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夫婦の日常と こころの中のこと
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小雨もようの肌寒い一日。
今日はこの地区の運動会である。
数日前、運動会の知らせとプログラムを届けてもらって、幼児むけの競技に参加を求められていたのだった。
早朝に開催の合図の花火が上がったとき、空は今にも降り出しそうな雰囲気で、「本当に運動会をするのだろうか」と思ったほどだった。
天候は一向に回復しない。寒かったことだし、競技の時間に合わせて出かけた。

朝方に少々の雨を見たせいで、グラウンドの土はぬかるんでいた。大勢の人が歩くものだから、足跡でグチャグチャだ。
徒競走に出る小学生の半袖姿が、いかにも寒そうであった。でも冷たいジュースなど飲んで騒いでおったから、大人が見るほど寒いと感じていないのかもしれない。
住まいする街のテントの傍で、知り合いの自治会の人を見つけ、しばらく談笑。
マンション住まいの連中の参加は少ないらしい。俺は誘われていたこともさりながら、やがて家を建ててこの地区に永住しようと計画していることもあり、地域に馴染んでおこうというこころである。
普請の話はまだ公にしたくないのだが、自治会の役員さんやよく知った人は、何となく知っているはずである。
挨拶を交わしたり、紹介されたりする中で「この村がたいそうお気に召された○○さん」などとニヤリと笑いながら、微妙なニュアンスで俺のことを伝えられた。

娘は「お菓子拾い」という競技に出た。30メートルほどのラインの真ん中に、お菓子の入った袋が並べられていて、それを拾ってゴールというもの。
物怖じしない方だから、もしかして一人で走るかと思ったが、いくらなんでも無理だった。妻が伴走しようと手を取ったが、娘は俺を選んだ。
娘なりに緊張を感じていたようだ。手をしっかりつないでやった。
親に抱っこされた赤ちゃんやら、親と手をつないだ子供やらに混じって走った。娘の走りはまだ、ぽてぽてした赤ちゃん走りだ。
勝負にこだわるこころはまだなく、お菓子を選ぶのに慎重で、最後のゴールになった。
「ようやったね、ようやった」と妻と二人で褒めた。娘は色鮮やかな駄菓子に心を奪われて、すぐさま「あけて」と言っていた。

泣き出しそうな空がとうとう堪え切れなくなった。雨が降り出した。それを機に帰ることにした。
娘の靴底にべっとりと赤土の泥がつき、抱えていた俺のズボンを汚した。
少し早い昼飯に暖かいものがよくなり、さぬきうどんを食べて帰った。

運動会にしては残念な日和であったが、穏やかにすごせたと思う。満足。
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冷たい雨の降る一日。

近所の幼稚園の未就園児のための教室がある。妻は娘とそれに出かけた。
俺は彼女らの留守の間、ゆっくり自室で本を読んだ。正確にはごろごろしていたと言う。
雨音を聞きながら、100年前のポーランド人の書いた、2000年前のローマ人の物語を読む。優雅だろう。

11時ごろ来客を告げる呼び鈴がなった。居留守をつかいたかったが、出た。
子供を連れた女の人がいた。ニコニコして「こんにちは」と言う。知らん人だ。フレンドリーな笑顔を向ける知らん人には、警戒してしまうのが日本人の平均的な反応であろう。
女の人は宗教の人であった。
「この辺りを廻らせていただいてぇ、とってもいい冊子をお配りしているんですぅ」などと言った。いまどきの若い娘のような、語尾を延ばして話す言い方が、彼女の年齢には不自然であった。馬鹿っぽく見える。
「興味ないので、そういうのはいりません」と俺は言った。
「ご覧になってくださいぃ」と冊子を二冊手渡そうとする彼女。「ものみの塔」と「目ざめよ!」という冊子だ。俺にはエホバの証人とは少々の確執がある。
「いらんいらん」と拒否して、お帰りいただいた。わりとあっさり帰った。

この寒い雨の日に子供連れで歩くなんて、どうにかしている。つまらん顔をして付き従っていた子供の目を、俺は苦い気持ちで思い出した。
お前が「目ざめよ!」やろ・・・、だ。


程なくして妻と娘帰宅。
幼稚園では先生の指導で、お遊戯や親子体操を行ってきたとか。久しぶりに体を動かして爽快だった、と妻も楽しそうであった。

その幼稚園は浄土真宗の寺が経営しており、それらしくホールには大きな仏壇がある。今日の会の最後には、皆で阿弥陀さまにおまいりをする時間があったそうだ。
祈りの文句は子供向けか「わたくしたちは、ありがとうと言います。わたくしたちは、ごめんなさいと言います。わたくしたちは、お話を聞きます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」。
妻は「何かいいやろ?」と言う。なかなか含蓄の深い文句だと思う。
ありがとう、ごめんなさいは案外、出ない言葉かもしれない。思い浮かべてみると、普段「すいません」を代用していることが多い。
また他人の話を「聞く」というのはなかなか難しいものだ。他人の話を聞き流すばかりで、心に入れていなかったことを思う。
こういった「気づき」はありがたい。妻が「何かいい」と思ったのも、その辺なのだろうな。
それにしても、エホバの証人は受け入れられなくて、浄土真宗の宗旨はすんなり入ってくるというのは、何故なのだろう。我が家が浄土真宗の門徒だから? それだけではないと感じるが、わからん。

まずは妻に。ありがとう、ごめんなさい、話を聞くを実践したいと思った次第。
久しぶりの日記である。
最近、思う。ネットで日記を書き続けることについての疑問。
いつからか、閲覧者の視線を意識して書いている、と自覚する。それがはたしていいことなのかと。

たとえば、「今日はいやなやつが来た。不愉快な思いをした」という場合。
まず、俺は、その人物のどの辺がいやなのか、どんな不愉快な事件だったのか、書かなくては、閲覧者の理解に不親切だと思うようになった。かくして俺の文章はくどいものとなった。
第二に、書くべき内容について選択している自分に気づいた。俺の不愉快だった話を書くことが、閲覧者を楽しませることになるのか、はなはだ疑問である。
第三に、例題のような事件があったとき、短気な俺が相手に対して思うことは「二度と来るな。死ね」であるが、このような刺激的な用語はブログ上不適切だと思う。自粛することで、俺は俺の日記に生気を感じなくなった。

