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夫婦の日常と こころの中のこと
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うす曇り。湿度高め。


夏に向かう夜は何かが起こりそうな予感がする。期待にたがわず、いろいろな事件が起こった。
艶めいて、わくわくして。心を惹きつけて止まない匂いが溢れていた。
夜を待ち焦がれて、楽しい夜を過ごし、早い朝日の訪れを嘆いたものだった。

あの時と同じ夜はもう来ない。
しかし、同じ仲間はまだいる。
一度ならず不義理な行いを俺はした。わがままも言った。それでもなお、残っているものがあることに、俺は感動する。
これからもよろしくと告げたい。


今晩は焼肉だった。
むしむししてだるいから栄養を付けるため、と妻が言う。昔から、栄養というと肉だと思う女なのだった。
確かに俺らの子供のころは、肉などめったに与えられなかったものだが。
家で焼肉をすると、事後に床の拭き掃除をしなくてはならん。俺はそれが面倒で気が進まないのだ。
野菜で周りをかためてみたが、しっかり脂が飛び跳ねてしまった。
ホルモン焼きがいかんかったらしい。こってり脂のついた、美味しい牛の小腸の所為だ。
美味しい思いをしたのだからがんばれ、と妻に励まされて床掃除。娘がうろうろし、いらぬ所まで脂だらけであった。
娘の足の裏を拭いてやった。
風呂場に向かう、俺の大きな足跡と娘の小さな足跡が並んだ。

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晴れ。暑い。最近の六月は暑い。

娘の顔の様子。腫れは多少ひいた。痒みもほとんどないようだ。
疑い深い妻は皮膚科を受診した。弱めのステロイド軟膏が出、手持ちの薬と合わせて塗るように指示された。
お岩さんのような顔も早晩、人らしいものに戻るだろう。


今日は嬉しいことがあった。一人笑みの漏れる夜更けである。
おぼろな雲の隙間から、柔らかな黄土色の大きな月が覗いている。水分の多い大気に滲んで、微笑みかけるように見えた。
気分によって、見えるものもまた違うと知る。
微笑むたびに、向こうから良いことがやってくるような。そんな気持ちすらするのだった。
久しぶりの日記である。
最近、思う。ネットで日記を書き続けることについての疑問。
いつからか、閲覧者の視線を意識して書いている、と自覚する。それがはたしていいことなのかと。

たとえば、「今日はいやなやつが来た。不愉快な思いをした」という場合。
まず、俺は、その人物のどの辺がいやなのか、どんな不愉快な事件だったのか、書かなくては、閲覧者の理解に不親切だと思うようになった。かくして俺の文章はくどいものとなった。
第二に、書くべき内容について選択している自分に気づいた。俺の不愉快だった話を書くことが、閲覧者を楽しませることになるのか、はなはだ疑問である。
第三に、例題のような事件があったとき、短気な俺が相手に対して思うことは「二度と来るな。死ね」であるが、このような刺激的な用語はブログ上不適切だと思う。自粛することで、俺は俺の日記に生気を感じなくなった。

要するに、ネット上で「いいひと」になろうとする俺を俺が拒否したいのである。俺は皮肉れているのか、「いいひと」というと胡散臭い、と思う。
人間は裏表があって当たり前。ドロドロした醜い感情を心の奥に潜ませているものだと思う。だから、人間は哀しくて愛しくて、美しい。
見苦しさを隠して、自分でも見ないふりをして、「いいひと」の仮面を被りたくない。
「いいひと」より「深いひと」と言われたい。

善行や美徳を否定するつもりはないが、それを吹聴することはしたくない。
常に、妻を愛し、子供を愛で、仕事にも一生懸命取り組む、などの前向きな姿勢を書き留めることで、かえって日記に自分を取り込まれてしまうようではありたくない。
どうしたものか・・・と悩む。


集中的に英語の勉強をした。なんとか勉強会に間に合うもよう。
毎度毎度、何故英語なのかと憎々しい。実務にさほど関係のないことであるので、余計にそう思う。
思いながらも勉強している自分の真面目さに呆れるが、何か訊かれたときに答えられないとみっともないと思う小心さと、変なプライドの高さゆえだと思うと、笑えてくる。

