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夫婦の日常と こころの中のこと
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風の強い一日。冷たい風だ。
二月はあっという間に終わった。行く一月、逃げる二月、去る三月・・・その通り。
職員の異動の話などもますます、聞かれるようになった。


今日、妻に例の地面を買う決心をしたことを話した。妻もそこがいいと言っていたから、異存はない。
週末にでも不動産屋にちゃんと話をして、手付けを打つつもりである、と話した。
妻はきちんと座りなおして、神妙な面持ちで聞いていた。そして、妙に畏まって「ありがとうございます」などと、俺に言った。
妻のために家を買うのではない。我が家族の幸せのために買うのだ。俺一人で家を買うのでもない。丁寧な感謝の言葉は不釣合いだと思えた。
妻は、俺の稼いだ金を払うのだから、やはり言葉は要るだろうと思ったのだ、と答えた。経済的に家庭を支えているのは俺で、更に負担を負わせることになるのだから、とかも言う。
その気持ちはありがたいが、俺には違和感がある。
専業主婦の中にはどうしても、「食べさせてもらっている」という意識が根付いてしまうのだろう。だからといって、奴隷的な感覚・・・一方が常に感謝され、もう一方が常にへりくだる立場・・・になる必要はないはずだ。
学校を出て何もわからないときから、一緒に一人前になる過程を過ごしてきたというのに。13年にも亘る間、助け合って成長してきたことを、妻の中で評価してほしいと俺は思った。
その辺のところを妻に諭すが、わかりが悪かった。

毎日妻がしている仕事を、たとえば家政婦を雇ってしてもらうとする。相当な金額を要するだろう。しかし、妻のしている仕事は家政婦がする仕事だけではない。金額では表現されない種類の仕事こそ、専業主婦の仕事の主たるところである、と思う。
思いやり、気遣い、愛情に根ざした主婦の仕事は、最も尊い職業のひとつだ。世の中の根幹を支えている。そう、俺は思う。
専業主婦であることを恥じることはない。

「家のこと、一緒に喜んで、楽しみにしていればいいのです」と妻に言った。
嬉しそうな妻や娘の様子を目にしてこそ、俺は家の計画をしてよかったと思い、納得して仕事に励むことができるだろう。
妻は、俺の応援団長なのだから。

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曇り。もやもやした空模様であった。気温も高めである。
梅の花が咲き始めた。花壇の草花の芽も伸びてきた様子。

今日は現場も客廻りもさくさくと、うまくいった。急な用事もなく平穏にすんだ。いつもはたまりがちになる書類も、今日のうちに始末がすんだ。
夕方の勉強会にも落ち着いて出席できた。
帰りは雨が降り始めていた。乾ききっていたアスファルトにしみ込む雨の匂いが、辺りに立ち込めていた。


早めの帰り。ゆっくり家族と夕食をとる。
小松菜と薄揚げの煮びたし、鰤の刺身、茄子のしぎ焼き、長いもの短冊、味噌汁。もう少し脂っ気があってもいいのではないかと思う。妻にそう言ったら、最近俺が太り始めたようだからだ、と答えた。
確かに少し体重は増えた。気をつかってくれてありがたいと、素直に思った。
妻は夕食が物足りなく思わないのか、と訊いてみた。すると、昼間に肉を食っているから大丈夫だ、と答えた。
俺を案じてくれるのに感動していたのに・・・拍子抜けした。
自分だけが脂ものを食べていると正直に告白しなくてもいいのに、あっさり言ってしまうところが、この女らしい。空気を読めない、と言うと悪口になってしまうか。ずれ具合が可笑しい。

妻が夕食の片付けをしている間、娘と絵本を見る。好きなのを取っておいでと言うと、必ず「しろくまちゃんのほっとけーき」を取ってくる。内容を身近に感じるのだろう。


妻の主張。1月31日は「愛妻家の日」だそうだ。語呂合わせだ。その日に生まれた俺が「愛妻家」にならなくてどうする・・・。
今日の新聞に載っていた話だと言って、その記事を見せてくれた。
何でも、妻を愛する亭主の会のようなものがあり、「愛妻家の日」は仕事を早めに切り上げて家庭で過ごそうという運動をしたそうだ。「ありがとう」「ごめんなさい」「愛しています」と素直に妻に言おう、ともある。
不倫だ、婚外恋愛だと浮かれ騒ぐ馬鹿どもと比べれば、たいへん麗しく、素晴らしい宗旨であると思う。
世間では、夫婦の関係を見直そうという機運が起こってきたのか。
先日ネットの友人・れんげさんのところでも、夫婦の会話の大切さについての話がされていたことを、俺は思い出した。

酷いふるまいをして辛い思いをさせただろうこと、それでもなお傍で支え続けてくれること。深い愛情を寄せてくれること。和ませてくれること。家庭を心地よく整えてくれること、などなど。感謝することはいくらでも思いつく。それらを言葉にしていなかったとも思いつく。
うまく言葉にならないような気がした。ひとつひとつ語っていると、感情が激してしまうような気がした。
「いつもすまんね。ありがとう」
妻は「好き・・・とかは言わんの?それも言わんとあかんやろ」とニヤニヤしながら、俺に要求する。全く困った女である。
それをさらりと言える男は、本物の愛妻家か相当な遊び人かだと思う。俺はどちらでもないので、無理だ。

しかし、愛妻という生き方は格好いいかもしれん。
肌寒い晴れ。風はやんだ。
職場に行こうとしていたら、昨日の不動産屋から電話。ちと話の進め方が早いのではないか、と思う。こんなものなのだろうか?
話をした土地の他にも幾つか紹介したい物件があるとも言う。熱心である。
そんなに俺は買いそうに見えたか?
不動産屋の話に乗せられていくきらいもないではないが、午後から約束をして電話を切った。

午後から二つほど、土地を見に行った。
ひとつは、新しい街並みで、傍に公園もあり、雰囲気のよい団地であったが、目の前に用水があった。水場の傍は何となく嫌である。公園が傍というのも、考えようによっては良くない気がする。
もうひとつは、結構立て込んだところにぽっかり空いた地面。近所の人が俺たちを見ていた。悪気はないのだろうが、奇異の目で見られるのは落ち着かない。何となくうるさそうな人種であるように思えた。
どちらもどちらであった。
もうひとつおまけに見せられた郊外の土地。一跨ぎ出れば、こんなに安くなるのかと驚くほどであった。しかし、車がなければ不便な場所である。買い物をするところも、小学校も中学校もかなり遠い。子供のことを考えると、アウトである。
やはり最初の土地がいいように思われる。馴染みの地域である。生活の便は問題がないのは、今まででわかっている。街に遠すぎもしないし、近すぎもしない。
その旨、不動産屋に伝えた。

