感情を共にしていることが「豊潤」なのではないか、と思う。


秋の夜長に思索する。正解が何なのか解るはずも無い。考え続けること自体が正解かもしれん。
何にしろ、自らの心に恥じることのないように生きたい。
晴れ。ただし雲が多い。風もある。天気は下り坂だそうだ。

今日は村落の秋祭りである。
旧来の村の人と、新しく入ってきた俺たちのようなもの、多くは若い夫婦と子供の世帯であるが、入り混じって祭りに参加する。
午後には妻と娘を連れて神輿の練りに参加した。娘が歩き通すか心配であったが、無用であった。


マンション住まいの連中はほとんど参加しないのだが、俺は家を建てていることもあって、村の人々とは今後の付き合いの面から言っても、濃密な交流をしておきたい。それゆえ、村の壮年会の人たちと境内で、屋台の手伝いもした。
綿菓子、焼きそば、焼き鳥、焼きいか、フランクフルトの屋台を出している。俺は焼き鳥の係だ。本当はフランクフルトの係が良かったのだが。
ホットプレートで温めるだけのフランクフルトは楽ゆえに、壮年会の偉い人に任されているのだった。どこでも新入りは過酷な現場に配置されるものなのだ。同じ煙種目でも、生臭い焼きいかでなくて良かったと思おう。

それほど大きな村落ではない。なのに、大量の焼き鳥が用意されていて、俺はこんなにさばけるのだろうかと本気で案じた。
焼き鳥係の相棒はどんどん焼くように指示をする。知らんよーと思いながらも、先輩の言うことには逆らわない体育会系の体質である。俺は網の上にびっしりと串を並べた。
煙がしみ、炭火にあぶられて熱く、大変な現場であった。おまけに旨そうな匂いまでするのだ。拷問に等しい。
妻と娘も様子を見に来て、俺がちゃんと仕事をしているのに安心したとか言う。要するに村の人たちの間に馴染んでいるか心配していた、ということだろう。
妻に焼き鳥を二十本渡してやった。
「先生が焼いたんやー」と妻は楽しそうに言い、娘と二人「おいし、おいし」とぱくついておった。
陽の沈んだ後のこと、風は冷たく、妻は早々に娘と帰っていった。

半ばほど焼いて、客も一段落し始めたころ、壮年会の肝いりで、ビールと酎ハイが供給された。
屋台奥のバケツの中に沢山冷やしてあるから好きなだけ飲めばいい、と先輩相棒が言う。
何と、極楽祭りなのでしょう♪
俺は心底嬉しかった。薬と酒は相性が悪いのだが、今日は祭りゆえ野暮はなしだ。
でも、控えめにビールにしておいた。咽喉が渇いていたから、三口ぐらいにしかならん。

その後もビールを飲みながら焼き鳥を焼いた。舞台での子供たちの踊りや太鼓が始まったあたりから、客も来なくなった。男どもと屋台の奥に集まって、ひたすら飲みながら談笑する。
もう客も来ないと見て、焼き鳥や焼きそばの具の余りやらを焼いて、つまみにした。ますます酒の進むこと。
村の連中はみな、楽しい酒飲みである。俺はなんていいところに越してきたのだろう、と感動した。


祭りのひけた後の反省会でもまた飲んで。帰ったら妻に叱られるんだろうな、と少し思いながら帰宅。
やはり妻に文句を言われたけれど。
「どんだけ飲んだんやってー」と言われても・・・。飲んだのはビールばかりだ。ビールなど酒のうちに入らん。
「ちょっとです、ちょっと。ね」となだめておいた。
「煙臭いしお酒臭いー」と妻はブチブチ言っておったが、
「心配してくれてありがとう」などと嘯くおれであった。
呆れたのか、しつこく叱られなくて良かった。
晴れ。空の高い、空気の乾燥した秋空の広がる。干し物が良く乾くような天気。布団を干した。

朝はあまり頭脳の働きが芳しくない。一週間多忙であったから、疲れたのだろう。気分は悪くは無い。
午前中は娘と遊んだり、自室でネットサーフィンをしてみたりした。
何も考えない時間が俺を癒すのだと思い、意識して時間をつぶした。意識している時点で、考えない時間ではないのだが。それを言えば、人間がモノを考えずにいる時間など、在るのだろうか?
友達の日記にちょっと感動してみたり。
おお、やはり感情の動かない瞬間などないのだ、と知ることになった。
そう、健康な精神はダイナミックな感情で構成されているのだ。感情の無くなることほど、戸惑うことは無い。