中途半端なことをするよりは、初めからしない方がマシ。
昨夜は、真っ裸で寝るのに大変心地よい陽気であった。
しかし本日は激しい雨と風。とても寒い。気候の変動の激しさに、体調を崩す人の続出するのもうなずける。

俺は肉体的には強い方だ。だったといった方がいい。
以前、C型肝炎に感染したかな・・・ということがあったが、感染しておらんかった。とはいってもそれは若い盛りのお話。風邪を引くと長引くようになったなあ、と何となく思う今では、自分の体力を過信してはいけないと知っている。
風邪を引いたとかいうのとは別に、低気圧が迫っているときに、俺の精神は敏感に反応するようになった。起き抜けに不快さがある。
気圧や気温に左右される、植物のような身体になったのだと、感慨深い。
いわゆる不定愁訴を訴える俺の客に、自分もそういうことがあると心からの感慨を、穏やかに答えられる俺を最近発見した。
以前の俺はそうではなかった。
自分の知らない肉体の感覚を想像するのに、いつしか疲れを感じ始めて、ようやくその一端を知った・・・とでも。


ここしばらく必要に駆られて、英語の勉強などしておったゆえ、頭脳がパンク寸前である。
勉強は捗っているとは到底いえない状態であるが、やわな頭脳を崩壊から守るため、今日は勉強をやめてみた。
妻は恐ろしく眠いらしく(月経の所為だろうか?)、娘と9時には寝室に入ってしまった。
俺一人の静かな夜だ。

夜にかけて雨はすっかり止んだが、強い風は残って、ピューピューと寒々しい音で窓ガラスを叩いている。
夜空は月が隠れて、真っ暗だ。
頼りなげな街路灯がちかちかと照らしている以外は、闇に沈んでいる。
身の縮む寒さであったというのに、水田ではかえるが変わりなく鳴き続けている。その水田の表には、渡る強い風が刻々と変わる水紋を刻んでいることだろう。

寂しくはない。むしろ夜に吸い込まれそうな快感がある。
「歎異抄」を開き、ヴィントガッセンのタンホイザーを聴く。
こんな風に無為に寒い夜を、眠くなるまでやり過ごすのも嫌いではない、と思った。
風の強い一日である。桜は散り急ぐ。
堀に桜浜が揺れ動いていた。

変な妄想が湧き始めた。
肌寒い。昨夜は寒くてなかなか眠りに就けなかった。花冷えというのか。

新年度が始まったが、俺の生活にはあまり変化はない。ただ、職場内を見慣れぬ若いのがぞろぞろ歩いているのを見かけると、そういう季節だったかと思う。
俺は頑張る人というか、頑張る自分が好きな人が、好きではない。語弊があるか・・・。やたら頑張る人がそばにいると、俺も同じように頑張れと強要されているようで鬱陶しい。
うらやましいのかもしれないな。彼らのハイテンションが。モチベーションの高さが。
若い彼らをまぶしく見る。
俺はぬるいテンションだが、ぶれない態度で職務に当たっている自信はある。13年、業界の飯を食ってきたが、案外「ぶれない態度」こそ大事かもしれない、と思う今日この頃である。


諸事情に迫られて勉強していたが、PCの前はどうもいけない。ネットサーフィンしてしまった。知り人についてじっくり読みふけってしまった。いろいろあったのだなあと感慨無量である。
さっぱり勉強は進んでいない。勤勉ではないと、反省する。
粉雪の降る。風は冷たく、風音を聞くだけでも凍えるようだ。

ひとが一人でできることには限りがある。生活をすることは、止む終えない事情を抱えていくことだ。
それぞれのできることを重ね合わせれば、ひとりの力よりも大きいことができるだろう。
俺はそれがわからなかった。頭では理解しても、できないのではしかたない。
完璧主義といえば聞こえはいいが、要するに他人のすることを信用できないということかもしれん。全てのことに自分が目を光らせていないと、納得がいかないのだった。
それが俺を追い込み、精神を蝕んだ。

それができれば苦労はしない・・・というのは、事態に足をとられた者の定番のセリフである。思考に悪い癖がついている証拠だ。
声を挙げれば、誰かが助けてくれるんだぜ?
世の中には、受けた好意を見向きもせずに立ち去る者も大勢いる。しかし、いつも心に留め置いて、今度は返そうと思い続けている者もいるはずだ。