話が進みすぎである。全てが決まってしまう前に、実家に電話。
母のことで帰省した折に、かすかに話をしておいたので、弟はさほど驚かなかったようである。
ついでに姉にも電話をした。こちらの方が、長男のくせにどうとか・・・うるさかった。
年かさの叔父にも電話。酔っていたようで、くどくど関係のない話を聞かされた。
別な叔父にも電話。家を建てる大変さを延々と聞かされた。
しかし、俺の親族は誰も反対をせず、あっさりしたものだった。ちょっとさびしい気もする。
妻の実家は留守であった。明日にでも電話して、あらましを伝えておいてくれと、妻に頼んでおいた。

家の建築が具現化する兆し。妻は上機嫌である。俺も身の引き締まる気分になる。結構二人で燃えた。
とはいっても、まだ契約もしていないのだが。
晴れ。風の強い一日であった。

朝方、いつものように職場に出かけ、仕事を少しした。
先輩に会ったので、昨夜の確認がてら相談をした。先輩は忙しかったようで、ぼんやりしていたが。仕事に真摯なひとなので、嫌な顔はされなかった。ここらへんは見習いたいところのひとつ。


帰宅後、我が家のかねてよりの懸念事項について、妻とみっちり話し合いをした。
家のことである。
近いうちに家を持つことは同意していることなのだが。ちょっと離れた場所の建売を買ってしまうか、ほんの近所の地面を買って建てるか、そこに協議の余地がある。
建売は街により近く、幹線道路から一つ入ったところにあって、交通の便はよさそうである。教育施設も近く、子育てにはよいと思われる。職場にも少し近くなる。ただそれが俺にとっていいことなのか、どうか・・・は疑問がある。
地面の方は、まさしく今住まいするところの隣といってよい場所である。環境的には、旧来の農村地帯であり人情味のあるところである。だが、坪単価に割高感がある。田んぼでその値段なのか、といったところ。
妻は、建売は細かいところまでわからないから不安だと言い、間取りをあれこれできないのも不満だと言う。
そうはいっても、先立つもののことを考えれば、望むだけの建築物が建てられるわけではない。
ああでもないこうでもないと、夫婦で話し合う。
娘は知らん顔で、ビデオ教材に興じていた。その歓声が耳に入ると、娘のためも考えて侃々諤々しているのにと思えて、理不尽な苛立ちを感じ始める俺であった。

机をはさんで討議していても埒があかない。
まず建売の実際を見学しに行くことにした。
新しく造成された場所ならではの、赤土の鮮やかな地面。真新しい美しい街並みである。建物に合わせて、垣根や塀も今風なもので、体裁よくみえた。
ただ敷地いっぱいに家が建っている印象。廊下も階段も思ったより狭い。風呂場や台所の新しい設備を説明されたが、あまり心惹かれなかった。妻はほらねという顔をした。
「先生みたいに、でかい家で育った人には物足りんに決まってるわ~」と言った。
俺は大きければいいとも思わぬが、隣とあまりにもひっついているところが気になるのである。
これでは、派手な夫婦喧嘩をしたら、翌日に近所中に知れ渡ってしまう。そんな派手な喧嘩はしないが。
これでは、派手な大勝負をしたら・・・(以下自粛w)・・・である。
無口なまま、建売を去る俺であった。

次は近所の地面である。これは見たら状態がわかる。現状休耕田。面積何坪、坪単価いくら、連絡先の記載された看板が立っている。
ふ~ん、さて帰ろう、という感じだ。
しかし、妻は看板の連絡先に電話しろと、俺に強く要求した。電話したら、買うと思われるじゃないかと俺が反論し、買う気ないんかと妻が応酬し、そこでまた夫婦で押し問答。娘まで「けーたい!」と、俺に電話を勧める。母娘でタッグを組んでいるもよう。けしからん。
結局電話。
地面を買うかもしれないときって、話の端緒をどう切ればいいのかな、と悩みながら電話した。「どこそこの地係の地面のことなのですが・・・」と言いかけたら、相手は全てを察してくれたようで、助かった。
不動産会社というか、建築会社の不動産部といったほうがいいだろう、そこのひとが駆けつけてきた。立ち話をするには風が強すぎたので、会社で商談するべく自宅に車をとりに、歩いて帰った。文字通り歩いてすぐなのである。不動産屋さん(便宜上)も「ご自宅はそこですか」と笑っておった。

それから、整地の話やら建築条件の話やら、もちろん金の話など。当然、融資を受けなくてはいけないのだが、金利やら返済期間やらの複雑極まりない話を聞いた。
俺も勉強が必要であると痛感した。ローン相談会などに出席してみなくては、などと思い始める。不動産屋さんも相談にのってくれると言ってくれ、心強い。
おやまあ、もう買うのかしら?である。
熟考すると言って、辞した。

帰宅後、我が家の資産をあらためて、妻とまた話し合いをした。
もう建売の線はない。今日見た地面も悪くはない。価格はいまいち納得がいかんが。
妻は「いざとなったら、あたしも働くわ~」と泣かせることを言ってくれた。
そこまで困窮させるとは思わないが、長期のローンを抱える気構えとしては順当である。実際問題、嫉妬心の強い俺は妻が外で働くのは好まないので、ないことだろう。


機は熟したか?
俺が37歳、妻が35歳、娘が2歳。おそらく第二子の誕生はもうない。
本格的に考えていい時期であろう、と思える。
昨日までの晴天は中休み。春の暖かい雨が降る。

今日は忙しかった。予約客と商談をする日であるが、こんなに予約を入れたのだろうかと思うような数の人たちが押し押せて来ておった。たまにこういうことが起こる。そして昼飯が食えなくなる。
山のような客の資料を横目に、ひとつひとつさばいてゆく。午前の半ばごろには、大幅に予定時間が狂ってしまっていた。客の中には、俺に待ち時間の長さを愚痴るひとが出だした。約束があってないようなものだとか。ごもっともである。
受付のお姉さんにはもっと言われていたことだろう、と申し訳なく思う。
言い訳のようだが、俺の仕事が遅いわけではない。諸事情があるのである。
言い訳をするが、俺はじっと座ったまま、ひと息もつかず、仕事をし続けているのである。サボったり、ケチったりしているわけではない、と言いたい。言えないところが苦しい。
昼休みにずれ込んで、午前の仕事終了。隣の部屋では、部長がまだ商談をしていた。他部署の前を通ったら、まだまだ沢山の客がいた。大繁盛である。