午後より通院。
俺は調子が良くなるとすぐ、大活躍をしてしまうので、気をつけねばならん。そのような話を交わした。
だって・・・仕事しか自己を表現する場がねーですから。
処方は前回と同じ。
職場の様子を見に寄って、帰宅。


妻は、夏物と冬物の入れ替え作業をした。サイズの合わなくなって俺の服がまた、大量に出た。廊下にごみ袋が沢山並んでいた。
昔は相当に巨大な体であったことよ。感慨深い。
今回の整理でも、妻はやはり娘の赤ん坊の折の服を捨てられないでいた。
服を見ていると、一枚一枚にその時々の思い出を感じるそうだ。それは母親だけの感覚かもしれない。妻に告げられて俺は初めて、その気持ちを頭で理解するまでだ。
今日は肌寒かった。小雨もよう。


十月であるな。妻の誕生日が近い。何かしでかさねばならん・・・、と思う今日この頃である。
去年は手紙を書いた。それはそれで良かったと思いたい。
しかし、手紙というのは諸刃の剣だ。いつか激しい喧嘩をしたとき、妻に手紙を持ち出されたら困る。目の前で読まれて「こんなこと言ってやがったのによー」と言われたら、更に困る。

女ってのはそういうこと、しそうだしなー。

渡してしまった去年の手紙はしゃあないにしても。これ以上妻の証拠物件(?)&凶器(??)となりうるモノを明け渡してはいかん。
今年は普通なモノにしておこう、と思う。

普通って何だ?

国語辞典を引くと、
ふつう【普通】いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。他と特に異なる性質を持ってはいないさま。
と記載されておった。
そうであったか、と感心した。「普通」の言葉を「普通」に説明するのは難しいのであるなあ。

この語義を踏まえると、特別な相手である妻の誕生日を祝うために贈るものとして、「普通なモノ」はふさわしくないように思える。
かといって、レアもの・一点もの・高価なものは、選んだ意味がそのものになってしまう。「普通なモノ」を選ぶ理由が「普通」を普通でなくす、ということか。
すると、それを選ぶに至った物語のないものこそがふさわしくないのだ、とわかる。
で、どうしようかいな・・・。


奈良の、少年による自宅放火殺人事件についての本の、引用している内容が法に抵触する疑いがあるとかで、著者や出版社が調べを受けているそうだ。書名は「僕はパパを殺すことに決めた」である。
俺はこの本を持っている。
だが、読了していない。加害少年の犯行に至るまでの供述の部分を読んだだけで、本を閉じてしまった。
少年の、幼い言葉で綴られた心の動きが異様に平坦で、それゆえあまりに切なく、読み続けるのがイヤになったのだった。

話題になったからとは根性が卑しいが、内容が俄然気になりだした。
週末にでも読むかと、未読の箱の底から探し出しておいた。
曇りのち晴れ。風強し。しかも冷やっこい北風。


朝方、出勤。店番せねばならんゆえ。そろそろクールビズも終了したい気候か、と思う。
今日は比較的暇で、客の入りに間があった。
店番にくりんちゃんの付いてくるのも慣れた。
彼女も慣れただろう。俺のやり方に。詳しくは、先輩と俺の違いだが。
職務的な質問があれば答えたり議論したりするのだが、彼女の個人的な感想風なものは尋ねたことがない。俺が私的な評価を下されるのを懼れていた所為である。

それも全く可笑しなことなのだ。
年齢も経験も遥かに差のあるくりんちゃんの評価を懼れているなど。
ときに若いのは驚くほど的を得た指摘をするものだ。が、それを怖いと感じるのと、取り入れていこうと思うのとでは、後者の方を選ぶのが普通の思考だろう。
また、職場で見せている俺の顔を評価されたとしても、それは俺全体を評価されつくしたことではない。
頭でわかっていても気持ちが納得していない、とでもいうような状態がいままで続いていた。しかし、すとんと気持ちの部分に収まってしまえば、何をくよくよとと自分でも可笑しくなる。

何なりと言ってみたまえ♪という気分になった。
「ただし、おべんちゃらは嫌いです」と付け加えるのを忘れない。くりんちゃんには、好意的に人を評価するといえば聞こえがいいが、下手なおだて方をするという、俺の嫌いな性癖があるからだ。

店番の合間に茶を飲みながら、小刻みにくりんちゃんの話を聞いた。
事前に釘を刺してから聞けば、ちゃんとした答えを言うのだった。それも結構辛辣である。ようもようも、見ておるな、と苦笑の出ることだった。