もう自分をすり減らすのはやめようや。
俺は大丈夫だと自分に言い聞かせていても、誰だって無傷じゃいられないんだ。小さな傷でも、そこから膿み、蝕んで、腐ってくることは多い。
身近な大切な人をさえ、羨み妬むようになってから初めて、自分の腐っていることに気づくものだ。

きれいな水がそこにあるうちに。傷を洗った方がいい。
なにしろ、自分で思っているほど、我慢強くもないのだから。

風の強い一日。冷たい風だ。
二月はあっという間に終わった。行く一月、逃げる二月、去る三月・・・その通り。
職員の異動の話などもますます、聞かれるようになった。


今日、妻に例の地面を買う決心をしたことを話した。妻もそこがいいと言っていたから、異存はない。
週末にでも不動産屋にちゃんと話をして、手付けを打つつもりである、と話した。
妻はきちんと座りなおして、神妙な面持ちで聞いていた。そして、妙に畏まって「ありがとうございます」などと、俺に言った。
妻のために家を買うのではない。我が家族の幸せのために買うのだ。俺一人で家を買うのでもない。丁寧な感謝の言葉は不釣合いだと思えた。
妻は、俺の稼いだ金を払うのだから、やはり言葉は要るだろうと思ったのだ、と答えた。経済的に家庭を支えているのは俺で、更に負担を負わせることになるのだから、とかも言う。
その気持ちはありがたいが、俺には違和感がある。
専業主婦の中にはどうしても、「食べさせてもらっている」という意識が根付いてしまうのだろう。だからといって、奴隷的な感覚・・・一方が常に感謝され、もう一方が常にへりくだる立場・・・になる必要はないはずだ。
学校を出て何もわからないときから、一緒に一人前になる過程を過ごしてきたというのに。13年にも亘る間、助け合って成長してきたことを、妻の中で評価してほしいと俺は思った。
その辺のところを妻に諭すが、わかりが悪かった。

毎日妻がしている仕事を、たとえば家政婦を雇ってしてもらうとする。相当な金額を要するだろう。しかし、妻のしている仕事は家政婦がする仕事だけではない。金額では表現されない種類の仕事こそ、専業主婦の仕事の主たるところである、と思う。
思いやり、気遣い、愛情に根ざした主婦の仕事は、最も尊い職業のひとつだ。世の中の根幹を支えている。そう、俺は思う。
専業主婦であることを恥じることはない。

「家のこと、一緒に喜んで、楽しみにしていればいいのです」と妻に言った。
嬉しそうな妻や娘の様子を目にしてこそ、俺は家の計画をしてよかったと思い、納得して仕事に励むことができるだろう。
妻は、俺の応援団長なのだから。

晴れ。朝、玄関を出ると、羽虫が群れになって飛び交っていた。春めきすぎて、雪虫という言葉には似つかわしくない。

最近、考え方が更に後ろ向きである気がする。つらりと近頃の自分の書いたものを読んでいても、感じるのは「負のエネルギー」ばかりと言おうか。ため息ばかりをつく。
去年、休職したときのことをよく思い出す。あのときはどれくらい疲れていたか、と。今よりも疲れていたのだろうか、と考えてみる。
仕事は今よりずっと忙しかったはずだ。病院にいるときは家に帰りたくてしかたがないのに、家に帰ると患者さんのことばかり気になっていた。相反する気持ちが、俺をことのほか焦らせ、消耗させていた。
今は・・・仕事はずいぶん加減している。職場では目の前の仕事に一生懸命に取り組めている。楽しいかと自問すれば、楽しくはないのだが。それは俺が仕事が嫌いな所為であろう。
やりがいを感じるかと自問すれば、まあまあある、かな。卑近なところを目にすると、やってられんという気になる。反対に、ひとの強さに感動することもある。
・・・ま、去年よりはよい状態であると思われる。