昼は昼で、現場がいくつかあった。その間に急な仕事もできて、かなり忙しかった。わけが解らんようになった。
やっと得意客廻りを始めたら、夕方の約束の客が来てしまった。この人は常識的に早めに来てくれたのだが、俺の方がわたわたしてしまい、ずいぶん待たせることになってしまった。

それから、上司にまた書類のチェックをされて、助言をいただいた。小言とも言う。彼も暇なわけではないのに、ようも手が回るものだなと変な感心をした。
先輩と今度の仕事の相談をしたかったが、先輩は当番が付いていてなかなか事務所に戻ってこない。書き物をしながら、軽く食事をしたり・・・待ちくたびれた。
客の様子を見に行って、休憩室の長いすで半ば眠っていたら、やっと先輩が現れた。男二人で仕事の話を少しする。


帰りの空は雨もやんで、雲の切れ間から星が瞬くのが見えた。オリオン座が西の空に傾いている。
緑濃い沈丁花の木に赤い房状の蕾が沢山ついているのが、夜目にもわかる。夜風も、コートの襟を立てるほどの冷たさではない。
冬も終わりだ。

一日、がんばったと思う。
晴れ。朝、玄関を出ると、羽虫が群れになって飛び交っていた。春めきすぎて、雪虫という言葉には似つかわしくない。

最近、考え方が更に後ろ向きである気がする。つらりと近頃の自分の書いたものを読んでいても、感じるのは「負のエネルギー」ばかりと言おうか。ため息ばかりをつく。
去年、休職したときのことをよく思い出す。あのときはどれくらい疲れていたか、と。今よりも疲れていたのだろうか、と考えてみる。
仕事は今よりずっと忙しかったはずだ。病院にいるときは家に帰りたくてしかたがないのに、家に帰ると患者さんのことばかり気になっていた。相反する気持ちが、俺をことのほか焦らせ、消耗させていた。
今は・・・仕事はずいぶん加減している。職場では目の前の仕事に一生懸命に取り組めている。楽しいかと自問すれば、楽しくはないのだが。それは俺が仕事が嫌いな所為であろう。
やりがいを感じるかと自問すれば、まあまあある、かな。卑近なところを目にすると、やってられんという気になる。反対に、ひとの強さに感動することもある。
・・・ま、去年よりはよい状態であると思われる。


遅めの帰宅になった。妻と娘はもう寝室に引き取った後だったが、俺の帰宅を察して妻が現れた。
妻は、俺が夕食を食べてきたのかと思っていたようだった。勘違いを詫びながら、煮物の残りを温めてくれた。それから冷蔵庫を探って、はたはたの干物を焼いてくれた。
俺が夕食のおかずを残しておいてくれと連絡していなかったのが良くないのだが、妻は責めなかった。今日の妻は優しい。
俺の食うのを見ていて、妻も小腹が減ったと言い、夜更けに二人で食事をした。
家に帰るとほっくりとする。知らず知らずのうちに、緊張を感じていたのだなと知る。
のんびりした妻がする、何でもないようなことが俺を労わるのだった。
春の陽気。青い空は光に満ちて、眩しいほどだった。

並列で現場仕事があった。精神的に追い込まれるような仕事ではないが、長時間の労働で肉体的に疲れた。
ずっと立っていて脚が棒のようになった。座ると立ち上がれそうにない、と思われた。かといって、歩き仕事もしんどかったのだが。
寄る年波には敵わないということか。最近足腰の衰えについて託ってばかりいる。


少し前、友達との間に理解の齟齬があった。俺は言いたいことはみな話した。友達は俺の言うことに反論することはなかった。しかし、俺は友達の言うことに、ある種の空々しさを感じていた。俺の言うことに迎合しているだけのような、そんな感じであった。
その人の本心がどうなのかはわからない。言葉の間を読むことや、実際の行動を見ることで、ある程度推察できるつもりだが、やはり言ってもらわなくては本当のところはわからない。
俺に気をつかってそうしたのかもしれない。
しかし、話してくれなければ、感じた違和感は増大するばかりである。話す相手ではないと思われているのだろうかと、俺は哀しくなる。
意見の違うのが悪いのではない。どう違うのかをお互いに理解しあっていないのが、いけないのだと思う。
そして、こういうのはストレスのたまることである。今後の関係でも、ストレスを感じ続けるのだろうか、と思えてくる。

人間関係にストレスを感じないことなど、ない。二人寄れば、夫婦であってさえ、何らかのストレスがある。あるときに、彼はそういうものなのだと突き放すことも必要なのかもしれない。
俺が思うように、彼は思わない。或いは、俺が思うように、彼も思う。どちらも真である。前者を認め、後者を喜ぶことはできると思う。


駐車場に止めてある車のフロントガラスが汚れていた。黄沙か、花粉なのか。黄沙の観測は報告されていないようだから、花粉なのだろう。結構な量だ。
花粉アレルギーのひとにとっては、嫌な季節になったのだろうな、と思いながら、ウォッシャー液で流す。
晴れ。温かく、土の色に春のはしりを感じた。
今朝あたりから何となく、胃に違和感を感じていた。昼ごろになって、はっきりと自覚される。
パキシルの所為か。SSRIはどうしても飲み始めに消化器系に不愉快な副反応が出る。身体が薬に慣れるまでしばらく苦しいなと、諦めるしかない。
それと軽い倦怠感。アモキサンの退薬反応であろうか。単に月曜日の所為かもしれない。
腹具合が悪いといいながらも、しっかり食事だけは摂るところが、俺の特徴だ。肉体労働ゆえ、腹減っていては話にならん。無理してでも食うのである。

晴れたからではないだろうが、店は忙しかった。また出入りも激しかった。
夕方営業会議。今週は並列で現場を抱えている。いまいち体調不良であるが、しゃきんとしなくてはと思う。
会議の後、商談がひとつ。客の表情が微妙なものであったので、嫌な予感がした。
俺の説明がわからないらしい。難しく話しているつもりはない。話がかみ合わないなと思っていたが、客は現在の状況をはっきり把握していないようであった。
もっと自分のことには関心を払おうよ、と思う。
初っ端からの話を繰り返す。俺も面倒であったが、客も疲れたようであった。
完全にわかっていないのではないかと思われたが、特に質問もなく終了。いいのだろうか?


