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夫婦の日常と こころの中のこと
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ネットの顔見知り(?)のところで、いいお題をもらったので記す。


言葉ってね、何だろう。
言葉は唇を離れた瞬間に、もう永遠に俺だけのものではなくなる。
それ以前に、俺の言葉は感情に遥か遅れて、息切れしながらついてくるもの、のようだ。
心のうちをうまく表現できない俺にとって、言葉を掛けることは勇気が要ることである。

万感の思いを間にこめて出した言葉が、相手のこころにかすることもなく、捨て置かれることもあった。
俺はそんなときとても哀しくなる。自分の言語能力の拙さに腹が立つ。もっとうまく相手に伝えられたら、その人との関係はどんなに実り多いものになるだろう、と思わずにはいられない。

或いは、ふと口から漏れた言葉が意外なほど深く相手のこころに染み、その人を力づけたこともあった。
そんなとき俺は自分の価値を認識する。相手の役にたてることがどんなに素晴らしい悦びをくれることか、を知ることとなる。言霊の存在を知らされるときでもある。
相手との関係はより深いものとなり、満足を与え合うことになるだろう。


言葉の理解はその個人の経験に則していると思う。
けんかになるような怒りっぽい相手ならば話にもならないが、冷静な議論のできる相手ならばどんなにいいだろう。
各人の言葉の理解に差があることは、悪いことではないと思う。また、関係を作ることに致命的な障害となるわけでもない、と俺は思う。
理解の差がどこにあるかを、何故そうなのかを、知らないことが、知ろうとしないことがいけないのではないか、と俺は思う。
お互いの言葉のわずかな差異は結局は、言葉を尽くして話してみることでしか、縮まらないのではないだろうか。
根気の要る作業である。
俺の認識の歪みを目の前にさらされるかもしれない。怖い、とも思う。
得がたい友達を得られる期待があれば、俺はそれをいとわない。

考え方の違う友達・・・何と魅力的な存在であろうか!
彼・彼女は俺に多くのことを教えてくれるだろう。それは俺の財産となるだろう。


遥か神代の人間たちは、言葉に魂が宿ると信じたそうだ。確かにそうだ。
俺は魂のやり取りがしたいのだ。
耳障りのよい奇麗事ばかりを述べるのは、娑婆の付き合いでさんざんやっている。もう沢山だ。そんな流れていくだけの言葉には魂なんか宿っていない。
悪いと思われる魂の宿った言葉。珠のようなこころを宿した言葉。それらはひとの哀しくて愛しい姿。求めて止まないのはそんな言葉だ。
俺も心に脇差をはさんで、対峙することだろう。

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