俺は外見がいかつくて一見怖い感じがする。書類の記載も、筆圧高く書字速度はやく、ガシガシと紙に挑むように書く。「熊」というあだ名どおりだ。などと言う。
よしよし正直に述べておる、と俺は嬉しくなった。
初対面では不機嫌そうに睨んでいて怖かった、今は別な意味で怖い、そうだ。

ちょwおまwww、である。

あの時は指導を引き受けるのにいささか不安があったから、値踏みしておったのだ。面倒くさいな、とも思っていたし。
随分正直な表情を出していたものだ、と苦笑しきり。
その他いろいろ述べておったが、それだけ聞ければ十分。楽しかった。


昼過ぎに帰宅。
妻に買い物を頼まれて、スーパーマーケットに出かけた。牛乳を買おうとして、近くのドラッグストアの方が安いことに気づいた。牛乳だけではない、他にもいろいろとそのような商品がある。俺の記憶ではそうだった。
牛乳と食パンと、パン粉、天ぷら油処理剤、麦茶パック、燃やせるごみ袋はドラッグストアで買うことにした。
俺の狙い通り、ドラッグストアの方が格安であった。お得な買い物が出来て、俺は満足であった。妻も喜んでくれたし、俺はさらに満足を感じた。

夕方にかけてしばらくPCに向かう。密林に注文を掛けておいた。
また、mixiにて強制バトンに答える。ニアミス状態で楽しかった。
曇り。昼ごろに大粒の雨がバタバタと降った。

昨夜は深く眠れたように感じた。調子が良くなってきたのだと思う。
仕事が忙しかった。辛かったが、精神が音を上げることは無かった。


携帯に変な電話がかかってくるようになった。
懐かしのワンギリかと思ったが、固定電話の番号もある。携帯からの着信も長い秒数を示している。
しかも、小刻みに時間を置いてかけなおしている。九月の二十日過ぎから何度も何度もかけている。
誰かが出ることを期待しているかけ方だと思った。
「おそらく番号を間違えているのでしょう」と、ついで話に妻に話した。

すると、妻は俺が風呂に入っている間に、かの番号にかけた。
なんてことをするのだろう、と思った。
妻は、電話のひとが気の毒だと思ったから、と答えた。何か重要な用件を伝えられずに困っているのではないか、と考えたようだった。
この物騒な世の中にその親切心があだになることだって多いのだ、と諭しながらも、俺は妻の気持ちが嬉しかった。いつまでも優しくおおらかな女でいて欲しい、と思う。

結局、電話の相手は何だかわからずじまい。相手は無言であったから。
なんとも奇妙である。
だが、こんなものかもしれない、とも思う。この電話がなくなればそれでいい。
晴れ。高い空だった。稲刈りあとの青い香りが立ち込める。黄金色の秋といったところか。
今日の気分はまま良し。ようやく薬効が出始めたか。

これといって問題のない一日であった。問題がないとないで、物足りないのだが。


夕食はポークシチュー。俺は豚肉は食傷気味なのだが、ブラウンソースのシチューは好きだ。ソースのおかげで美味しくいただけた。大振りに切られた豚肉もほろほろと崩れるようでいて、パサついてもおらず上手く煮込めていた。
妻に長い間煮込んだだろうことを尋ねると、ルーに付いていたブーケガルニ粉末のおかげだと即答した。手の内をすっかり明かしてしまう、おおらかさに苦笑することである。
そこらへんが、この女のいいところ。
食後にはカスピ海ヨーグルトなるものを食べた。粘度の高い食感には馴染めなかったが、酸味がマイルドで、食べなれるといいのかもしれない。
妻はこういう新しいものに抵抗がない。保守的な俺の味覚をいろいろと刺激してくれるのだった。


放置気味のmixiに新しい展開。友達の日記読みだけだが。
尊い才能の持ち主とマイミクできて嬉しく思った。
曇り。
福田新総理誕生。
前回は「年寄りゆえ立たない」と仰っていたが、一年年寄りになって堂々と立候補。出来レースでしか走れんのか、と思う。

現場仕事にくりんちゃんと一緒。今日の彼女は、きょろきょろと挙動不審であった。気が散るから、ワケを訊いた。
俺と上司の作法の違いを気にしているのだった。
もともと芸風が違うから、どちらの作法を選ぶのかはくりんちゃんに任せるつもりである。


中秋の名月。
宵には雲がすっかり取れ、美しい望月が姿を現した。地上の諸々などそ知らぬ顔で天頂に駆け上がる。
湿った大気の溜まった夜の底を、清かな銀の光が照らしていた。
窓を開けて眺めるにはちょうどよい・・・寒くもなく、暑くもなく。
欄干の上で触れた腕は冷たかったが、妻の肌の匂いは濃く香った。