夕食に、折菜が並んだ。例年なら畑は雪の下であるが、暖冬ゆえもう折菜が出た。いつも折菜をくれるおばさんが、芽がぼうぼうに出ているからいつでも折って持っていけばいい、と言ってくれたそうだ。
油揚げと煮るととても旨い。少しほろ苦い味がする。
折菜の煮びたしと、ひじき豆、さわらの塩焼き、味噌汁、の夕食。
「さわらは魚偏に春って書くんやで」と妻が言った。
さわらの旬が春なのかは知らない。一年中あるような気もする。
妻は、春の香りを食卓に出してみたつもりらしい。心づかいが可愛いと思う。
雨。肌寒い。

今朝は通院。
低め安定で落ち着いている。しかし、眠りが浅く夜中にたびたび目が覚めるのが困っている。こういうのは、体力を奪う。
夜の薬の内容が変更になった。アモキサン終了。またパキシルだ。それでいいのか?

娘にやった絵本にちなんで、早速ホットケーキを焼いた。妻が作ったのだが。
娘も作るところに参加した。「ぷつぷつぷつぷつ・・・」などとつぶやいていた。


なんか・・・な~んもわかってないよ。
思ったとおりで、可笑しいような。
本なんて読まない人は、迷うことなどないのかもしれない。

南風の強い一日。生暖かい風に乗って、雨が降る。春めいた雨ではない。枯れた景色に、やけに温かい雨が不釣合いであった。


今日はバレンタインデーである。既婚者の俺にはあまり関係のない日である。
職場に大掛かりな義理チョコの習慣はないが、実質はあると言ってもいい。本命チョコではない、「お世話様チョコ」とでも言えばいいのか、そんなものをいくつかもらった。

そして、今日は俺の娘の誕生日だ。
妻は二年前のバレンタインデーに、誰にもまねの出来ない贈り物を俺にしてくれたというわけなのだ。一生分のバレンタインチョコをもらう以上のことだ。だから、妻からのチョコレートはないことになっている。
娘のプレゼントはアマゾンで絵本を5冊、買っておいてある。
身近に本のある生活は豊かだ。望んだときにいつでも物語に触れられるのは、素晴らしいことだと思う。
娘はもちろん自分では読めない。俺か妻が読み聞かせてやることになる。遊びのレパートリーの少ない俺だから、読み聞かせは、父娘の触れ合いのよい機会になるだろう。

それに加えて、友達からの入れ知恵で、アンパンマンのレトルトカレーを買って帰ることにした。
結局これが一番喜んだもよう。パック2個に小分けされている商品なのだが、二つとも食べた。旺盛な食欲である。

【娘の書棚】
しろくまちゃんのほっとけーき・・・ホットケーキが好きな娘が喜ぶと思われ。
ブルンミとななつのふうせん・・・色鮮やかで、可愛い絵柄に惹かれた。
うしろにいるのだあれ・・・単純な動物の名前あて遊びだが、構成がよい。親子で楽しめる。
かくしたのだあれ・・・これも遊べる絵本。探し物と数遊び。
くれよんのくろくん・・・娘には少し難しいかと思われるが、他者の個性を認め合い、協力する大切さを知ってほしい。

晴れ。温かく柔らかな日差しの注ぐ一日であった。

37歳の声を聞いて、というわけではないが、目の衰えを感じる今日この頃である。
先輩もそうらしい。二人して、肉体の老化の兆しについて会話。
寒くなると足腰が痛くなるとか。風邪が治りにくくなったとか。脂ものを以前ほど受け付けなくなったとか。そんな寂しい話をした。
以下は先輩の実例である。
巷で話題の「メガマック」というマクドナルド社のハンバーガーがある。発売直後に、先輩は息子と出かけて食べたそうだが、ようよう一個を食ったという。4枚のビーフパテが胃に重く、半分過ぎて嫌気が差してきたそうだ。息子は「メガマック」にチキンナゲット・ポテト・飲み物のセットをぺろりと平気で平らげたという。父親の先輩は夕方まで、胃がもたれて仕方がなかったというのに。若いってすごいなと感心していた。
俺はまだそのハンバーガーを食ったことがないので、詳細はわからないが、オーストラリアのお徳用肉のビーフパテ4枚と聞いて、さぞかし脂っこくもぱさぱさなのだろう、と想像した。
またテレビ番組を見ていて「ノーマン・パーキンソン」という外国人の名前のテロップを、先輩は思わず「ノーパン・マンキンソン」と読み間違えたとか言う。
ノーパンでマンでキンは・・・、神聖なる職場ではマズイやろう、先輩!
二人で大笑いした。

しかし、ここに記述してみて、俺もなんだか一瞬そう見えた気がした。
「バブル」を「バルブ」と間違える老人など、以前はよくいた。英語教育を受けていない高齢者の世代の、独特な現象だと思っていたのだが、そうではないのかもしれない。
先輩や俺の例をみると、日本人は年を経るとカタカナ語や外国の名前などに弱くなるのではないか、という疑いを感じる。要するに、我々は脳の老化が進んでいるもよう。

先輩と俺はいつも、頭の悪そうな話になってしまう。しかし当の先輩は至極まじめな顔で話すのだから、余計可笑しさがある。緊張感がどろどろに融けて、いい感じだ。
今日の現場もまったりと独特の雰囲気で、終了した。仕事自体はうまくいった。よろしかろう。

小雨が降ったりやんだり。空は薄く青空である。彼方に虹が現れた。

最近ネットの人間関係について思うことが多々あった。他人の発言の意図をはかりかね、俺は思い悩んだことであった。
しかし、俺が誰しもに「いい人」と思われる必要もない。他人を傷つけまいとあいまいな言葉で濁すのは、返せば、俺自身を守ろうとする卑屈なこころの表れ、とも言える。
仮面をかぶって演技をするのはリアだけで充分だ。それに疲れて、はけ口を俺はネットに求めたのではなかったのか。

女房に惚れ続けているのが気持ち悪いと思うなら、思え。他の女にうろちょろする方が気持ち悪い。
気障ったらしい書きようだと思うなら、思え。思ったとおり書いているのだから、センスの違いだ。
同情をかいたいのだと思うなら、思え。母親を偲ぶ気持ちに偽りはない。
もう、俺の仁義に合わないことはしないわ♪
以上。


