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夫婦の日常と こころの中のこと
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うす曇り。柔らかな空色だ。気温は高すぎず、低すぎず、さわやかで過ごしやすい具合。

田植えが始まるようで、機械の動作音や人の立ち働く気配が、早朝からしていた。
こういう季節になると、働かなくてはならない気持ちが、俺の中でうずく。先祖から脈々と受け継がれた、越後の百姓のDNAが活性化するのかもしらん。
勤労意欲に合致するかのように、今日は日直だ。と意気込んだのはいいが、休日に勤労意欲満々ってどうよ?と苦笑することである。
早起きをした娘が懐いてきて、ちょっと困った。遊んで欲しいんだな、と思った。後ろ髪を引かれる気分。
「とめてくれるな、お嬢さん」と思い切って、しゅたっと出勤。

連休初日は、さすがに田んぼやら行楽やらに忙しいらしく、客は少なめであった。
しかし、こんなときに敢えて来る人こそ、難しい問題を抱えてくる可能性があるゆえ、気は抜けないのだが。
暇そうだったので、何かあったら呼んでくれと言付けして、事務所で懸念の書類仕事をした。
今月はリテーク書類が多い。特殊な仕事があったわけでも、込み入った仕事をしたわけでもないのだが。要するに俺の不手際だ。
この調子では事務員さんのブラックリストに、俺の名前が書き込まれてしまいそうだ。まあ・・・俺は事務関係のことに精通しておらんのは事実。
本格的に勉強して、資格を取った人もいる。そこまではいくらなんでもやり過ぎだと思うが。
俺も少し勉強した方がいいのかしらん・・・などと、殊勝なことを考えてみた。でも俺の脳みそにその余裕はない。


定刻に退勤。
県外ナンバーの家族連れを横目に見ながら、いいなと思った。カレンダーどおりの休みのある、公務員や会社員が羨ましい。

明日は休みだから、近場で何処かに出かけようかと、妻と話した。遠出はできないが、天気も良いようだし、一日戸外で、家族で過ごすのも楽しいと思う。

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ゴールデンウィークの前半は概ね好天に恵まれたが、間のウィークデーになって一休止。昨日は強風の一日であったし、本日は小雨の降り止まぬ一日であった。


さすがに客は多くはない。店をちらりと覗いたが、まったり進行であった。
ただ月初めのことで、書類仕事がたくさんある。集中して済ませたいところだが、細切れにならざるを得ないのが、この仕事の辛いところ。

明日から四連休らしいが、俺にはあまり関係がない。明日は日直だ。五日が拘束というのが、なんとも気味が悪い。
四の五の言っても、お客さんのご機嫌伺いに出なくてはならないから、結局は普段と同じである。
非常につまらん気分だ。
夫婦二人のときも思ったが、子供を持ってからはしばしば疑問に感じる。
俺が子供のころは、五月の連休は野良仕事の手伝いで、どこにも連れて行ってもらったことなどない。それと同じことよ、と自分をなだめてみる。しかし世間の様子を見るにつけ、その説は残酷なものだと感じる。
こんなツブシの効かない職業でなければ、転職するのに・・・などと、ため息が出る。

でもでも、みんなが遊んでいるときに働いている人がいるから、世の中は廻っているの♪

そう、発想を転換しておく。


帰ると妻も子も寝ている時間だった。
自室で、届いていた雑誌をぱらぱら斜め読みする。気になるところと、後でじっくり読むところに、付箋紙を貼る。でも・・・いつか読むのか、俺?
それから、次の勉強会のために調べ物をするも、あまり捗らず。
昨夜は妻に、兄弟喧嘩をしたことを責められた。何も法要の席でしなくてもいいではないか、とか言う。
俺もそうは思うが、普段会えないのだからそうなっただけだ。この日を選んだわけではない。大体弟が絡んできたのではないか。などと、妻に抗弁した。
妻は、俺が弟に手を出すようなことを言ったのがショックだったようで、しきりと「殴ってはいかんよ」と言う。
妻の育った家庭はどちらかというと今風なのだろうか。妻のきょうだいは兄だけだから、喧嘩ひとつとっても、俺の場合と違っていたのだろう。
俺と弟は、時折取っ組み合いの喧嘩をして育った。「殴る」といっても、この歳だ。映画のような殴り合いを意味しているわけでもない。そこらへんの微妙なところを説明するのは難しかったが。
妻は「でも、殴るのは良くないよ」と繰り返した。確かにそれはそうだ。
良くないことだし、大人気なかった、と認めた。
一瞬、妻と俺の間にも不穏な空気が流れたが、夫婦喧嘩は回避できた。

妻は弟のことを、いつもニコニコして優しげで知性的な感じに見ていたそうで、今回の弟の様子には面食らったとか言う。
大いなる誤解をしていたということだ。俺からすれば、弟は穏やかでも知性的でもない。
「俺の弟だぞ?おのずとわかるだろ?」と言うと、妻は苦笑いしておった。