要するに、ネット上で「いいひと」になろうとする俺を俺が拒否したいのである。俺は皮肉れているのか、「いいひと」というと胡散臭い、と思う。
人間は裏表があって当たり前。ドロドロした醜い感情を心の奥に潜ませているものだと思う。だから、人間は哀しくて愛しくて、美しい。
見苦しさを隠して、自分でも見ないふりをして、「いいひと」の仮面を被りたくない。
「いいひと」より「深いひと」と言われたい。

善行や美徳を否定するつもりはないが、それを吹聴することはしたくない。
常に、妻を愛し、子供を愛で、仕事にも一生懸命取り組む、などの前向きな姿勢を書き留めることで、かえって日記に自分を取り込まれてしまうようではありたくない。
どうしたものか・・・と悩む。


集中的に英語の勉強をした。なんとか勉強会に間に合うもよう。
毎度毎度、何故英語なのかと憎々しい。実務にさほど関係のないことであるので、余計にそう思う。
思いながらも勉強している自分の真面目さに呆れるが、何か訊かれたときに答えられないとみっともないと思う小心さと、変なプライドの高さゆえだと思うと、笑えてくる。

中途半端なことをするよりは、初めからしない方がマシ。
晴れ。気温は低めであった。

午前中通院。病状は安定している。
しつこかった焦燥感はほとんどなく、たまの億劫感が残るばかり。まずまず回復傾向にある。
新しい薬を飲み始めてからずいぶん調子が良いのだった。さほど期待していなかったが、Pよりずっと良い。ようやく俺の肉体に合致した薬が見つかったように思える。
このままの処方で経過観察。

中心街の街路樹は葉が出揃い、新緑をまとって清々しい。
少し遠出の寄り道をして、BOOKOFFに行った。面倒な英語の勉強の息抜きに、さらりと読み流せるものがあればと思ったのだった。
コミックの棚には立ち読みをする客が鈴なりに群がっておったが、文庫本の棚には他人は少ない。ゆっくり物色できた。
昔好きだった作家の推理小説でも読もうかと思ったが、タイトルを見る限りでは、読了済みかどうか忘れてしまっている。推理小説は読み始めると読み終えるまでやめられないから、息抜きにはふさわしくないかもしれない。
興味をそそられるタイトルのものを開いてみては棚に戻し、思いがけず長い時間をそこですごした。
買ったのは「クォ・ヴァディス 上」。中巻と下巻はあいにく無かった。
息抜きに読むには、これもむかない選択かもしれないが、昔から読んでみたいと思っていたので。しかも定価の半額だし(笑)
ついでに「サテュリコン」も探したが、無かった。そこまでBOOKOFFに課するのも酷というもの。でも、ちょっと残念。


昼から家族で買出し。
出掛けに俺の地面を見物してから出た。埋め立てはもう済んで、赤土が表面に盛られている状態だ。ちゃくちゃくと進んでいる。
妻からは、27日の地鎮祭には仕事にならないようにくれぐれもよろしくと、繰り返し念を押されている。何度も言われるとうざくらしい。今日も言われたが、無駄な言い争いにならないように、素直に肯いておいた。
家庭の常備野菜を切らしていたので、玉ねぎだのイモだのキャベツだの、重いものばかりを大量に仕入れた。妻は広告紙をチェックした結果だと言うが、荷物持ちを考えて俺の休みを待っていた結果だとしか思えない。
所詮ぐうたらな亭主、それくらいでも頼りにされていると思えばいいか。

帰宅後も本を読むでもなく、勉強をするでもなく。洗濯物の始末と、部屋の掃除を言いつけられ、家事に勤しんだ。妻はこのごろ人使いが荒い。
そのことを指摘すると、一日前倒しの「母の日」だと思え、と言われた。

じゃあ、明日はなにもしないから♪
晴れたが寒かった。昨日の嵐が残していった寒さだろうか。

今日は忙しかった。昼飯は3時だった。先輩の卵とじカツ入りカツカレーの話に少々の羨望をかんじつつ、握り飯だけの昼食を摂る。
お疲れの先生に、励ましのお便りが来て、ちょっと嬉しかった。
連休明けで気合が入りすぎたのか。俺は、昨日の疲れを翌日には解消しているような切り替えの早さは持ち合わせていないゆえ、早めに休むことにした。


今日の大勝負も、明日にはママゴトだ。
人生はそんなことの繰り返し。
昨夜は、真っ裸で寝るのに大変心地よい陽気であった。
しかし本日は激しい雨と風。とても寒い。気候の変動の激しさに、体調を崩す人の続出するのもうなずける。

俺は肉体的には強い方だ。だったといった方がいい。
以前、C型肝炎に感染したかな・・・ということがあったが、感染しておらんかった。とはいってもそれは若い盛りのお話。風邪を引くと長引くようになったなあ、と何となく思う今では、自分の体力を過信してはいけないと知っている。
風邪を引いたとかいうのとは別に、低気圧が迫っているときに、俺の精神は敏感に反応するようになった。起き抜けに不快さがある。
気圧や気温に左右される、植物のような身体になったのだと、感慨深い。
いわゆる不定愁訴を訴える俺の客に、自分もそういうことがあると心からの感慨を、穏やかに答えられる俺を最近発見した。
以前の俺はそうではなかった。
自分の知らない肉体の感覚を想像するのに、いつしか疲れを感じ始めて、ようやくその一端を知った・・・とでも。


ここしばらく必要に駆られて、英語の勉強などしておったゆえ、頭脳がパンク寸前である。
勉強は捗っているとは到底いえない状態であるが、やわな頭脳を崩壊から守るため、今日は勉強をやめてみた。
妻は恐ろしく眠いらしく(月経の所為だろうか?)、娘と9時には寝室に入ってしまった。
俺一人の静かな夜だ。

夜にかけて雨はすっかり止んだが、強い風は残って、ピューピューと寒々しい音で窓ガラスを叩いている。
夜空は月が隠れて、真っ暗だ。
頼りなげな街路灯がちかちかと照らしている以外は、闇に沈んでいる。
身の縮む寒さであったというのに、水田ではかえるが変わりなく鳴き続けている。その水田の表には、渡る強い風が刻々と変わる水紋を刻んでいることだろう。

寂しくはない。むしろ夜に吸い込まれそうな快感がある。
「歎異抄」を開き、ヴィントガッセンのタンホイザーを聴く。
こんな風に無為に寒い夜を、眠くなるまでやり過ごすのも嫌いではない、と思った。
Yahoo!メッセンジャーをバージョンアップした。
これって換えるたびに挙動が不安定になるんだよ。
おまけにまた一段と重くなったみたい。アーカイブの保存が多すぎることも考えられる。何せ永久保存設定にしてあるのだから(笑)。
メッセンジャーを上げてみては、フリーズするという腹立たしい状況を繰り返した。
しかし、メッセンジャーがないと俺のネット生活は味気ないものになる。背に腹は代えられんというわけである。