明日の予定現場の下見に職場に出た。とっくり話し合ったはずだが、どうも客は不安そうであった。客にとっては一世一代の勝負なのだから、仕方のないことだろう。ひとしきり言い聞かせるが、やはり不安げであった。
どうしても俺には日常業務のひとつとしてしまいがちである。もっと客の気持ちを思いやらねばならん、と思う。今日はこれ以上の成果を望めないようだが、現場では丁寧かつ迅速な対応を心がけようと、思いを新たにした。
技術的にも日々の勉強を怠れないが、それ以外の面でも修行が必要だ。人生経験の不足が思われる。もっと弱い立場を思いやり、寄り添うことができるようになりたい。


夕食は鱈チリ風の鍋物。
妻が近所のおばさんに教わったという、大根の薄切りをしゃぶしゃぶして食うやり方を試してみた。
向こうの透けるほど薄くついた大根である。鍋に入れるとみるみる嵩が減って、量がいける。ポン酢に合って、なかなか宜しかった。
人参などもしてみると、栄養的にいいのではないかと思われた。今日はなかったけど。
食後にレタスを半分ほどかじり、満足であった。

妻は、長くなってきていた前髪を自分で切った。切っているうちに短くなってしまったとかで、悔しそうであった。いつまでも、前髪をいじっていた。
とはいえ、俺が切ってやった娘の前髪よりは、ずっと見栄えがよい。妻が言うように、外を歩けない風ではないと見えた。
むしろ俺は、少女めいて可愛く、妻の個性にあっていると思った。正直にそう言うと、文句を言われそうだ。文句とは・・・「なんでもいいんやろ」とか、「どうでもいいんやろ」とか、「どうせガキ臭いよ」とか、言われそう。
「美容院で切ったらどうです?」とだけ言ったら、不経済だと返された。そんなものなのか。
妻は後ろの髪をまた伸ばすつもりらしい。
そうすると、手のひらに冷たくずっしりと重い黒髪の、あの感触を俺はまた楽しめるというわけである。それは喜ばしいことである。
白梅も紅梅もまだ先だが、芳しい匂いの傍にあること!

小雨が降ったりやんだり。

午前中は職場に出た。得意客廻りをして、店番の手伝いをした。連休前の土曜日だというのに、店は混雑していた。予定外の仕事だが、俺はそれほど苦痛に感じていなかった。
俺の働いているのを見つけた上司が「大丈夫なのかね?」と声を掛けてきた。俺の体調を気遣ってくれた発言なのだろう。しかし、気分を逆撫でされた。
応援を頼んだ先輩のように「すまないねぇ」くらいの言葉にしてほしい。必要以上に案じられるのは、あまりいい気分ではないのだ。
上司に偏見があるとは思わないが、対応の仕方には難があると思う。言葉はやはり難しいものだとも思う。相性ということもあるだろう。
別な考え方では、上司に案じられるほどの様子であることを教えられたか。少しばかり上向いたからと、普段通りに動くのは無理なのだと、自戒しよう。


正午に遅れて帰宅。
午後はしばらくPCに向かおうと思っていたら、妻に買い物に誘われた。
娘と留守番でもいいのだが、俺は子供だましのネタが少ない。娘のパワーに圧倒されて、困ってしまうことも多いのだ。最近娘も我侭をいうようになり、余計に扱いあぐねることもある。
気分転換にもなるだろうと、三人で買い物に行くことにした。

肉料理が続いたとて、今晩は魚にした。赤カレイの、大きくて良さそうなのを三尾買った。それと、しばらく貝を食っていないので、俺のリクエストにより、しじみを購入。その他、日常的に使用する食材をいろいろと。
途中娘がキャラクターもののレトルトカレーをほしがって、その場から動かなくなって困った。妻は買ってやったらいいではないかと言ったが、俺はここが親の我慢のしどころだと思った。
「それはいらない」と言って娘を説得したが、聞き入れてもらえない。
「買わないよ」と強めに言って、抱き上げたら、そっくり返って大泣きした。周りの買い物客が振り返って、非常に恥ずかしかった。妻は、いわんこっちゃないという顔をして、俺を見た。
なだめながら、急いでその場を離れた。娘はしばらくぐずっていた。
俺はほうほうの態で、妻に「いつもこんな騒ぎをおこしているのですか・・・?」と尋ねた。
妻は、子供と買い物に行く苦労が少しわかったか、と苦笑いした。そして、なるべく危険地帯(キャラものの製品のあるところや駄菓子の並んでいるところ)には近づかないようにするのだ、と教えてくれた。やむを得ない場合は「ひとつだけね」と強調して、納得させて買ってやっているのだ、と。

妥当だ。至極適切な対応である。毎日の経験が着々と、妻を母親にしているのだと感心した。
俺の制止の仕方には問題がありそうだ。否定的な言葉を出したのが失敗のひとつだと思った。娘との呼吸の合っていなかった点も思われる。
こういったことは頭でわかっていても、とっさにできないものである。
いかに俺が普段子供と接していないかを物語る出来事であった。
また、今思えば、上司と俺とのやり取りにも似た匂いがする。

魚料理の苦手な妻にかわって、赤カレイの下準備だけしてあげた。三尾ともメスで、卵を沢山抱えていた。煮付けにする。
妻が夕食の支度をしている間、娘と通信教育(?)のビデオなど鑑賞。これは、時間は短いが、娘は集中して見る。子供の関心を引くつくりは、さすがである。

夕食は、赤カレイの煮付け、筑前煮、しじみの味噌汁、水菜のおひたし。カレイの卵がねっとりとして、食いでがあり、たいへん美味であった。

日中は晴天であったが、夕方より小雨。さすがに雨が降ると、ぐっと気温が下がる。


三年前に買った、新しい結婚指環を眺める。あのとき、そろいの指環は同じくぴかぴかに光っていた。
時を経て、妻の指環は、日ごろの家事で、いくらか細かい傷がつき、くすんだとまでは言わないが、輝きがまろくなってきた。
俺の指環は、ほぼ買ったときのままの鋭い輝きだ。毎日指にしては出かけるが、仕事柄職場で外しているから、傷まないのだ。
指になじんだ妻の指環を見ては、同じように妻が俺との新しい暮らしになじんだのかと、空想する。指環のまろみのように、妻の心も丸くなったのかと、想像してみる。
すると、俺はどうなのだろう。さしずめ、あのときのきらきらとした情熱のまま、とでも。
指環の様子から、お互いの心を占うなど、俺の流儀ではないが。以前妻がそんなことを言っていたのを、思い出したのだった。