遅めの帰宅になった。妻と娘はもう寝室に引き取った後だったが、俺の帰宅を察して妻が現れた。
妻は、俺が夕食を食べてきたのかと思っていたようだった。勘違いを詫びながら、煮物の残りを温めてくれた。それから冷蔵庫を探って、はたはたの干物を焼いてくれた。
俺が夕食のおかずを残しておいてくれと連絡していなかったのが良くないのだが、妻は責めなかった。今日の妻は優しい。
俺の食うのを見ていて、妻も小腹が減ったと言い、夜更けに二人で食事をした。
家に帰るとほっくりとする。知らず知らずのうちに、緊張を感じていたのだなと知る。
のんびりした妻がする、何でもないようなことが俺を労わるのだった。
春の陽気。青い空は光に満ちて、眩しいほどだった。

並列で現場仕事があった。精神的に追い込まれるような仕事ではないが、長時間の労働で肉体的に疲れた。
ずっと立っていて脚が棒のようになった。座ると立ち上がれそうにない、と思われた。かといって、歩き仕事もしんどかったのだが。
寄る年波には敵わないということか。最近足腰の衰えについて託ってばかりいる。


少し前、友達との間に理解の齟齬があった。俺は言いたいことはみな話した。友達は俺の言うことに反論することはなかった。しかし、俺は友達の言うことに、ある種の空々しさを感じていた。俺の言うことに迎合しているだけのような、そんな感じであった。
その人の本心がどうなのかはわからない。言葉の間を読むことや、実際の行動を見ることで、ある程度推察できるつもりだが、やはり言ってもらわなくては本当のところはわからない。
俺に気をつかってそうしたのかもしれない。
しかし、話してくれなければ、感じた違和感は増大するばかりである。話す相手ではないと思われているのだろうかと、俺は哀しくなる。
意見の違うのが悪いのではない。どう違うのかをお互いに理解しあっていないのが、いけないのだと思う。
そして、こういうのはストレスのたまることである。今後の関係でも、ストレスを感じ続けるのだろうか、と思えてくる。

人間関係にストレスを感じないことなど、ない。二人寄れば、夫婦であってさえ、何らかのストレスがある。あるときに、彼はそういうものなのだと突き放すことも必要なのかもしれない。
俺が思うように、彼は思わない。或いは、俺が思うように、彼も思う。どちらも真である。前者を認め、後者を喜ぶことはできると思う。


駐車場に止めてある車のフロントガラスが汚れていた。黄沙か、花粉なのか。黄沙の観測は報告されていないようだから、花粉なのだろう。結構な量だ。
花粉アレルギーのひとにとっては、嫌な季節になったのだろうな、と思いながら、ウォッシャー液で流す。

日中は晴天であったが、夕方より小雨。さすがに雨が降ると、ぐっと気温が下がる。


三年前に買った、新しい結婚指環を眺める。あのとき、そろいの指環は同じくぴかぴかに光っていた。
時を経て、妻の指環は、日ごろの家事で、いくらか細かい傷がつき、くすんだとまでは言わないが、輝きがまろくなってきた。
俺の指環は、ほぼ買ったときのままの鋭い輝きだ。毎日指にしては出かけるが、仕事柄職場で外しているから、傷まないのだ。
指になじんだ妻の指環を見ては、同じように妻が俺との新しい暮らしになじんだのかと、空想する。指環のまろみのように、妻の心も丸くなったのかと、想像してみる。
すると、俺はどうなのだろう。さしずめ、あのときのきらきらとした情熱のまま、とでも。
指環の様子から、お互いの心を占うなど、俺の流儀ではないが。以前妻がそんなことを言っていたのを、思い出したのだった。


丸く柔らかなお前と、硬質な俺と、
いっそどろどろに融けて、
他も己もわからないほどに。
それができないのが、
男と女の切なさ、愛おしさであろうか。

どんな謎があるのか、
いかなる神秘があるのか、
まだまだ知りたくて仕方がない。

終日雪。花びらのような雪が舞い降りる。時に激しく、時にまばらに。
水分が多い雪で、あまり積もらなかった。


今日は嬉しいことがひとつ。便りをした友から返事が来たこと。
彼もやはり闘い続けているのだと、それも苦しい勝負を新たに始めたのだと、文面から知った。自らを追い込むとも思える表現に、少し心配を感じるが。無理せず、諦めずにいてほしいと切に願った。
俺を苛つかせ、一度は激怒させたこともあったが、それも長い付き合いの間にはあることかと、今は思う。鼻持ちならないと思った彼の欠点も、省みれば俺にもあることだとわかる。水に・・・流せるのではないだろうか?