今日も晴天。すっきり晴れて気温は高め。そよそよ吹く風も心地よい。
初夏か・・・。人々の被服がだんだんと薄くなっていく。俺の私生活はもう既に裸族と化しているが。


先輩と仕事。
斜めに傾けていた台座を水平に戻すのに、「正常位にしてください」と言う先輩。
ウケ狙いなのか、天然なのか、判断に苦しむ。
聞いていた皆もそうだったようだ。
言葉に詰まる場。俺がこの局面を打開せねばならん。
「はいはい。やっぱ最後は正常位ですね。先輩んとこもそうでしたか」と、無理に笑いに持っていってみた。
自分でも「やってもうた」と思った。笑いというか、既に凶器の域であるわな・・・。
一瞬、場は凍りつき、その後しらけた笑いが起こった。
先輩はやはり、天然だったようだ。ワケのわからん表情のまま、皆につられてクスリと笑ってみせた。

俺の苦労を知らん先輩である。苦労する必要もないのだろうけど。
気配りの人・はるちゃんゆえ・・・、というか、気配りの按配が狂っておる。自嘲。
雨。昨日の汗ばむ天気とは打って変わって、肌寒く感じる。

午前中、職場に出た。
ご機嫌伺いだけのつもりであったが、店が混乱しており手伝いにかりだされた。
休日に仕事をしている俺って何か格好いいよな、とちょっと思った。気持ちが前向き(?)である。


今回のゴールデンウィークを省みてみる。
実家に帰った前半は、休みらしい気分を味わったと思う。
弟と喧嘩をしたのはいけなかったが、言わないでいたマイナスの気持ちがわかった。言いたいことをぶちまけられたのはよかったのかもしれない。腹に持ったままよりは。
後半は仕事があったが、娘を連れて遊びに出られる日もあった。
妻の体調が優れなかったのは残念であった。やはり家族3人で楽しみたかった。もっと本音を言えば、妻とゆっくり親しむ機会が欲しかったものだ。それは贅沢の部分だが。

充分活動し、楽しくもあったと思う。疲れはあるが、ぐったり疲れたというよりは心地よい疲れだ。


田植えの終わった田は満々と水をたたえ、家の灯りを映している。
大気はかすかに泥の匂いを含んでいる。
かえるの鳴き声が絶えることなく、響いている。
田園の風物が心を穏やかにならす。
大地に触れるたびによみがえる不死の巨人の伝説を持ち出すまでもなく、ひとも土を離れては健やかに生きていけないのだと知る。

明日からは忙しくなる。だが、意欲に翳りはない。
今日も晴天。暑かった。気温27度。

妻は月経痛が酷いので、家でゆっくり過ごすように勧めた。
このところ月経不順だ。また基礎体温を付けることを勧めているが、拒否しておる。医師としては行なって欲しい。しかし、付けたくないワケも解っている。夫として辛いところだ。


午前中は娘と植物園に出かけた。
広い園内には芝生の広場があったり、ところどころに遊具が設置されたりしている。手入れの行き届いた木立を散歩したり、娘の遊ぶのを眺めたりした。たくさんの親子連れがいた。
朝のうちに汗ばむ天気になった。
昼食時に向かって帰宅。妻は風呂場の掃除をしていた。風呂掃除は結構重労働だと思う。無理しないでゆっくりしていたら、と勧めたが、子守がいるうちに普段おざなりになっていることをしてしまいたいのだと言う。
やり始めたことを中断させられるのを嫌う妻である。またいくつものことを同時にできない女である。そのままにすることにした。
焼き飯に味噌汁を作って、かるく食事。

午後からは郊外の公園。親子連れ向けの催し物をやっているというので。
ここもまた、大勢の人出だった。車を止める場所を見つけるのに、ずいぶん時間がかかった。娘はおかんむりである。
ぬるい風の吹く夏日。人いきれで眩暈がしそうであった。
キャラクターショーを観覧し、握手をしてもらった後、早々に帰った。
帰りの車の中、短い間に、娘は寝入ってしまった。走り回ってようよう疲れたのだろう。汗に濡れた髪が額に張り付いていた。

夕食は中華風。チンジャオロースー・胡瓜とくらげの和え物・ワカメの中華スープ。それと「畑のおばさん」のくれた大量のグリーンアスパラガスを茹でた。
妻はさすがに脂物は箸が伸びないようであったが、他のものはよく食べてくれた。
おばさんのアスパラはかなり育ちすぎて、太いものもあったのだが、筋っぽくもなく柔らかかった。うまく作ってあるなあと感心した。マヨネーズ無しで食えた。美味。

娘も楽しそうであったし、妻も喜んでくれたし。俺はそれが一番だよ。


【疑問】
俺って、子供っぽいのかな。37歳の年齢と比較して、精神的に未熟なのだろうか?
まわりのみなが見流しているようなこと・・・大人の事情とか必要悪とか・・・、そんなものに俺はどうしても引っかかりを感じる。
気持ち悪くて、生理的にだめで。
敢えて火の粉を浴びることもない・・・これが正しいのかな・・・???。

うす曇り。柔らかな空色だ。気温は高すぎず、低すぎず、さわやかで過ごしやすい具合。

田植えが始まるようで、機械の動作音や人の立ち働く気配が、早朝からしていた。
こういう季節になると、働かなくてはならない気持ちが、俺の中でうずく。先祖から脈々と受け継がれた、越後の百姓のDNAが活性化するのかもしらん。
勤労意欲に合致するかのように、今日は日直だ。と意気込んだのはいいが、休日に勤労意欲満々ってどうよ?と苦笑することである。
早起きをした娘が懐いてきて、ちょっと困った。遊んで欲しいんだな、と思った。後ろ髪を引かれる気分。
「とめてくれるな、お嬢さん」と思い切って、しゅたっと出勤。

連休初日は、さすがに田んぼやら行楽やらに忙しいらしく、客は少なめであった。
しかし、こんなときに敢えて来る人こそ、難しい問題を抱えてくる可能性があるゆえ、気は抜けないのだが。
暇そうだったので、何かあったら呼んでくれと言付けして、事務所で懸念の書類仕事をした。
今月はリテーク書類が多い。特殊な仕事があったわけでも、込み入った仕事をしたわけでもないのだが。要するに俺の不手際だ。
この調子では事務員さんのブラックリストに、俺の名前が書き込まれてしまいそうだ。まあ・・・俺は事務関係のことに精通しておらんのは事実。
本格的に勉強して、資格を取った人もいる。そこまではいくらなんでもやり過ぎだと思うが。
俺も少し勉強した方がいいのかしらん・・・などと、殊勝なことを考えてみた。でも俺の脳みそにその余裕はない。