丸く柔らかなお前と、硬質な俺と、
いっそどろどろに融けて、
他も己もわからないほどに。
それができないのが、
男と女の切なさ、愛おしさであろうか。

どんな謎があるのか、
いかなる神秘があるのか、
まだまだ知りたくて仕方がない。

昨日に引き続き晴天。明らかな陽光が景色を美しく見せていた。だが、大気の中に春の匂いは、まだ感じられない。


今日は朝っぱらから現場だった。超慌ただしかった。ま、俺は「現場第一の男(爆)」ゆえ、どっちかというと好ましい。もともと口が重いが、最近の精神状態では、営業がしんどくていかん、というわけだ。同じ疲れるなら、現場疲れのほうが、まだいいわい。
若いのと二人、静かな仕事であった。だが、あまり大人しすぎるのはどうかと思う。
なんか、しゃべれよ・・・。お天気の話でもいいぞ?って感じであった。
この若いのには、最近顔をあわせるたびに、細かいことを諭していたゆえ、俺のことを「小言じじぃ」と認識してしまったのかもしらん。
といっても、細かいことが大事ってこともあるんだぜ。小さなことからこつこつと・・・って言うじゃねぇか。
ある意味、それって、俺が上司に感じている偏見と同じ種類である。ある意味というか、そのまんまだろうって話もあるな。俺=あの上司・・・、それは嫌だろう、俺!
ちと、この若いのに対する俺の態度を改めなくてはいかんかな、と殊勝にも思い始めた。遅いかもしれんが。

現場から上がったら、お姐さんが待ち受けていた。書類の書き漏らし的な問題。気を利かしてくれてもいいじゃんか、と都合のいい言い訳が浮かんだ。

朝の一仕事の関係で、予定が圧した。脱力しがちな身体を引っさげ、えっちらおっちら駆け回る。
飯食ったり、煙草吸ったりする時間、ぼーっとする時間って、労働者には必要なものだと思われるのだが。如何?
それでも、キツイ当番からは外れているし、贅沢言ってはいけないのかも。

夕、現場の顛末書を書いていたら、若いのが俺に話しかけてきた。今度の会議の相談だ。指導を請うってやつですな。なんのかんのいっても、俺に懐いているのかもしらん。
正直、俺も自分の書き物に乗ってきたところだったし、手を止めるのは嫌だった。「面倒くせぇ。んなもん自分でなんとかせぇ」と思ったが、聴いてあげた。そりゃ、偉そう過ぎる言い方か。
俺の勉強にもなるし、仕事の確実性を求める身としては、やぶさかではない。そんなまっとうな気持ちもあった。としておこう。事実だ。
二人して資料に目を凝らし、侃々諤々。またまた細かいことばかりに目が行く俺で、そこのところを指摘してやった。若いのは今ひとつ判らんようであった。
修行が足りん。眼力を鍛えさせる必要がありそうだ。しかし、それはまた「これから♪」のお話である。今日のところは勘弁してあげよう。
「ほ~れ、ほれほれ、ここじゃよ」と教えてあげた。
いつもより、ちょっと優しい俺であった。

早朝覚醒。この季節だと、明るくなるまでが長くていかん。
今朝はたいそう冷え込んだ。
東雲の美しさに、自然と合掌したい気持ちになった。

体調はあまり良くない。
今日は仕事の状態が忙しく、投げ出したい気持ちになった。
他人の言動がいちいち気になる。それがボディブローのように俺の心身に効いてくる。
俺は言葉に幻想を抱きすぎるのか。それとも病気が敏感にさせているだけなのか。本当に、自分のことは自分ではわからないものだ。ため息の出ることだった。
黙々と歩き続けるしかないが、ほんの少しでも前に進んでいると思えば、また違う思いも湧くだろう。


夕食後、レタスを一玉かじる。久しぶりに食った。満足。二・三個買い置きをしておいてくれるように、妻に頼んでおいた。
疲れた。

晴れ。きりりとした冬の大気に、空が澄み渡っていた。

本日は何もコトをなさないことにした。
鬱の波がじんわり続いており、どうしても「天を呪い、ひとを恨み」といった気持ちになりがちだからだ。こんなときは、何もしないにこしたことがない。
娘のままごと(?)の相手を、不真面目に務めたり。CMソングに合わせて踊りだす娘を鑑賞したり。寝転がってできることばかりに、終始した。

嗚呼、娘よ。こんな父を見て不甲斐ないと思うか?
・・・やめよう。気が滅入る。
男ってやつは、休日はごろごろしているものだ、と娘に刷り込んでおくのは、ある意味、彼女の将来のためになるかもしれん。


歯間ブラシを切らしていることを忘れていた。近所のドラッグストアには、俺の使っているサイズは売っていない。間に合わせにフロスを使ってみたが、使い勝手が悪かった。
すっきりせず気持ちが悪い。
明日、行きつけの歯科に寄って買ってこなくてはならんわい。忘れないようにしなくては。

晴れ。眩しいほどだった。
昨日まででうっすら積もった雪も、融けて消えた。儚い冬だ。

美しい空を見上げながら、通院。
自分でも判断しがたい最近の体調であるが、主治医もそうらしかった。俺のよたよたした病状を聞きながら、思案しておった。俺のような「すこ~し悪くて、なが~く悪くて」という患者は、医師としては悩ましいのだろう。
日常生活が大幅に阻害されるほどではないところが、ミソだ。
悪名高い頓服を出されそうになったが、手持ちがあるゆえ断った。
この頓服について正直を言えば、以前一服飲んだおり、世間で噂されているような、ドッカーンと効いた感じがさっぱりなかったのだ。だからもらってもしょうがないかなと思う。
くれぐれも何もしないようにと諭された。

道草をして書店に寄った。駐車場に入れるとき、一瞬余所見をしたら縁石に乗り上げた。シューという不穏な物音が運転席まで響いてきた。
嗚呼、パンクした・・・。
ぴっちゃんこのタイヤを前に呆然とする俺。パンクだ。それも、側面が切れておる。タイヤがお釈迦だ。
最前、主治医の言っていた「くれぐれも何もしないように」の言葉が、俺の脳内にリフレインしてよみがえった。
スペアに入れ替えるのも忌々しい。妻に来てくれるように電話をした。
パンクしたタイヤを外し終え、意気消沈しているところへ妻が駆けつけた。開口一番に「横っぺやん!これ治るん?」と言った。
治らないとわかりきったことを、わざわざ確認してはいかん。しかし、ぞんざいな答えを返すと、妻は激怒すると思われた。あえてのんびりした様子で答えた。
でも、やはり妻は怒り出した。パンクしたわけを答えたら、更に怒った。怒るなら訊かなければいいのに・・・。
入れ替える新しいタイヤの値段を訊くから、聞くと怒るだろうにと思いながらも正直に答えたら、やっぱり怒った。
「ばかばかばか~」と罵られながら、妻の車にタイヤを積み込んだ。罵ったところで、タイヤが治るわけでもなし。なってしまったものはしかたないではないか。心の中で勝手な反論をした。
妻の運転で、近くのスタンドに持ち込むことになった。車内では、娘も乗っていることもあって、さすがに罵られることはなかった。スタンドまでの間に妻の怒りも覚めやり、俺の大人しいのに気づいたのか「こんなこともあるよっ、ね、先生。元気だしていこう!」などと、優しい言葉を掛けてくれた。