 やはり・・・と呆れますか?
 でも、誰にでも弱音を吐ける場所が必要なのだよ。

と、虚空に話しかけてみる。
何より、彼が俺を選んでくれたことが嬉しいのだった。


神経を逆なですることがひとつ。同じくネットの人間関係について、だ。
リアでは現せない自分を、いわば素に近い自分を語れるのはネットのいいところでもあり、危ないところでもある。あらわになった俺自身に好感を持ってくれたひとと友達になれるのは、なによりなこと。しがらみのない関係を作れるのではないかと、思っていた。
ここでは、俺は正直な言葉を連ねてきた。言葉だけが頼りのネットの世界だ。俺は言葉を信じようと思った。
なんというか・・・認識の違いと好意的にとらえたいが、それ以前の問題である。
behaviorがわかるのも考え物だ。

 群れるのは好みません。ですから、HPでもmixiでも仲良しごっこをするつもりはありません。
 きれいな言葉や、表面的な優しさがほしいのであれば、俺のことはハブってくれて一向に構いません。


昨日、2月1日は我々の再婚記念日であった。先日俺の誕生祝をしたばかりだが、明日また、それの祝い膳をするらしい。
かつて、我々には苦難の頃があった。今も少しある。それゆえに、夫婦の誕生日を大事にしたいと思う。妻も同じ気持ちなのだろうか。
年を重ねたことを寿ぎ、次の一年が豊穣であるように。お互いの情愛を確かめ合いたい。
朝からのみぞれは、昼には本格的な雪に変わった。窓から眺めた午後の巷は、すっかり雪化粧。久しぶりに見る冬のかたちだ。
雪景色を眺めながら心静かに、友に便りをした。俺のこのごろのこと、体調のこと、そして俺も友と同じように闘っていること、など。
返事は来なくてもよいと思っている。友が、俺の在ることを想ってくれれば、それでよいのだ。


辛いと言ったら、誰かが優しい言葉で励ましてくれるとでも思っているのだろうか、と自分をあざ笑う気持ちがあった。弱音を大声で言うのは醜いと思う。男は頑張っている姿をこれ見よがしにアピールするものではない、と思ってきた。
誰からも褒められることもなく、励まされることもなく、それで当然なのだと無理に納得していた。しかし、本当はどんなにかそれらを求めていたことだろう。
こころが危機に立たされてやっと、弱音を吐く場所を得たと思う。

俺の友も同じ人種ではないか、と思う。

温かい曇りだ。
起きぬけの体調が優れず、妻に送ってもらって出勤した。当然娘もついてくる。思いがけず家族総出の出勤と相成った。
こういうときに限って、目撃されたくない相手に見られてしまうのだ。職場の通用口で降ろしてもらっているところを、悪友・・・いや畏友・藤に見られた。ニヤニヤしながら、じろじろ見ておった。見るな。
藤が社内で「はるったらさ~、奥さんと子供に送ってきてもらっちゃっってんだよぉ。朝っぱらから、ラブラブでよ~」などと吹聴することはないと思うが。お昼の休憩時の話題にしたかもしれん。
職場で家庭の事情を垣間見させるのは、俺の好むところではない。しかし良からぬ話ではなし、いいとしよう。

焦燥感と倦怠感の混在する体調の悪さである。波なのだろう。長く体調が良かったから、疲れが来たのだろう。
仕事を滞らせるほどではなかった。
会議中はちょっと辛かった。しなくてはならないことがあって、焦る気持ちが必要以上に出てきた為である。


早めに帰宅後、家族で夕食。
風呂も三人で入った。さすがに三人はきつかった。

妻と、今日あったこと、思ったことをじっくり話しあった。
望んでいることと実際できることが違うのはままあることだと、頭でわかっていても、感情がそれを許さない。だから辛くなるのかもしれない、というようなことを俺は話した。
俺の望んでいることが、他人のスタンダードでは必ずしもないことを、妻からは指摘された。7割充分であるとも。
何だか、ぐちぐちとそんなようなことを話しあった。俺は、そうなのかな・・・どうなんだろう・・・と、途中からわけが解らなくなった。
「先生はお誕生日が近くなると、具合良くなくなるみたい。年取るのが憂鬱?」と妻が冗談めかして言った。
全くこの女は・・・。違う次元の発想をする。くすりと苦笑いが出る。