晴れ。昨日とはがらりと変わって、雲一つない青空が早朝より広がった。 暖かい。
早く目が覚めたので、娘と家の周りを散歩した。緩やかな風が吹いて、心地よい。
竹林を揺らす風の音が優しかった。それは、俺を呼ぶ母の声だった。無人の竹林の小道の先は、不思議な静寂が満ちており、それでいて誰かが待っているような気配がした。
娘は民家の開ききったチューリップを見て、うろ覚えの歌を歌っていた。

妻と義妹が朝食を整えて待っていてくれた。
姉たちはまだ寝ているということで、俺の家族と弟夫婦で朝食。あれから弟とは口をきいていないゆえ、気まずい気分だった。弟も同じだったろう。
義妹と妻がぺちゃぺちゃ話すのを聞きながら、男二人は無言で食卓につく。
それでもやはり兄弟である。身を近くに寄せていると、感じるのである。わだかまりが、じわりと氷解してくるのを。
ただ、声を掛けるタイミングが難しい。
食事の後、弟は席を立たなかった。俺が一服点けると、弟もそれにならった。いい機会が来たと思った。
「昨日は悪かった」と俺が言うと、弟も
「いや、俺も言い過ぎた」と言った。
にやりと、笑みがこぼれたと思う。


距離があるので、実家は早めに辞した。
別れ際、弟は「また来ないや」と言った。
「社交辞令か?」とちゃかしたら、
「本心に決まってら」と笑っていた。
お互いに「元気でがんばれよ」と声を掛け合って、別れた。
「がんばれ」という言葉が素直に心に届くのは、久しぶりのことだと感じた。
起伏の激しい帰省であったが、終わりは良かった。母の加護かもしらん。


高速道路は使わず、一般道を帰った。天気が素晴らしく良く、行楽のつもりだ。
景色のよい海岸に寄り道して、降りてみたり。ちらほら人がいて、海岸の石を拾っていた。色の綺麗な、つるつるした丸い石だ。俺たちも娘と拾って、遊んだ。
「翡翠が落ちているかもしらんぞ」と冗談を言ったら、妻は
「ええっ、どれが翡翠なんやろ~」と、石をとっくり眺めていた。
3つばかり綺麗なのを持って帰った。

妻と替わりばんこで運転した。途中からやはり、高速道路に上がった。慣れない道で、妻が運転に疲れているようだったからだ。
後ろで眠ってしまった娘から、眠気をうつされたのか、俺も眠くなった。
「これ内緒なんだけどさ。(義妹に)赤ちゃんできたんだって」と突然妻に言われて、眠気がふっとんだ。
「そんな大事なこと、黙ってるなよ」と俺が言うと
「だ~か~ら~、まだ内緒なんだよ」と妻がえへへと笑った。

あの拗ね坊が父親になるとは・・・!
しかし、我がことのように嬉しい。

法要のあと、ささやかな会食の場を持つ。
弟夫婦がしっかり取り仕切ってくれた。膳の用意など俺の妻と姉が手伝ったばかりである。ありがたい。


俺が家を建てるというので、宴では叔父たちとその話で盛り上がった。
長男が県外に新所帯することを非難されるのではないかと思っていたが、叔父たちは概ね好意的であった。
俺の今までの行状を評価してくれているらしい。

ところが、弟が喰いついた。気にいらんらしい。
酒も入っていたことだし、まあ・・・昔から自分以外の人間が注目を受けることを嫌う性格の男であったが、いまだにそうなのかと、俺も最初は受け流して聞いていた。
母と生活を共にしてくれたことには感謝しているし、田畑を管理してくれていることもありがたく思っている。
しかし、酔っ払いは言説がしつこいものだ。素面の俺には聞くに堪えない。くどくど言い募る弟に、俺はだんだん苛つき始めた。
俺もぽろりと言い返してしまった。叔父の一人が俺の肩を持つ言葉を挟んでくれたが、なにぶん叔父も酔っており、その言葉は火に油を注ぐ結果を招いた。
弟は怒り出した。

弟の主な主張は以下の通り。
「兄貴は(家のために)何もしない」
「跡取った者の気持ちが兄貴にわかるわけない」
要するに弟は、兄貴のくせに勝手ばかりする俺に我慢ならんのだった。

「何もしない」って・・・
お前が人並みの結婚式挙げられたの、誰のおかげだ?
お前が結婚するからって、家の水まわり整えてやったの、誰だ?
コンバイン買ったの、誰だ?
その他いろいろと、経済的に援けていたのは俺だぞ。
出て行って帰れない長男の気持ちだって、弟にはわかるわけがない。