小雨もよう。
近くなったという彼岸を想う。父と母とを想う。
そちらの暮らしはいかがですか?と問いかける。


朝から頭の中に霧がかかったようであった。ぼんやりと。頭脳の働きが鈍い。
どんなに悪くなっても、俺の頭脳はクリアなままであったのに。精神活動の遅滞。
いぶかしく感じながらも、思考はぼんやり。

娘が飛び跳ねて騒いでいるというのに、居間で寝入っていた。ぐうぐうといびきまでかいていたという。
「疲れた感じだったよ」と妻が教えてくれた。

それが午前で、午後からもまた寝た。嗜眠傾向が出たか、とも思う。
妻に愚痴ってみた。

「あーあ、もう俺こんなんじゃ、死んじゃうよー」
「あー、先生が死ぬんやったら、あたしとっくに死んでるってー」
「朝から、気づくと寝てばっかりです。どうしたんかと思う」
「ほれ、普段寝てないから寝貯めするんでない? 休みくらい寝とけばいいってー」
「だらしねぇやろ?」
「ううん。丸くなって可愛かったー」
「・・・・・」

いかつい体格の若くもない男の寝姿を見て、可愛いと言うこの女。センスが独特とでも言おうか・・・。
恐るべし、だ。

ちょっとしたことを捉えては病状を心配する俺に比して、妻の鷹揚な構えはどうだ。
一人なら、俺はきっとどん底まで堕ちたような気がする。
妻と話していると、ほんわかした温かいものが伝わってくるように感じる。
妻の優しさは母体だ。それに守られて、俺は丸くなって眠る胎児だ。

晴れ。湿度高め。不快な天候であった。
今朝はまだ暗いうちから目が覚めてしまった。それっきり眠れず。通院日だからちょうどいい。医者に土産話ができたわい、と思った。
今日は昼前の診察予約である。あまり調子が良くないからというか、疲れているからというようなことを妻に告げて、時間まで自室で過ごした。
ネットをしてみたり、雑誌を眺めてみたり。興味の喪失は酷くないようだ、と自己確認。

通院して医者に相談。
①思考が100かゼロの両極端になりかけているのを自覚していること。自覚していても止められないこと。
②些細なことが気にかかり、悲観的な展望を思い描いてしまうこと。
③朝方は少々気分が重いこと。夜には、むしろ多幸感すら感じること。
④寝つきに問題はないが、たびたび目の覚めること。睡眠時間は短い。殊に今朝は短時間で目覚めて眠れなかったこと。
⑤甘いものが食べたくなること。
どうみても、状態が悪い方に向かっている。
ゾロフト終了からアモキサンの効果が発現されるまでのことか、とも思う。すると、薬がなければ俺は相当に危なっかしいということか。
アモキサンを少し増量。
いつまでプシってるんだろう、と自嘲が出る。


帰宅後、妻と餃子を作る。
宇都宮の餃子特集を見たそうで、急遽食べたくなったのだとか。
宇都宮はニラの大産地であり、中国東北部に出征していた宇都宮の連隊が餃子を伝えたとかで、名物になったのだそうだ。テレビ番組から得た雑学を、妻から教わった。(知っていましたか? Wさん(笑))
宇都宮の餃子は、ニラと合いびき肉のみで作るのが本当なのだとも。(知っていましたか? Wさん(笑))

我が家はそれでは不満。こころもちニラを多めにしたが、いつもどおり玉ねぎ・キャベツ・にんにく・生姜も使用した。
ダイニングテーブルで夫婦二人、黙々と餃子を包んだ。娘も手を出してきたが、俺に軽く叱られて引っ込めた。傍で手元を見るのに一生懸命で、俺の目の前に頭が出張ってきてやりにくい。手を出さずとも邪魔っけなのは変わりない。
ま、そのうちイヤでも手伝わせるからしっかり見ておけよ、と思っておく。
しかし、子供のことだから、飽きて、また手出しを始める。テレビの子供チャンネルを入れてやったら、すぐさまそちらに行ってくれた。
「調子悪い方に向かっていてねー」「そっかー」「季節の変わり目だしなー」「今年はお天気変やしー」というような話を二人交わしながら、静々と作業続行。
皮は百枚用意したが、七十ほどで餡が尽きた。半分喰う分で、残りは冷凍チーム。