スタンドにて。
新しいタイヤを待っている間、妻の車の無料点検をしてもらった。すると、右のリアのタイヤだけ空気圧が異様に少ないと指摘された。調べてもらったら、なんとパンク。ビスが刺さっていたのだ。
夫婦二人、顔を見合わせて笑うしかない。スタンドの兄さんも苦笑いしていた。
いくら仲が良くても、パンクまで一緒にすることはないだろうに。
妻のパンクは治せる範囲であった。
予定外の出費は二万ほどであった。それだけあれば、美味しいものがたらふく食べられただろう、と思うと惜しい。しかし、妻のパンクも分ったことだし、怪我の功名(?)にしておこうということになった。


今夜の、再婚記念日のご馳走は漠然とすき焼きでも、と考えていたのだが。出費もあったことだし、何より初心を思い出すこころで、「貧乏鍋」にすることに決まった。妻が言い出したのだが、俺もそれはぴったりだと大賛成した。
大学を卒業したばかりの、素寒貧で右も左もわからなかった新婚の昔。妻と俺は、白菜と豚バラだけの貧乏くさい鍋料理をしたものだった。安上がりで、温まり、腹いっぱい食べらるのが良かった。
我々夫婦の原点のような料理であるから、最もふさわしい献立だ。

懐かしく、そしてやはり美味かった。飽きのこない味だ。
終日雪。花びらのような雪が舞い降りる。時に激しく、時にまばらに。
水分が多い雪で、あまり積もらなかった。


今日は嬉しいことがひとつ。便りをした友から返事が来たこと。
彼もやはり闘い続けているのだと、それも苦しい勝負を新たに始めたのだと、文面から知った。自らを追い込むとも思える表現に、少し心配を感じるが。無理せず、諦めずにいてほしいと切に願った。
俺を苛つかせ、一度は激怒させたこともあったが、それも長い付き合いの間にはあることかと、今は思う。鼻持ちならないと思った彼の欠点も、省みれば俺にもあることだとわかる。水に・・・流せるのではないだろうか?

 やはり・・・と呆れますか?
 でも、誰にでも弱音を吐ける場所が必要なのだよ。

と、虚空に話しかけてみる。
何より、彼が俺を選んでくれたことが嬉しいのだった。


神経を逆なですることがひとつ。同じくネットの人間関係について、だ。
リアでは現せない自分を、いわば素に近い自分を語れるのはネットのいいところでもあり、危ないところでもある。あらわになった俺自身に好感を持ってくれたひとと友達になれるのは、なによりなこと。しがらみのない関係を作れるのではないかと、思っていた。
ここでは、俺は正直な言葉を連ねてきた。言葉だけが頼りのネットの世界だ。俺は言葉を信じようと思った。
なんというか・・・認識の違いと好意的にとらえたいが、それ以前の問題である。
behaviorがわかるのも考え物だ。

 群れるのは好みません。ですから、HPでもmixiでも仲良しごっこをするつもりはありません。
 きれいな言葉や、表面的な優しさがほしいのであれば、俺のことはハブってくれて一向に構いません。


昨日、2月1日は我々の再婚記念日であった。先日俺の誕生祝をしたばかりだが、明日また、それの祝い膳をするらしい。
かつて、我々には苦難の頃があった。今も少しある。それゆえに、夫婦の誕生日を大事にしたいと思う。妻も同じ気持ちなのだろうか。
年を重ねたことを寿ぎ、次の一年が豊穣であるように。お互いの情愛を確かめ合いたい。
朝からのみぞれは、昼には本格的な雪に変わった。窓から眺めた午後の巷は、すっかり雪化粧。久しぶりに見る冬のかたちだ。
雪景色を眺めながら心静かに、友に便りをした。俺のこのごろのこと、体調のこと、そして俺も友と同じように闘っていること、など。
返事は来なくてもよいと思っている。友が、俺の在ることを想ってくれれば、それでよいのだ。


辛いと言ったら、誰かが優しい言葉で励ましてくれるとでも思っているのだろうか、と自分をあざ笑う気持ちがあった。弱音を大声で言うのは醜いと思う。男は頑張っている姿をこれ見よがしにアピールするものではない、と思ってきた。
誰からも褒められることもなく、励まされることもなく、それで当然なのだと無理に納得していた。しかし、本当はどんなにかそれらを求めていたことだろう。
こころが危機に立たされてやっと、弱音を吐く場所を得たと思う。

俺の友も同じ人種ではないか、と思う。

雨。昨日とはうって変わって、肌寒い。

37歳になった。
若い頃は37歳と聞くと相当大人に感じたが、なってみるとそれほどでもない。むしろまだまだ未熟者である。
職場では中堅どころで働き頭なのだろうが、勉強することがまだ多いと感じる毎日である。
日々怠らずに、頑張りすぎずに、精進したい。


今日の体調は・・・まずまずかな。依然として倦怠感はあるが、酷くはない。エンジンが回りにくい感じ。
やらなくてはいけないことはいくつも重なってくるのだが、あえて一つ一つ仕事を片付けていくイメージで、過ごした。
サイクルが早いのは自覚しているが、上下動の幅が大きくていかん。乱気流に巻き込まれたかのようである。渦中の人は結構辛いのである。しかし、こうして突き放して見つめられるのだから、まだ余裕があるのだろう。
日記に一日のことを書き付けていると、違う考え方も見えてくる。読み返して反省することもできる。それがいくらか、明日へ生かされてきているのだろうか。
少しずつ幅が小さくなり、サイクルも伸びていくことを願うことにしよう。

10時ちかくの帰宅であったが、妻が娘を起こして待っていてくれた。遅くまで起こしていてはいけないんじゃないか、と言いながらも、俺の誕生日だからだと分っているから、その口調はぬるい。
「ハッピー・バースディ」の歌と、チョコのデコレーションケーキでお祝いをしてもらった。大きなろうそくを三本と小さなろうそくを七本立てられたケーキは、針山のようだった。
主役だからと、俺にはピーターパンのマジパンの載った一切れが分けられた。ちょっと嬉しかった。