そうだな。またおっさんになるのが嫌なだけかもしれんよ。
言葉にならない思いを胸いっぱいに抱え、黙々と道を進まねばならぬときもあるだろう。


厚生労働大臣の発言について。
その上には、新しい命を育み産み落とす女の生理は、素朴な驚異であり、畏敬の対象であったはずだ。女の豊穣さ、地に付いた強さを思うとき、男とは形而上の存在でしかない。
みなが女の腹から生まれた。女を貶めることは自らを貶めることである。
「産む機械」などとほざく男は、それこそ「産ませる機械」としても劣っているであろうよ。
彼のような考え方が、一部にはまだ残っているのは確か。それに苦しめられ続けている多くの人がいるのも、また確かなこと。
そして、わたしの妻は「産む機械」でないのだと、声を大にして言いたい。

みぞれもよう。
職場に出かけた。勤労意欲に溢れているわけではないが、気になることがあるゆえ。営業活動の一環である。
忙しそうな女子職員を眺めながら、自分でお茶を入れて、詰め所で一仕事をした。
お局のひとりが立ち去り間際に、俺に声をかけた。労いの言葉と、警告の言葉・・・になるのだろうか。
「巻き込まれ型だから、気をつけなよ」とか。
他のひとは、俺の話すのを聞いて「何ですと!?」と目を剥いてあきれるのだが。


言葉の冷たさに、その裏に在るこころの温みは隠されてしまうのだろうか。
俺の心はどれくらいの温度なのだろうか。はたまた、俺の心の温みを知る人は、どれくらいいるのだろうか。
俺は他人の心の温みを感じられているのだろうか。

俺がふと物思うのは、こんなときである。俺が俺を憎み、呪わしく思うのも、こんなときだ。
悪魔のような俺の愛人がまた、袖を引いていることを知った次第である。
肝が冷える。どうしたらいい・・・?

母や父のこと。
愚かしくも、俺が何をしているかも知らず行ってきたことだ。自分がしたいように、もっとあざとい表現をすれば、自分が楽しいようにと、よく考えもせずにしてきたことだ。
仕方ないことだと思っていた。

剣道の稽古に行くのが嫌で。盛夏の、早くも照りつけ始めた日差しの下、遠くの武道館まで歩くのが億劫で。幼く愚かだった俺は、父に嘘をついて稽古をさぼった。
いくらかばつの悪い気持ちで、こっそり見送った父の背中が、最後の姿であった。
胸の悪い母。三本の冠動脈は石灰化が進んでいた。かろうじて二本にバイパスを繋げられたが、その後も母の様子はあまり良さ気に見えなかった。
仕事にかまけて顔を見せることも間遠な息子であった。電話で話したのが最後だった。
せめて胸を張って、父の死に顔が見れるようであったなら。
もっと母の繰言を聞いてやれていたなら。優しい言葉の一つでもかけていたなら。
どんなによかったことだろう。いや、してもしたりなかっただろう。
両親のことを想うと、とても切ない。


ひとの死亡率は100%だ。
しかし、ひとは普段、自分やちかしい人の死に思いを至らせない。それらのひとは死なない、とでも思っているかのようだ。
取り返しのつかない頃になって初めて、かけがえのなさがわかる。
父のいた家の、厳しくも安心感のあるようす。母のいた家の、温かい懐かしい匂い。親子の手触りが、確かにそこにあったのに。
今は俺の胸の底に、親子の記憶と凝り固まって、とんぼり横たわっているのみである。

親の傍で暮らしている人が羨ましい。孝行をしている人なら、尚更羨ましい。
叶わぬことばかり羨むのは罪だという。そう知っていても、羨みが止むことはない。


切なさ、慕わしさ、、後悔、渇望感。両親に対するそれらを昇華させ得るのは、妻と娘に捧ぐ愛情しかないのかもしれない。
小雨もよう。

納豆の番組は捏造だった、と報道にきく。
嗚呼、これで俺の食卓に納豆が戻るか!、だ。
それにしても品性の卑しさを感じる出来事であったと思う。
これに懲りて、怪しい健康情報番組が減ることを願う。また、いかがわしい情報に踊らされるひとが減ることを祈る。