定刻に退勤。
県外ナンバーの家族連れを横目に見ながら、いいなと思った。カレンダーどおりの休みのある、公務員や会社員が羨ましい。

明日は休みだから、近場で何処かに出かけようかと、妻と話した。遠出はできないが、天気も良いようだし、一日戸外で、家族で過ごすのも楽しいと思う。

ゴールデンウィークの前半は概ね好天に恵まれたが、間のウィークデーになって一休止。昨日は強風の一日であったし、本日は小雨の降り止まぬ一日であった。


さすがに客は多くはない。店をちらりと覗いたが、まったり進行であった。
ただ月初めのことで、書類仕事がたくさんある。集中して済ませたいところだが、細切れにならざるを得ないのが、この仕事の辛いところ。

明日から四連休らしいが、俺にはあまり関係がない。明日は日直だ。五日が拘束というのが、なんとも気味が悪い。
四の五の言っても、お客さんのご機嫌伺いに出なくてはならないから、結局は普段と同じである。
非常につまらん気分だ。
夫婦二人のときも思ったが、子供を持ってからはしばしば疑問に感じる。
俺が子供のころは、五月の連休は野良仕事の手伝いで、どこにも連れて行ってもらったことなどない。それと同じことよ、と自分をなだめてみる。しかし世間の様子を見るにつけ、その説は残酷なものだと感じる。
こんなツブシの効かない職業でなければ、転職するのに・・・などと、ため息が出る。

でもでも、みんなが遊んでいるときに働いている人がいるから、世の中は廻っているの♪

そう、発想を転換しておく。


帰ると妻も子も寝ている時間だった。
自室で、届いていた雑誌をぱらぱら斜め読みする。気になるところと、後でじっくり読むところに、付箋紙を貼る。でも・・・いつか読むのか、俺?
それから、次の勉強会のために調べ物をするも、あまり捗らず。
俺の不手際で、
ブログが非公開の設定になっておりました。
本日やっと、気がつきました。
4月22日~29日分、公開にいたしました。
申し訳ない。
昨夜は妻に、兄弟喧嘩をしたことを責められた。何も法要の席でしなくてもいいではないか、とか言う。
俺もそうは思うが、普段会えないのだからそうなっただけだ。この日を選んだわけではない。大体弟が絡んできたのではないか。などと、妻に抗弁した。
妻は、俺が弟に手を出すようなことを言ったのがショックだったようで、しきりと「殴ってはいかんよ」と言う。
妻の育った家庭はどちらかというと今風なのだろうか。妻のきょうだいは兄だけだから、喧嘩ひとつとっても、俺の場合と違っていたのだろう。
俺と弟は、時折取っ組み合いの喧嘩をして育った。「殴る」といっても、この歳だ。映画のような殴り合いを意味しているわけでもない。そこらへんの微妙なところを説明するのは難しかったが。
妻は「でも、殴るのは良くないよ」と繰り返した。確かにそれはそうだ。
良くないことだし、大人気なかった、と認めた。
一瞬、妻と俺の間にも不穏な空気が流れたが、夫婦喧嘩は回避できた。

妻は弟のことを、いつもニコニコして優しげで知性的な感じに見ていたそうで、今回の弟の様子には面食らったとか言う。
大いなる誤解をしていたということだ。俺からすれば、弟は穏やかでも知性的でもない。
「俺の弟だぞ?おのずとわかるだろ?」と言うと、妻は苦笑いしておった。


晴れ。昨日とはがらりと変わって、雲一つない青空が早朝より広がった。 暖かい。
早く目が覚めたので、娘と家の周りを散歩した。緩やかな風が吹いて、心地よい。
竹林を揺らす風の音が優しかった。それは、俺を呼ぶ母の声だった。無人の竹林の小道の先は、不思議な静寂が満ちており、それでいて誰かが待っているような気配がした。
娘は民家の開ききったチューリップを見て、うろ覚えの歌を歌っていた。

妻と義妹が朝食を整えて待っていてくれた。
姉たちはまだ寝ているということで、俺の家族と弟夫婦で朝食。あれから弟とは口をきいていないゆえ、気まずい気分だった。弟も同じだったろう。
義妹と妻がぺちゃぺちゃ話すのを聞きながら、男二人は無言で食卓につく。
それでもやはり兄弟である。身を近くに寄せていると、感じるのである。わだかまりが、じわりと氷解してくるのを。
ただ、声を掛けるタイミングが難しい。
食事の後、弟は席を立たなかった。俺が一服点けると、弟もそれにならった。いい機会が来たと思った。
「昨日は悪かった」と俺が言うと、弟も
「いや、俺も言い過ぎた」と言った。
にやりと、笑みがこぼれたと思う。


距離があるので、実家は早めに辞した。
別れ際、弟は「また来ないや」と言った。
「社交辞令か?」とちゃかしたら、
「本心に決まってら」と笑っていた。
お互いに「元気でがんばれよ」と声を掛け合って、別れた。
「がんばれ」という言葉が素直に心に届くのは、久しぶりのことだと感じた。
起伏の激しい帰省であったが、終わりは良かった。母の加護かもしらん。


高速道路は使わず、一般道を帰った。天気が素晴らしく良く、行楽のつもりだ。
景色のよい海岸に寄り道して、降りてみたり。ちらほら人がいて、海岸の石を拾っていた。色の綺麗な、つるつるした丸い石だ。俺たちも娘と拾って、遊んだ。
「翡翠が落ちているかもしらんぞ」と冗談を言ったら、妻は
「ええっ、どれが翡翠なんやろ~」と、石をとっくり眺めていた。
3つばかり綺麗なのを持って帰った。

妻と替わりばんこで運転した。途中からやはり、高速道路に上がった。慣れない道で、妻が運転に疲れているようだったからだ。
後ろで眠ってしまった娘から、眠気をうつされたのか、俺も眠くなった。
「これ内緒なんだけどさ。(義妹に)赤ちゃんできたんだって」と突然妻に言われて、眠気がふっとんだ。
「そんな大事なこと、黙ってるなよ」と俺が言うと
「だ~か~ら~、まだ内緒なんだよ」と妻がえへへと笑った。