小春日和。
朝日に映える稜線の美しさも感嘆すべきものであったが、夕暮れの美しさときたらどうだ!
シルエットと化した街並みと山の端を彩るのは、藍と朱のくっきりと澄んだ空の色だ。長くなり始めた日に、しばらくなずんで、疲れた目をいたわってくれた。

忙しく、帰りは午前になった。疲れた。
もう何も言うまい。寝る・・・。

温かい曇りだ。
起きぬけの体調が優れず、妻に送ってもらって出勤した。当然娘もついてくる。思いがけず家族総出の出勤と相成った。
こういうときに限って、目撃されたくない相手に見られてしまうのだ。職場の通用口で降ろしてもらっているところを、悪友・・・いや畏友・藤に見られた。ニヤニヤしながら、じろじろ見ておった。見るな。
藤が社内で「はるったらさ~、奥さんと子供に送ってきてもらっちゃっってんだよぉ。朝っぱらから、ラブラブでよ~」などと吹聴することはないと思うが。お昼の休憩時の話題にしたかもしれん。
職場で家庭の事情を垣間見させるのは、俺の好むところではない。しかし良からぬ話ではなし、いいとしよう。

焦燥感と倦怠感の混在する体調の悪さである。波なのだろう。長く体調が良かったから、疲れが来たのだろう。
仕事を滞らせるほどではなかった。
会議中はちょっと辛かった。しなくてはならないことがあって、焦る気持ちが必要以上に出てきた為である。


早めに帰宅後、家族で夕食。
風呂も三人で入った。さすがに三人はきつかった。

妻と、今日あったこと、思ったことをじっくり話しあった。
望んでいることと実際できることが違うのはままあることだと、頭でわかっていても、感情がそれを許さない。だから辛くなるのかもしれない、というようなことを俺は話した。
俺の望んでいることが、他人のスタンダードでは必ずしもないことを、妻からは指摘された。7割充分であるとも。
何だか、ぐちぐちとそんなようなことを話しあった。俺は、そうなのかな・・・どうなんだろう・・・と、途中からわけが解らなくなった。
「先生はお誕生日が近くなると、具合良くなくなるみたい。年取るのが憂鬱?」と妻が冗談めかして言った。
全くこの女は・・・。違う次元の発想をする。くすりと苦笑いが出る。

そうだな。またおっさんになるのが嫌なだけかもしれんよ。
言葉にならない思いを胸いっぱいに抱え、黙々と道を進まねばならぬときもあるだろう。


厚生労働大臣の発言について。
その上には、新しい命を育み産み落とす女の生理は、素朴な驚異であり、畏敬の対象であったはずだ。女の豊穣さ、地に付いた強さを思うとき、男とは形而上の存在でしかない。
みなが女の腹から生まれた。女を貶めることは自らを貶めることである。
「産む機械」などとほざく男は、それこそ「産ませる機械」としても劣っているであろうよ。
彼のような考え方が、一部にはまだ残っているのは確か。それに苦しめられ続けている多くの人がいるのも、また確かなこと。
そして、わたしの妻は「産む機械」でないのだと、声を大にして言いたい。

みぞれもよう。
職場に出かけた。勤労意欲に溢れているわけではないが、気になることがあるゆえ。営業活動の一環である。
忙しそうな女子職員を眺めながら、自分でお茶を入れて、詰め所で一仕事をした。
お局のひとりが立ち去り間際に、俺に声をかけた。労いの言葉と、警告の言葉・・・になるのだろうか。
「巻き込まれ型だから、気をつけなよ」とか。
他のひとは、俺の話すのを聞いて「何ですと!?」と目を剥いてあきれるのだが。


言葉の冷たさに、その裏に在るこころの温みは隠されてしまうのだろうか。
俺の心はどれくらいの温度なのだろうか。はたまた、俺の心の温みを知る人は、どれくらいいるのだろうか。
俺は他人の心の温みを感じられているのだろうか。

俺がふと物思うのは、こんなときである。俺が俺を憎み、呪わしく思うのも、こんなときだ。
悪魔のような俺の愛人がまた、袖を引いていることを知った次第である。
肝が冷える。どうしたらいい・・・?

昨日夜半より、生あくびが頻繁に出だし、左目から涙がだらだらと流れ始める。偏頭痛の前駆症状である。
気がつくと痛み出していた。今回は頭よりも、どちらかというと、左目の奥が痛んだ。それと左肩の凝る痛みだ。
いつもよりも軽め。安静にしておれば治まるかと思われたが、嘔気を感じ始めた。結局イミグラン服用。
横になって目(と頭)の痛みに耐えているうちに、眠ってしまった。
朝の目覚め時、頭の痛みとも言いかねる、かすかな違和感が残っているのを自覚。倦怠感もある。眠気がひどく、二度寝をした。
昼ごろ、妻に食事はどうするかと起こされて、寝床から出る。今度はすっきりして起きられた。

食事をとって、職場に出た。つらりと回って、指示だけ加えて、早々に退出。


帰りに床屋に寄った。行きつけの床屋を覗くと、混んでいた。待ち時間がずいぶんかかると言うから、申し訳ないが浮気して、別なところに行った。今どき流行の、安くて早いところ。沢山の理髪師がいて、次から次へと、沢山の客をさばいていく。
髪型にこだわりはない。「短くしてくれ」と言うだけである。若い理髪師が、俺の髪をばっさばっさと切り落としていく。俺の髪をがしがし洗う。ひげを剃るのは、年配の別の理髪師であった。分業されているのだな。
1575円で全てがすんだ。出来はそこそこなのではないか。俺としては次は、行きつけのところに行くが。

帰宅すると妻が「髪切ってきた~」と言って、擦り寄ってきた。首筋の刈り上げた部分をなでるのが、妻のお気に入りなのだ。
俺の首をなでながら、妻は「違うところ行ったやろ~? 違う匂いするわ~」と言った。するどいな。女は匂いには敏感なものだ。
さらに「ヘンな匂いやわ~。お父さんが床屋に行った時の匂い」と言って苦笑いしておった。
確かに、おじさんの整髪料の匂いと言おうか、けっこうキツイ香りがするとは、俺も思っていたのだ。ま、俺もおっちゃんだから、気にせんでもよろしい。
妻にそう言ったら、「なんか・・・や~ん」などと言っておった。
そう言うなら、これからはどうでも行きつけの床屋に行かねばならないな。「や~ん」という言い方は何気に可愛かったが。

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