ホットプレートで焼きながらの夕食。熱々で汁気の多く、美味であった。
ただ、餃子に時間を掛けすぎて・・・。
奥さん、飯と餃子だけってどうよ? と思う。

彼岸の入り、というのに真夏日。今年は萩の花の色も鮮やかではない。


嘘つきは嫌いではない。上手な嘘つきならば。
すっかりばれている嘘をつき続ける、下手な嘘つきが嫌いだ。

どんなに親切気な言葉を吐いても、彼のそれには温度を感じない。俺は知っているから。
もしかして、彼は嘘だと思っていないのだろうかと、疑ってみることもある。しかし、真実とははるかにかけ離れたことを言っているのなら、どう考えても一般的に、それは嘘だろう。
嘘つき嘘つきと、心の中で罵りながら彼の言動を見る。
「知っているよ」と一言告げられさえすれば、俺は楽になるのだろうか?
いいや。バツの悪そうな彼の表情を見るのが、俺は嫌なのだ。下手くそな言い訳で取り繕おうとするのを聞くのが、俺は嫌なのだ。
知らないふりをしているのは彼のためではないのだ、まったく俺のためなのだ、と知る。
だったら、「彼の嘘に気づかぬふりをするのには疲れた」などと、俺は言ってはいけない。

一見優しい彼が、本当は冷たい人だと知った。たまたま信じた相手の冷淡さを知って、だまされたと勝手に恨んでいるだけとも言える。

恨むなど・・・。気力の要る感情は捨ててしまいたい。
情念の強さに辟易することである。
俺は混乱している。
たいへん辛い。


悩み深いだけの私生活なら要りません。患者さんにだけ尽くす生活で結構です。
いっそ、仕事をするだけの機械のようなものになりたい。
最低限の私生活が許されるなら、妻だけに心を許す狼のようなものになりたい。

「人間を辞めて久しい」などと自分をちゃかしてみるのに、ちっとも辞められない。それがうんざりするのか、愛しいのか。
Aさま、どうか俺のくそ甘っちょろい精神を叩きなおすお手伝いをしてください。
先の連休の折には、赤とんぼの群れ飛ぶのを見た。ここ数日の暑さに鳴りを潜めているのか、見かけない。
本日も晴れて暑い。30度を超えた。

俺の携帯電話は4年ものだ。ワンセグだとか、QRコードだとか、さっぱりわからん。俺はメールと電話ができればいいから、さほど不便は感じないのだ。
しかし、いまどきの人は違うようである。
携帯電話フリークの藤にはずいぶん前に「ありえん」と驚愕されたし、先輩にすら「機種変更したら?」と助言された。
今日はくりんちゃんに驚かれた。人間がありえないものを見たときの顔というのを間近にした。大変興味深い経験であった。
それはともかく、そろそろ機種変更をすべきであろうかと考える。


陽の落ちるのが早くなった、としみじみ思われるこのごろ。昼間の熱と比べての宵の涼しさに、夏の逝ったことを知る。
寒暖の差にやられたのか、娘が風邪気味である。乾いた咳をする。酷くならねばいいが。

左手の恋したがるのも秋の所為。
晴れ。暑かった。朝鮮半島に流れた台風の残した熱帯の空気の所為か。

柔道の谷亮子選手の金メダル。宣言どおりの「ママでも金」。不振続きの日本チームであったが、ようやく最も喜ばしい知らせが入ったことだ。
俺も彼女の強さにあやかりたい。


夜、事務所で書き物をしながらみなとだべっていると、上司がやってきた。
上司は機嫌が良く、話の仲間に入りたいようであった。「何話してるんや?」ときた。しらけた。
別に上司の悪口で盛り上がっていたわけではない。俺たちは彼を苦手としているだけだ。
俺は書類に目を落とし、同僚の幾人かは仕事場へ去った。
上司は若い女子職員にしきりと話しかけていた。彼らの不自然な世間話を聞きながら、俺は仕事を続けた。精神衛生に非常に悪い。

上司のいつも懐く相手が、若い女の職員だというのが問題である。物欲しげで嫌だ。
物慣れぬ若い女なら無下に扱わないだろう、とでも思っているのかもしらん。
しかし、それを三十以上の女たちが白い目にで見ていることに気づかないのだろうか。余計に疎まれる行為だと思うのだが。

自分が好かれていないことを知りながら、それをものともせず、仲間に割り込んでくる強靭な神経が羨ましいことだ。(←厭味にあらず)
崩れるという予報は外れた。朝方、ほんのパラリと雨粒の落ちたのみ。
昨日は麻生氏の笑顔が目に付いたが、今日は福田氏の満面の笑みを見る。注目しておらずとも目や耳に入ってくるので、俺も一応見届ける所存である。
願わくば、切捨て御免の世の中が少しでも良くなりますように。