昔、俺の親分が教えてくれたこと。
頭の中にある知識で商売をしていること。
賢しらだって、知識をひけらかすことの醜さ。
いい加減なことを言う罪深さ。無責任さ。

そして、俺が何となく感じ取れ始めていること。
憐れまれるひとの側に立つことの難しさ。
ただ拝聴することの難しさ。
多様性を尊重することの大切さ。
知ることに始まり、相対的にものを見、そこから自分の意見を導くこと。

俺があまりにもひとの感情に左右されやすく、要するに優柔不断であることを、知っている。矛盾するようだが、自分が恐ろしく頑固であることも知っている。

俺が間違いを犯さないように。
もし間違ってしまったら、真摯に受け止め、そこから何かを学ぶことができるように。
冬の嵐は去った。街路樹に心細げに残っていた枯れ葉がみな、落ちた。
まだ雪はない。遠くの山並みのみに見受けられる。


妻と娘を連れて、子供服を買いに行った。今年は福袋を買わなかったから、その埋め合わせといっては何だが。
何を着せても可愛らしいだろうに、妻はよくもまあ、疲れもせずに見て歩けるものだ、と感心した。
長袖のトップスを二枚、ボトムスを三枚。相当時間をかけて選び、購入。会計を済ませた後でも、妻は別な店の陳列を眺めていた。
女の人は、買い物について飽きることを知らないらしい。
以前の俺は、こんな長い買い物に付き合えなかった。気が長くなったのだな・・・。歳の所為だろうか?子供を持った所為だろうか?
日々の成長は微々たるものだが、確かによくなっているのだなと、感慨深い。

うどんを食って帰った。昼時間際であったが、すぐに座れた。


午後から、勉強。読書といった方がいい。
届いていた業界雑誌を読んだ。知り合いの投稿を見つけて、複雑な気分であった。
心が狭いので、知人の活躍には嫉妬するのだ。重箱の隅をつつくような目線で、知人の記事を読んだ。
さして、文句をつける点をみつけられるではなし。くたびれた。
無為な作業に活力を燃やさないで、向上心に繋げたらどうかと思えた。

晴れた夜。
正しいことを真正面から言うことが、時として、人を傷つけることになる。ただ聞く、ということの在り難さを想う。
俺は説教臭いから、気をつけねばならん。
半月が天頂で笑っていた。
妻と親しむ。

うららかな晴天。しかし、今日までのことらしい。

昨日届いたCDを聴きながら出勤し退勤し、家庭でも聴いている。
荒々しい熱気のあふれるバレンボイムの指揮と、暗めの色調のあるヴァルトラウト・マイヤーの声が、異様な情念の世界を形作る。うねり押し寄せる官能の波。まさに異次元空間だ。怖い一品であった。

バレンボイムということで、ユダヤ人とナチズムとワーグナーについて、嫌でも考えてしまう。
ワーグナー自身はともかく、その音楽にはユダヤ人排斥の影はないと、俺は思う。しかし、ホロコーストを経験した人たちにとって、ワーグナーという単語は記号化してしまった。それが哀しい。
ワーグナーの最高傑作の、深遠なる愛の音楽を、多くの人が色眼鏡なしに楽しめる日が来てほしい。


かつてヨーロッパで壁に押し込められ辛酸を嘗め尽くした民族が、今はパレスチナの地で、他の民族に同じ苦しみを与えている。
他者を区別するのみならず、差別をし、壁を作り、除こうとする。いつから悪意が生まれるのだろう。
人間は万物を区別することで、自らを取り巻く世界を明らかにし、発展を遂げた。区別をすることは悪いことではないと思う。他者を、得体の知れないもの、怪しいものと恐れるのも、自然な感情だと思う。
だが、知らないままで、悪いものだと決め付けてしまうのこそ、恐ろしいことである。


今日は昨日の続きだ。今年は去年の続きでもある。
「水に流す」のは「忘れる」のとは違う。「なかった」のとも違う。

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