あの拗ね坊が父親になるとは・・・!
しかし、我がことのように嬉しい。

法要のあと、ささやかな会食の場を持つ。
弟夫婦がしっかり取り仕切ってくれた。膳の用意など俺の妻と姉が手伝ったばかりである。ありがたい。


俺が家を建てるというので、宴では叔父たちとその話で盛り上がった。
長男が県外に新所帯することを非難されるのではないかと思っていたが、叔父たちは概ね好意的であった。
俺の今までの行状を評価してくれているらしい。

ところが、弟が喰いついた。気にいらんらしい。
酒も入っていたことだし、まあ・・・昔から自分以外の人間が注目を受けることを嫌う性格の男であったが、いまだにそうなのかと、俺も最初は受け流して聞いていた。
母と生活を共にしてくれたことには感謝しているし、田畑を管理してくれていることもありがたく思っている。
しかし、酔っ払いは言説がしつこいものだ。素面の俺には聞くに堪えない。くどくど言い募る弟に、俺はだんだん苛つき始めた。
俺もぽろりと言い返してしまった。叔父の一人が俺の肩を持つ言葉を挟んでくれたが、なにぶん叔父も酔っており、その言葉は火に油を注ぐ結果を招いた。
弟は怒り出した。

弟の主な主張は以下の通り。
「兄貴は(家のために)何もしない」
「跡取った者の気持ちが兄貴にわかるわけない」
要するに弟は、兄貴のくせに勝手ばかりする俺に我慢ならんのだった。

「何もしない」って・・・
お前が人並みの結婚式挙げられたの、誰のおかげだ?
お前が結婚するからって、家の水まわり整えてやったの、誰だ?
コンバイン買ったの、誰だ?
その他いろいろと、経済的に援けていたのは俺だぞ。
出て行って帰れない長男の気持ちだって、弟にはわかるわけがない。

「金出せばそれでいいのか」と弟は言う。
金より情愛が尊いとは俺も思うが、情愛がなければ金も出さん。情愛の一部を金で表現したと、俺は思いたい。
しかし、そんな冷静な反論はいくらも続かない。俺と弟の議論はバイオレンス風味が加味され、議論とは呼べない代物にすぐに変化した。
「コンバイン持って帰れ」「自分が手入れした家に住んだらどうだ」などなど、子供じみた反論が始まった。
昔から、弟が鼻にしわを寄せながら屁理屈言う様子が、俺は大嫌いだったのだ。それを見ると俺は途端に、頭に血が上るのだった。
そして、今もそうであることを俺は確認した。
俺にとって、痛いところを突かれているというのも、ある。人は不都合な真実を指摘されたとき激昂するのだ。つまり図星だったということである。

売り言葉に買い言葉で、俺と弟の会話は罵り合いの様相を呈し、それはエスカレートする一方であった。
「ぶっとばすぞ」「暴力かよ?」「うるせぇ、かかってこいや」「わけわかんねぇ」「インテリさんは暴力反対か、ごるぁ」などという殺伐とした会話が交わされた。
とりなそうとする叔父たちと、いきり立つ俺、憮然とする弟で、場は騒然となった。

茶の間で、子供たちと食事をしていた妻たちが慌てて出てきた。
俺の妻と弟の妻はおろおろして、「やめてよ」などと亭主を抑えた。そう言われても、引き下がれない気分であった。弟もそうであったろう。
姉は遅れて、子供たちを従えて現われた。俺と弟を睥睨し、
「ああ、うるせぇ!でけぇおっさん二人が何騒いでるんだよ」と、俺たちを叱りあげた。
弟は、俺が殴るんだと、姉に訴えた。俺は、まだ殴っていない、と反論した。
姉は「いい歳して殴り合いかよ?」と哂い、母が浮ばれないだろうと諭した。諭したというか、俺らを黙らせたといった方が、正しい言い方だった。
何とかその場を取り繕い、俺と弟は口をきかなかったが、叔父たちと改めて酌み交わし、ほどなく宴は開けた。

帰り際の叔父たちから、弟は俺を妬んだのだという解説を聞かされた。
今の状況に不満があるわけではないが、新しい土地で家を新築する俺を、弟は羨んでいるのだと。弟がこの家に残ってくれたからこそ、俺はそうできるのだからと。弟は確かに言いすぎだと思えるが、聞き流してやれと。
そういうことを叔父たちに諭された。
弟は弟で諭されているようだった。
俺にも後ろめたいところはある。弟も思うところがあるだろう。
お互いのことを思いやれば、喧嘩をしなくてもすんだのだが。それは「後からつけた」ことである。
頭が冷えて、みなに迷惑をかけたことを思い至り、バツが悪い気分だった。喧嘩をするだけの元気があると思っても、やってられん気分であった。


冠婚葬祭で兄弟が集まったときに刃傷事件になった、と新聞などで時折報じられる。他人事に見ていたが、なるほどあり得ることだと痛感した。
寄ると触ると喧嘩をするような兄弟だったわけではない。むしろ仲はよかった方だと思う。
しかし、あんなに頭に来たのは、血が繋がった兄弟ならではかもしれん。

干した布団が心地よく、目覚めの気分も上々である。
明け方に起床。
寝ぼけ眼であったが、妻もちゃんと自力で起きてきた。
娘は起こしてもなかなか目覚めなかった。朝飯を食っている間も、気づくとこくりと舟を漕ぐような具合である。無理に食べさせることもない。食事は切り上げさせた。
早く起こされて機嫌の悪い娘をなだめながら、身支度をさせて、出発。
外に出ると、東の稜線を赤く染めて、紅の円盤と化した太陽がまさに昇ってくるところであった。
妻は、朝焼けを見るのは久しぶりだと苦笑いしながらも、日の出に見とれた。そして「朝早いのも気持ちいいね」と言った。

陽を見ながら出発したのに、次第に曇ってきた。北や西の空は真っ黒で、速い風に乗って雲が広がってきた。
そのうち雷鳴が始まり、空を稲妻が切り裂く。突然の大粒の雨が、フロントガラスをたたく。
大きな雷とともに、雹まで落ちてきた。
それほど激しい雨はなかったが、天候の変化がめまぐるしかった。
10時まえに実家に到着。
俺と前後して叔父たちもやってきた。


