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夫婦の日常と こころの中のこと
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家族のことを想うなら、自分の健康には配慮したいものだ。
健康など、普段意識することも無く過ごしているものは、往々にしてその有難みを失念しがちである。
いったん病を得れば、自分も苦痛を味わうだけでなく、家族も苦悩することになる。それすらも忘れてしまう日常である。
勝手な理屈で自分を甘やかしているのは嫌いである。「できない」の多くは「しない」ということ。

また、自らのエゴのため家族を動かすのはどうかと思う。特に子供などは要注意。
親であれば、子供の望みはすべからく叶えててやりたいと願う。しかし、それが為にならないならば、諌め止めるのが親の役目だろう。
あの時俺を諌めた母の気持ちは、親になった今やっと解る。その意味をこころに刻みたいと思う。

他人のものを盗むのは悪いこと。幼稚園児でも知っている。
他人の持ち物が羨ましくてどうしようもないこともある。しかし、盗まないでいるだけの自制心を持つのが大人というもの。
他人を悲しませて得る喜びなど、空虚なもの。
他人の不幸の上に、自分の幸福は築けない。
目も耳も塞いで悦楽に酔うなど、恥知らずなことである。

俺は今までに二度本気で自死を想ったことが在る。願うのは何度もあった。
遂行しなかったのは、実にくだらない理由だ。
俺は妻より少しでも長く生きていなくてはならないからである。
なぜなら、妻はあの通りのぼやけた女であるから、俺の葬儀一式を執り行うことなどできないと思うから。
それは半ば冗談、半ば本気の理由であるが。
なによりは、妻は寂しがりであるから、俺のいない彼女の日常は哀しく切ないものになるだろうから。

妻の人生をより豊潤なものにすると心に誓って、二度目の結婚生活を始めたのである。
俺は「豊潤≒苦労の無い生活」だと、短絡的におもっていたが、そうではないかもしれんと思い始めた。
苦労も二人でいればこそ。悩むのもお互いが大切な存在であればこそ。
幸せや喜びと同じく、これらも二人の人生の彩を深めるものだろう。多くの感情を共にしていることが「豊潤」なのではないか、と思う。


秋の夜長に思索する。正解が何なのか解るはずも無い。考え続けること自体が正解かもしれん。
何にしろ、自らの心に恥じることのないように生きたい。
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