娘の幼稚園入園の話題で、盛り上がった。
妻から聞かされたときは、「もうそんな歳になるのか!」と思ったが。驚いてみても、その通りの歳である。父親とは呆れたものである。俺だけか・・・。
来年度入園児を募集しているとかで、正しくは10月からなのだろうが、その話になった。
妻の行きつけのスーパーマーケットに、勧誘(?)ポスターがいくつか貼られており、見学歓迎などとの文字が載っておったらしい。
真宗王国のこと、ここいらの私立幼稚園は浄土真宗系のものが多い。妻も俺も浄土真宗の門徒であるから問題はない。
また、幼児期に宗教的な道徳観を習得させるのはむしろ好ましいかもしれない。俺はいまどきの世相を見るにつけ、密かにそう思っていたのだった。
妻の本命は、ときどき娘と出かけている「親子クラブ」のある幼稚園だ。そこも当然のように浄土真宗系なのだが。娘も馴染んでいることだし、俺もそこで異存はない。
近いうちに時間を取って、俺も園の見学に行ってみようと話し合った。


俺の幼稚園時代の話を妻に所望されたけれど、ほとんど記憶に無い。断片的な記憶は以下のとおり。
砂場で遊ぶママゴトの椀が木製で、毒々しいほど鮮やかな緑色に塗られていたこと。
先生から「サルの絵を描け」と命じられ、サルの耳はどんな形だか思い出せず難儀していたこと。
俺の担任の先生の内の一人は尼僧で、頭髪をきれいに剃りあげていたこと。
ゆり組の若く美しい先生を気に入っていたこと。

妻はサルの耳で笑い、俺のことを子供のときから真面目な性格だったのだ、と評した。
真面目というか・・・写実性を尊ぶ性向とでもいおうか。
また、尼僧の担任ということで、俺の通った幼稚園も仏教系だったのではないかと、尋ねた。
仏教的な行事を執り行っていた記憶はないが、その可能性はある。
そして、妻はニヤニヤしながら
「ゆり組の先生が初恋のひとやろ」と断定形で言った。
そうとも言え、そうではないとも言え。初恋というにも幼すぎる感情であるからして。
「さあ・・・?」と、とぼけた顔をしておいた。
晴天。高く清んだ青空。しかし明日から崩れ始めるらしい。
妻に布団を干すように指示して出勤した。階下の駐車場から見上げると、妻がベランダで布団干しの準備をしているところが見えた。
「よしよし」と、従順なところを確認した途端に安心。嫌な亭主だなあと思い直し、自嘲する。
ベランダの妻を念をこめて見つめたが、振り向きもせず。俺にテレパス能力はないらしい。
「いってらっしゃ~い♪」とかいうのを期待していたのだけどなあ・・・。

季節モノの客が大勢来た。
機械的にこなせる仕事は楽チンと思っていたが、すぐに嫌気がさした。
俺は短気なのだ。刺激がないとあかんのだ。
忍耐とか辛抱とか、俺の嫌いな言葉が脳裏に貼りついた。


人間関係の難しさに溜息の出ること。
俺は排他的な雰囲気を周囲に撒き散らしている、とでもいうのだろうか。
薄いなりに喜怒哀楽はあると思う。
親しい人には親身にしていると思う。
しかし、「手に入った気がしない」という言葉がまた、俺を引きずり込む。

そんなことをぐずぐず考えてしまうことがあった。
「俺ってだめだめ君♪」に陥る思考パターンだと思い至り、からくも留まった。

「もっと自己評価高くていいと思うよ」
「かなりな浸透力でつ☆」
脳裏に刻み込まれたそれらの言葉と、妻や娘の丸い姿が、俺の碇なのだった。
美しい秋晴れの一日であった。

安倍総理が辞意を表明した。巷はそのニュースで持ちきりであった。
内閣改造と所信表明をした直後に辞めるとは・・・
「ゆってることがさっぱりわからん」のは聞いている方だけではなく、言ってる方もわかってなかったか。
言動に責任を持ちたまえ、と俺でさえ思う。

おかげで、妻とはなし崩し的に仲直り。
原因が原因の、「どうでもいいわい。犬も喰わない」風のことであったから。
何事も無かったように、世間話を楽しむ夫婦の日常に戻る。
時折そっとため息をつきながら、相手との差異を確認し合う。


酸いものを食べても飲み下せるように。
苦いものを食べても吐き出さなくなるように。
酸味には爽やかさを感じることができるだろう。
苦いものにも、旨味のあることを感じることができるだろう。
意に沿わぬものも、自分の体調に合わせ緩急自在に消化できるようになっただろうか。