僧侶は時間に少し遅れたが、法要は滞りなく終了。
母が死んで、もうやがて一年とは。

座敷から見る庭には、何株もの牡丹が盛りに花をつけている。赤、白、桃色。
藤も花を咲かせ始めた。つつじも桃色のつぼみを沢山つけている。
あいにく今日の空は曇りであったが、大気の中にわずかに花の香りがした。
母の死んだ日も風の芳しい日であった、と思い出す。強い風の日でもあった。あの風に乗って、母の魂魄はたちまちに天に昇ったことだろうと思ったことが、脳裏によみがえった。
花盛りの、若芽の賑わしい庭を眺めながら、花の好きだった亡き母を想う。
庭木の間にうずくまって、雑草を取っていたこと。
池に落ちた木の葉をかき集めていたこと。
あねさん被りで庭の手入れをしていた母の姿がまぶたに浮かぶ。
世話をしてくれた人がいなくなっても、花は意に介さないのか。いや、その人を偲ぶがゆえに美しく咲くのか。

娘をひざに抱きながら、母は生前ついに、この家では孫娘に対面できなかったことを思いついた。
母にもっと娘をみてほしかったと思ってきたが、「この家で・・・」と思うと、その気持ちは濃くなる。

晴天。
今日の午前中の仕事が終われば、俺は一足先に休みになる。
既に習慣となった早朝覚醒のため、朝の時間は長い。朝の当番がついているときなどは、都合が良いとも言える。そこまで前向きに考えられ、行動もできるのだから、ずいぶん元気になったと思う。
早朝の得意先回りを済ませて、店に出た。相変わらず客が沢山入っている。しかし明日から休みだと思えば、がんばる気になれた。
正午を割って午前の仕事が終わった。そのまま書類の記入を念入りにした。客周りの仕事を済ませ、申し送りをして、3時過ぎに退勤。
前のときにあいまいに予約をしておいた主治医のところに電話をしたら、どうにか診察時間を取れるということであった。家に帰らずに病院に行った。

まだ日の高い平日に、街を運転するなど、久しぶりのことである。いつのも街が珍しい気に見えた。
診察自体は、病状が落ち着いてきているのでさほど時間はかからない。短く終わった。ゴールデンウィークに無理をしないように、と釘をさされはしたが。
処方は変更なし。


早い時間に帰宅。
天気がすばらしかったので、妻は沢山の干し物をしたそうだ。洗濯物をたたむのを手伝った。娘も俺たちの傍で手伝いの真似事をする。手伝いか、邪魔かは微妙なところ。
取り込んでたたんである布団の上で、飛び跳ねてふざけたり。歓声を挙げて、あちこち暴れまわる。興奮状態である。
俺が思いがけず早く帰ったから喜んでいるみたい、と妻が言った。
陽の匂いが立ち込めていた。

明日は法事があるため、新潟に帰る。妻は法事の世話をしなくてはならないと思って、緊張を感じているようだ。俺の親族とはいえ、普段付き合いのない相手に気後れするのだろう。
名ばかりの長男で、家のことは弟が取り仕切っているから、それほど神経質になることはない、と諭した。

晴れ。今年はなかなか天候がはっきりしない。きれいに晴れはしたが、気温は思うほど上がらない。
それでも、青空にこいのぼりの泳ぐのをみると、清々しい気分になる。

今朝も、俺の地面を見やりながら出勤。
昨日でコンクリートブロックが設置され、今日は土盛りが始められるのだろう。また早くから、作業の人々が集まっていた。
日に日に形が変わっていくのを見るのは、とても楽しい。俺は短気だからか、そうでなくては張りがないと思うのだった。


連休に向けて、手のかかる仕事は大方片付けてある。比較的ゆったりと仕事ができる具合だ。
困った客が現れることもなく、穏やかな一日が終わった。夕方の会議もいつもの如く平凡な内容で、みな疲れきっており、眠たげな進行であった。
明日の午前の仕事が終われば、俺は休みになる。金曜のはいつも長引きがちであるから、3時ごろまで勤務になるのかなと、おおまかな流れを想像しながら帰宅。

夕食時、今日の出来事やテレビネタの話をするのが常のことである。昼のメロドラマの話は既に筋がわからなくなっているので、俺は相槌を打つのみであるが。
今日のワイドショーニュースで、俺の実家の辺りの教師が逮捕されたことが報じられていた、と聞いた時はどきりとした。エロ教師の昏睡強盗の事件である。教師と聞いただけで俺の弟か、と一瞬思ったのだった。
こういうアホな心配をするところが、神経症的である。俺は俺の妄想に噴出した。
大笑いする俺に妻が怪訝そうな顔をした。馬鹿げた理由は、さすがに説明できなかった。

事件の小学校教師が、みなから慕われるいい先生であったというので、妻は不思議がっていた。
「みんなにいい人と思われようとすると、大きなストレスが掛かるものです」と俺が言うと、
妻は「そんなもんかねぇ」とぬるい相槌を打ち、俺はどうなのかと真面目な顔をして尋ねた。
過剰なストレスを発散できないと、弾けて反社会的な行動に及ぶか、病気になってしまうかだろう、というようなことを話し、更に
「俺はもう病気になってしまったから、犯罪はおこしやしないよ」と付け加えた。
究極の選択のような話で、拙すぎる答えだと思ったが、妻は以外にも笑った。そして、そんな言い方はしてはいけないと、やわらかく俺をたしなめた。
病気には誰もがなる可能性がある。他人を傷つけるより、自分が傷ついた方がよほどいい。そんなことを妻は考えていると答えた。

本当に・・・お前はなんて素直なんだろうね!

助けられるより助けたい。
認められるより認めるようでありたい。
愛されるより愛する方でありたい。

小雨の降る一日。
4月の雨は恵む雨だとか。なるほど、みるみるうちに黒かった地面は青々と若芽に覆われた。今日は優しい雨に、瑞々しく濡れている。
春の雨は好きだ。若葉が美しく、目にしみるよう。

俺の地面の埋め立てが始まる。
昨日重機が田んぼの真ん中に入れられているのを見た。
今朝は、俺の出勤する早い時間から、業者の人たちが来ていた。家を出れば、自分の地面が難なく見通せるというのも都合のいいことだ。
出勤にほんの少し回り道になるが、そちらに出向いた。
みなで相談している様子で声を掛けづらかったが、車を止めて挨拶をした。
彼らは今日の作業について丁寧に説明してくれた。境界にコンクリートブロックを入れる作業をするとか。埋め立て自体は日数の掛かるものではないそうだ。しかし、連休を真ん中において作業してもらうことに、若干の申し訳なさを感じた。
作業前に邪魔をしてしまった。「よろしく」とよくよく頼んで、出勤の途についた。

早朝の楽しみに押し出しされてか、また今度の薬が俺に合っているのか、すこぶる体調が良い。いつもの営業スマイルにも、自発的な微笑みが加味されていたように思える。


早めに帰宅した。
日中工事の様子を眺めていた妻と、その話をした。妻もとても楽しみにしてくれている。娘はまだよくわからないのかもしれないが、親が楽しげな様子なのは感じているだろう。
少しずつ少しずつ、芽吹いてきた。

以前「風に吹かれて波乗りジョニー」という豆腐の話をしたことを覚えている。
その製造元の「男前豆腐店」はかなりメジャーになったようである。我が家の行きつけのスーパーマーケットの豆腐売り場にも、かの豆腐店のコーナーが設置されているそうだ。
そんな話を妻から聞かされた。

今日は「男前豆腐店」の製造なる「実録男前豆腐店」という、三連の小さな豆腐が食卓に並んだ。
「実録」という言葉には、妖しさがある。週刊誌的ないかがわしさもある。
それぞれのパッケージには、名前と干支・星座が書かれて、似顔絵が載せられている。マサヒロだかテツオだか。「誰それ?」という可笑しさがある。
「実録」ということは、こういうプロフィールの人がこの豆腐店に実在するのだろうか。
妻は「イミフ(意味不明)で笑えるやろ」と面白がって買ってきたのだった。俺も、こういう商品は好きである。
パッケージから出すと、男という文字が凹んで出るようになっておった。「男」「男」と強調されると、こんなにも可笑しいものなのか。試しに想像してみたが、「女」「女」ではこういうわけにいかないと思う。
ねっとり甘くて、美味であった。
マサヒロについてだけは、大きなバージョンの商品もあるそうだ。何故彼だけなのかはわからん。
妻が言うには、似顔絵から察するに一番格好いいからではないか、とのこと。女の人は見るところが違う。


愛染恭子という名前を久しぶりに聞いた。
しばらく前に、加藤鷹か誰かと実践もののAVに出ていたように思うが・・・、それは樹まり子だっけ? それ以来のことだ。
俺がちょうど色気づき始めたころに、一斉を風靡していた彼女。
芸名からしてやらしい雰囲気、と少年の俺は思い、当時見ることの叶わなかった彼女の出演作品について、いろいろ妄想したことであった。ま、何見てもやらしいと思い、何聞いても妄想できた、懐かしい思い出であるな。

その愛染さんが逮捕されたそうな。自分の愛人と関係した14歳の姪に対する、暴行の容疑だとか。
14歳って・・・淫行罪ではないか。場合によっては強姦罪も考えられる。いくら発育が著しいとはいっても、子供に欲情する気持ちが俺にはわからん。
ボコるなら愛人の男の方ではないかと、俺は思う。動機はしつけというよりは嫉妬なのではないか、とも思う。
それにしても、私生活の、いまだ華やかなることをうかがわせる事件である。

豆腐ではないが、「実録・愛染恭子」は結構そそる(苦笑)。
曇り空。今日から天候が崩れる予報であるが、それほど不穏な感じはしない。

すったもんだがあったが、やっと住宅ローンの話に目処がついた。
もう告白してしまう。
銀行から金が借りられないって、恐ろしく哀しいことだよ。
ちゃんと稼いでいるのにさ。
人並み以上に稼いでいるって、銀行の人も褒めてくれたのに、なにさ・・・。と、これは愚痴になるからよす。
結局愚痴なんだけど。どうにか借金のアテもできたことだから、よしとしよう。以上。

ようやく整地が始められるわけだ。
現状が田である。深田ではないように見受けられるが、軟弱地盤と認められれば、地盤改良が必要となるそうだ。工務店さんの話では、必要である気配がするとのこと。

懸念事項が解決して、妻も俺もほっとしたのが、本音。


妻と娘と買い物。
たけのこ・ふきなど、春めいた食材を購入。今晩はたけのこご飯にするべく、たけのこを茹でた。

午後より、職場に出る。
得意先廻りをして、事務所で溜まっていた書類を書く。日曜だからといって、捗るわけではないのだが。
夕方まで職場でダラダラ仕事をして、こころもち疲れて帰宅。

夕飯はたけのこご飯。また、穂先を刺身にして食べた。しゃりしゃりとうまい。娘も欲しがったが、妻が止めるのでやめておいた。精が強すぎるからだ。
にんじん・油揚げ・たけのこのシンプルな炊き込みご飯だったが、それだけで何杯もいける。
たけのこだけは旬のものだ。

昨夜は妻と一緒に、ずいぶん早い時間に床に入った。ひと仕事して、そのままいつの間にか寝入ってしまったのだった。
ひと汗かいて、風邪もすっきりしたように思う。


曇り空。明け方に雨が降ったか、アスファルトは黒く濡れていた。
遅めの朝食を摂り、歯科受診。歯のクリーニングのためである。

今日行く歯科医院は最近できたばかりで、初めていくところだ。今まで通っていたところは職場の近くなのだが、混みすぎていて思うような予約が取れないのが、難点だった。
小さな歯科医院は真新しい建物の匂いがし、置いてある観葉植物にはまだ、開院祝いのリボン飾りがついたままである。俺のほかに一人、高校生くらいの女の子が待合室にいた。
予約を入れていた旨を告げ、簡単な問診用紙を記入する。
ほどなく名前が呼ばれた。
例の不愉快な椅子に座らされ、口腔内のチェックを受ける。幸いにして、治療済みの歯にも健康な歯にも異常はなかった。当初の思惑の通り、クリーニングだけで済む。

丁寧に歯磨きを行っているつもりでいたが、少々の歯石が付着しているとのこと。またタバコを吸うゆえ、歯の裏が汚れ始めているそうだ。
俺は痛みに弱い。歯石を削るのさえ、結構痛いと感じた。情けないことだと、自嘲する。
歯間の触れ具合が鋭角になり、ヤニ汚れも落ち、すっきりして終了。
歯間ブラシを歯の表からだけではなく、裏からも通すようにアドバイスされた。ついでに歯間ブラシも買っておいた。
半年後に定期健診の案内葉書をくれるとのこと。

歯は消化器の入り口である。消化器の健康のためにも、歯の状態を保つことは大切である。また、歯周病が全身に及ぼす影響についても言われて久しい。
人と接する仕事をしている身であるから、歯の汚れや口臭には気をつけたい。清潔な歯でいることは基本だと思う。

晴れ。清んだ青空の広がる美しい一日であった。気温も高め。

風邪は相変わらずであったが、体調不良で欠勤する習慣はない。それほど重篤でもないしな。とりあえず出勤。
早朝はだるかったが、働き始めると調子が出てきた。
今日は予約の客と会う日だ。今日は比較的楽なスケジュールとなっており、風邪気味の俺にはありがたい展開だ。
気持ちゆったり目に商談した。