灰色のものを灰色と言うのに、何を躊躇うことがあるのだろう。
より黒い灰色だとか、白に近いなとか。細かく分類し名づけ合わねばならないとは、なんて堅苦しいことだろう。
灰色と区分される幅広い明度に包まれてしまえば、こんなに楽なことは無い。
灰色の暖かさが心地よくなる。
俺の指先もずいぶんと灰色になっただろうか。
晴れ。空が高い。朝晩の空気が爽やかになった。秋本番といったところか。

妻とけんかをした。
shirokuma_kenka.jpg         


←再現画像(苦笑)












顔つき合わせているのもシャクなので、自室に引き取る。
やることがないのがまたシャクなので、PCで遊んでみた。
素人ながら上手くできて、ご満悦。

ああ、単純♪                                                                                
昨夜は久しぶりに友達と遊んだ。タイピング能力の劣化を託つ二人ではあるが、話は尽きず楽しかった。

どんより曇りの朝。家族ともども、少々寝坊気味に起床した。
医者が言うにいまいちの体調らしいし、今日はゆっくりすることに決めた。
妻は妻なりに「どこか行きたい」と思うのかもしれんが、俺の体調を理解してくれた。いつも、ありがたいと思う。そして、すまないとも思う。

ごろごろしながら、本を読んだり、仕事関係の雑誌を眺めたり。
娘と遊んだり。
8月のカレンダーをやったら、大きな紙が嬉しかったようだった。ぐるぐる殴り書きをしていた。得意げに見せる。何を描いたのか尋ねると「ベンキョウ」と答えた。
勉強したつもりなんだね。
発想が可愛い。微笑みが出る。


午後より雨。まとまった雨だった。
乾燥機を回していたのだが、妻が水漏りすると訴えてきた。
見ると、排水盤から溢れ出し、床が水浸しであった。
洗濯機使用時には漏れが無かったという。乾燥機の排水がうまくいっていないのだろう。

排水ホースを外してみると、どろりとした物体が詰まりを形成していた。洗濯機側のカバーを外して見ると、そこにも同じ物体が付着していた。
それらの部位を掃除をした。
妻がその物体は何かと尋ねるが、俺に正確な説明ができるか。水垢と乾燥機内のホコリの混じったものではないか、と答えておいた。
乾燥機の手入れは念入りにしているのに、と妻は不満げだった。
妻の掃除の仕方が雑だとは思わない。おそらく排水ホースと洗濯機側の差込口も掃除しなくてはならないのだろう。
カバーを外して、洗濯機の裏側のねじを外さねばならないのだ、妻一人ではできない。
妻もそう思っているだろう。
それで、思案気な様子を横目に、排水ホースを洗濯機の風呂水摂取口に差し込んでやった。ナイスなアイディアだ。
妻は「そんなでいいん!?」と驚きいぶかしんだが、行き着くところは同じだ。問題なかろう。

それにしても、乾燥機とはよう問題を起こす家電製品であることよ。
先般は妻の主張に譲ったが、引越しする際には今度こそ、洗濯乾燥一体型の機器を導入してやろう。
晴れの予報であったが、外れた。曇り空。晴れ間の覗くことはなかった。

朝、通院。
おおむね元気であったと思うのだが。主治医はそうは見てくれない。
微小妄想あり。それを苦にしている感覚は不思議とない。
主治医は実感が伴っていないのが問題だと思っているようである。そう言われればそうかも知れんが、俺にはピンと来ない。虚無感だろうか。
薬が変わった。切れのいい薬で、俺の好きなやつだ。
薬の増減に一喜一憂するのはやめた。これが俺に合致しているのなら、それでよかろう。安定していることが大事だ。

灰色の空は鬱陶しかったが、さほど蒸し蒸しはせず。
初秋の街並みを見やりながら、ぶらぶらと歩いて帰った。かなりの距離になった。汗ばんでいた。

帰宅後、家族で買出し。
人参の詰め放題。妻に命じられて挑戦。小さい人参の方が隙間無く詰められるだろうと、選りすぐる。互い違いにびっちり詰める。
妻が「そんな念入りに・・・」と苦笑いしていた。
こういう緻密(?)な作業は大雑把なO型の妻には不向きだ。くそ細かい俺向きの仕事だ。性格の違いを生かした買い物ってことで。
その他、キャベツ・ごぼう・ねぎ・ピーマン・茄子などの野菜ばかり買い集めた。中華料理屋でも始めるような品揃えである。娘の大好きな胡瓜も大袋で買った。娘はおやつ代わりに胡瓜を丸かじりするのだ。
それから、氷の上に綺麗に並べられたサンマを三尾。口先の黄色い、脂がのっていそうなものを選んだ。今年は豊漁で、安いのが嬉しい。