昼飯を食ったら、眠くなってきた。
眠気覚ましにコーヒーを飲みに行った。すると知り合いのご婦人がやってきた。向こうから俺にから話しかけてきた。彼女の近況など。
そのうち違う話になった。

「やっぱね、女はいつまでも恋をしてないとあかんと思うんです~」などとため息をつきながら、話し出した。
恋愛をして気持ちに張りが出るのはいいことだろう、と当たり障りのない応えを返す俺。
「私も恋がしたいなあ・・・」と言う彼女。
「旦那さんがいるではないですか?」と俺。
「あんなもん・・・」と吐き捨てる彼女。
「誰か、そういう人いるんですか?」と一応訊いてみた。
「いませんよ!でもいいじゃないですか~」と彼女。

いいですけどね・・・。でも、俺の娘と同じ年の孫が彼女にはいるはず。
いつまでたっても乙女ということか。夢見る乙女の彼女にかける言葉は、俺にはなかった。
しかし、素敵なひとに憧れを持つとか、淡い恋愛感情を持つとかは、いいことなのだろう。
ぬるまったコーヒーを啜り終えて、俺は仕事に戻った。

ここのところ、寒かった。今日はやっと過ごしやすくなった。
少々風邪気味である。咽喉にくる。
舌圧子のかわりにまた、歯ブラシを使用して咽喉の様子を観察。軽く赤くなっておった。風邪引きの咽喉である。
今更ながら、イソジンでうがいをしてみた。


鼻で充分に呼吸ができない所為で、唇が乾燥しがちである。職場の空調もあり、かさかさになった。
昼飯のとき、合いと向かいで食事をしていた先輩に指摘された。
「唇割れとるで?リップクリーム貸したる」と言われた。
親切はありがたいのだが、先輩のリップクリーム塗るってのは・・・。というか、先輩がリップクリームを常時携帯していることが、驚きだ。
俺は丁重に断ったのだが、先輩は「いいから、いいから」と言ってポケットを探って出してきた。
メンソレータムのやつだ。キャップを外すと、結構使い込まれていた。
先輩が汚らしいとか、そういうわけではない。

・・・なんか・・・やじゃないですか・・・。

積極的に嫌ではないのだが、やっぱり嫌。この感覚、先輩にはわからんのであろうか。
「俺、食ったばかりですけど・・・いいんすか?」と、一応きいたが「かまわんわ」との答えである。
せっかくの親切をこれ以上固辞するのも失礼だと思い、遠慮がちに使わせてもらった。

先輩も乾燥するため、家にあったものを持ってきているのだとか。もともとは先輩の奥方が持っていたものではないか、とのこと。
俺の胸のうちには更に、説明できない気持ちが湧いてきた。
先輩の奥方→先輩→俺で、リップクリーム共用・・・。別にいいんだけど、いいんだけど。いいんか?

すごい美形だと噂の、先輩の奥方と、リップクリームを挟んで唇を合わせたと思えばいいか・・・。
いや、その妄想も俺的にはゲロゲロだ。
夢を見た。
ウフィツィ美術館を妻と見学している夢だった。
ダ・ヴィンチの「受胎告知」の絵の前で「この聖母の顔は厳しすぎるよな」などと、妻と話し合っていた。
大天使ガブリエルの赤い衣も、聖母の青いマントも色鮮やかで、リアルな夢であった。
俺の脳髄は何を呟いたのだろうと、寝覚めにしばらく考えた。

妻に話したら、画家などの色に敏感な職業の人は、天然色の夢を見るとか聞いたことがある、と言った。俺はゲージュツはわからんのだが。


正午過ぎに地震。先日の能登の地震より、揺れは強かったように感じた。
ちょうど、昼飯の後、娘と書斎に入ったところであった。
本棚ががたがた揺れた。とっさに必死に本棚を押さえた。
娘は空に目を見張って座り込んでいた。
揺れが治まると、娘は俺の脚に擦り寄ってきた。
妻が書斎を覗いて「また能登?」とか言う。
居間に戻ってテレビをつけると、三重だとわかった。
東海地震であるとか、東南海地震であるとか、両方連動であるとか、近い将来に起こるだろうと言われて久しい。ここへきて、地震活動が活発化したのか。日本国内でももちろん、世界中をみても大きな地震が立て続けに起こっている。
「気持ち悪いね・・・」と話し合った。家を建てようとしているので、余計に不安になる。

友達のところは、怪我や倒壊などの被害はなかったそうで、安心した。
昨日よりは肌寒い。小雨模様である。


今日は通院日。処方が変わった。
聞いたことのない薬だった。薬剤師によると、去年こっそり認可された新しい薬だそうな。Pに似ているが、Pにありがちな副反応が出にくいとのこと。
略歴聞いても、な・・・。自らの肉体でとっくり検分いたす所存、ってところ。

街の春祭りであったが、あいにくの天気。それでも中心街には、沢山の見物客がいた。
改めて昼から、家族で見物に出ようかと思いついた。


祭り見物ということで、娘は赤い別珍のスカートに着替えさせた。二重のスカートでレース飾りがついて、ふわりとお姫様のスカートのようだ。女の子らしく、おしゃれをするととても嬉しそう。
妻は小さいころ、母親にズボンばかりはかされていた為、スカートに憧れていたわ、と忘れていた思い出を話した。
そして「今はもう、脚出せないしな」と笑って付け足した。ぽっちゃりした脚がぴょこぴょこ跳ね回るのも、俺は案外好きだが・・・いやいや。
可愛い娘が生まれたのだから、憧れを娘に投影するのも楽しかろう。

空模様は怪しかったが、雨は落ちてきていなかった。
中心街の駐車場はどこもいっぱいであった。祭りのメイン会場には少し歩かねばならなかった。
散り際の桜を入れて、何枚か写真を撮った。晴れていたらもっとよかったのに、こればかりは仕方ない。
屋台のベビーカステラなど買い、食いながら歩いた。
娘の小さい手は冷たかった。スカートの裾をひらひらさせながら、先へ先へ歩いていこうとする。俺の手を振り切ろうとする。
危なっかしいなとはらはらしながらも、すっかり一人前のつもりで歩いている娘をほほえましく見た。
祭りの通りの端まで行き着く前に、雨が降り出した。ちょっと残念だったが、本格的になる前に帰ることにした。

スーパーで軽く買い物をして、帰宅。
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