昼食後、娘を寝かしつけながら俺も寝入ってしまった。
妻が台所で、厚揚げを煮ていた。ダイニングのテーブルで、夫婦水入らず、建築中の家の話に花が咲く。

穏やかな土曜日であった。

小雨。降ったり止んだり。
関東地方では台風の被害が出たようである。溢れそうな多摩川の映像を見、流されたという人たちの安否を憂える。


今日は予約のお客さんと商談。
半ばを済んだころ、女子職員から注進があった。商談室前の待ち合いルームに事務方の偉い人が鎮座している、と。
事務の偉い人はたまに各部署の待ち合いルームに現れ、何気なく座っては、お客さんたちの会話に耳を清ませているのだ。会話の中に現れる会社の評判・担当者の評判などを、聴取しているわけである。
くー。
下手な動きはできんわい。俺の隣で商談しているのは部長であるし、俺の未熟さが際立ってしまうかもしれん。などと、途端に気弱になる俺であった。
いやいや。おのれの心に恥じることなく、なすべきことをすればよい。
午前の仕事を終えて商談室を出ると、事務の偉い人がまだ座っていた。
スーツ姿で姿勢正しく座り、表情は厳しく、目つきは鋭い。場に浮きまくり、である。
軽く会釈しておいた。

昼食はまともに取れたが、午後早くから現場があり、ばたばたした。


夕方現場から戻り、事務所で書き物。
くりんちゃんもいた。様子がおかしいので声をかけた。
別室に連行して、詳しく話を聞いた。上司に叱られた、とのことであった。書類ファイルで頭を二・三回小突かれた(!)そうな。
彼女の仕事ぶりは概ね問題はない。
たまに不手際をし「何やっとんじゃ、お前は。シネシネシネ」と思うことはある。あくまで「思う」だ。

・・・というか、他の職員のいる前で叱責した上に、小突きますかあ!
大したことでもねぇのによ!

俺は頭に来たのだった。
くりんちゃんは、自分に不備があったのだからと、謙虚に受け止めているようである。それが俺を泣かせる&さらに怒らせる。

うー。腐れ外道。どうしてこましたろ・・・・。
俺は女を殴るやつは嫌なのだ。男として最低。人間として認めん。口もききたくねぇ。

興奮を抑え、忍び難きを忍び、耐え難きを耐えても、上長の叱責の仕方にはどうにも納得がいかない。
かといって、上司の叱責を飲み込んだくりんちゃんに、俺がまた焚きつけるようなことを言うのも、混乱の元かもしれん。激しく納得がいかないのは俺であって、彼女ではないのだから。

「上司氏なりにあなたのことを気にして、良くなってほしいと願ってなさったことなのでしょう」と言うと、
くりんちゃんは「そうだと思います」と答えた。その素直さが切ない。
「(ファイルの)角っこ、当たりませんでした?」と訊いたら
「大丈夫です!」と元気な声を返してくれた。
そして「ありがとうございました!」と言って、仕事に戻っていった。


「ありがとう」も何も・・・聞いてあげただけで、何もしてねぇよ、だ。
ああ、切ねぇ。
外道上司にヒトコト言ってやらねばならん。

曇り。宵より小雨あり。
台風が勢力を保ったまま関東に上陸するそうだ。静岡に嫁いだ姉と、彼の地に住まいする友達のことを案じる。


弟より連絡が来た。「来た」というか、俺が連絡をよこすことを要求したら返ってきた。
実家の土蔵。壁の塗りなおしで事足りるそうだ。耐震補強はいらないのかと俺は疑ったが、昔のああいう建物は耐震の考え方が違うのだという。
弟の説明ではよくわからない。しかし「(古い民家が)土台から1メートル近く横跳びして(免震し?)家は無事だった」例もある、というのは頭に残る話であった。
費用の援助はいらんということでもあった。ようやく経済的自立をしたか、と安堵する気持ちである。給料の薄い弟が大丈夫かと心配する気持ちもまた、ある。
そしてなにより、援助を断られたのが残念でもある。それは俺が生家のためにできる、唯一の善行であるように思っていたからである。

同じような立場にある畏友は、俺の寂しいような弟が誇らしいような複雑な気持ちを、よく理解してくれた。彼女の共感が、俺の寂しさに引きずられがちな心をケアしてくれるのだった。ありがとう。


スズカケの樹。害虫の仕業か、葉脈のみ残した葉が緑の葉に混じって枝にある。
繊細なレース編みのようだった。今度の台風で散ってしまうのだろうか。

他人の評判の気になる、今日この頃である。
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