「金出せばそれでいいのか」と弟は言う。
金より情愛が尊いとは俺も思うが、情愛がなければ金も出さん。情愛の一部を金で表現したと、俺は思いたい。
しかし、そんな冷静な反論はいくらも続かない。俺と弟の議論はバイオレンス風味が加味され、議論とは呼べない代物にすぐに変化した。
「コンバイン持って帰れ」「自分が手入れした家に住んだらどうだ」などなど、子供じみた反論が始まった。
昔から、弟が鼻にしわを寄せながら屁理屈言う様子が、俺は大嫌いだったのだ。それを見ると俺は途端に、頭に血が上るのだった。
そして、今もそうであることを俺は確認した。
俺にとって、痛いところを突かれているというのも、ある。人は不都合な真実を指摘されたとき激昂するのだ。つまり図星だったということである。

売り言葉に買い言葉で、俺と弟の会話は罵り合いの様相を呈し、それはエスカレートする一方であった。
「ぶっとばすぞ」「暴力かよ?」「うるせぇ、かかってこいや」「わけわかんねぇ」「インテリさんは暴力反対か、ごるぁ」などという殺伐とした会話が交わされた。
とりなそうとする叔父たちと、いきり立つ俺、憮然とする弟で、場は騒然となった。

茶の間で、子供たちと食事をしていた妻たちが慌てて出てきた。
俺の妻と弟の妻はおろおろして、「やめてよ」などと亭主を抑えた。そう言われても、引き下がれない気分であった。弟もそうであったろう。
姉は遅れて、子供たちを従えて現われた。俺と弟を睥睨し、
「ああ、うるせぇ!でけぇおっさん二人が何騒いでるんだよ」と、俺たちを叱りあげた。
弟は、俺が殴るんだと、姉に訴えた。俺は、まだ殴っていない、と反論した。
姉は「いい歳して殴り合いかよ?」と哂い、母が浮ばれないだろうと諭した。諭したというか、俺らを黙らせたといった方が、正しい言い方だった。
何とかその場を取り繕い、俺と弟は口をきかなかったが、叔父たちと改めて酌み交わし、ほどなく宴は開けた。

帰り際の叔父たちから、弟は俺を妬んだのだという解説を聞かされた。
今の状況に不満があるわけではないが、新しい土地で家を新築する俺を、弟は羨んでいるのだと。弟がこの家に残ってくれたからこそ、俺はそうできるのだからと。弟は確かに言いすぎだと思えるが、聞き流してやれと。
そういうことを叔父たちに諭された。
弟は弟で諭されているようだった。
俺にも後ろめたいところはある。弟も思うところがあるだろう。
お互いのことを思いやれば、喧嘩をしなくてもすんだのだが。それは「後からつけた」ことである。
頭が冷えて、みなに迷惑をかけたことを思い至り、バツが悪い気分だった。喧嘩をするだけの元気があると思っても、やってられん気分であった。


冠婚葬祭で兄弟が集まったときに刃傷事件になった、と新聞などで時折報じられる。他人事に見ていたが、なるほどあり得ることだと痛感した。
寄ると触ると喧嘩をするような兄弟だったわけではない。むしろ仲はよかった方だと思う。
しかし、あんなに頭に来たのは、血が繋がった兄弟ならではかもしれん。

干した布団が心地よく、目覚めの気分も上々である。
明け方に起床。
寝ぼけ眼であったが、妻もちゃんと自力で起きてきた。
娘は起こしてもなかなか目覚めなかった。朝飯を食っている間も、気づくとこくりと舟を漕ぐような具合である。無理に食べさせることもない。食事は切り上げさせた。
早く起こされて機嫌の悪い娘をなだめながら、身支度をさせて、出発。
外に出ると、東の稜線を赤く染めて、紅の円盤と化した太陽がまさに昇ってくるところであった。
妻は、朝焼けを見るのは久しぶりだと苦笑いしながらも、日の出に見とれた。そして「朝早いのも気持ちいいね」と言った。

陽を見ながら出発したのに、次第に曇ってきた。北や西の空は真っ黒で、速い風に乗って雲が広がってきた。
そのうち雷鳴が始まり、空を稲妻が切り裂く。突然の大粒の雨が、フロントガラスをたたく。
大きな雷とともに、雹まで落ちてきた。
それほど激しい雨はなかったが、天候の変化がめまぐるしかった。
10時まえに実家に到着。
俺と前後して叔父たちもやってきた。


僧侶は時間に少し遅れたが、法要は滞りなく終了。
母が死んで、もうやがて一年とは。

座敷から見る庭には、何株もの牡丹が盛りに花をつけている。赤、白、桃色。
藤も花を咲かせ始めた。つつじも桃色のつぼみを沢山つけている。
あいにく今日の空は曇りであったが、大気の中にわずかに花の香りがした。
母の死んだ日も風の芳しい日であった、と思い出す。強い風の日でもあった。あの風に乗って、母の魂魄はたちまちに天に昇ったことだろうと思ったことが、脳裏によみがえった。
花盛りの、若芽の賑わしい庭を眺めながら、花の好きだった亡き母を想う。
庭木の間にうずくまって、雑草を取っていたこと。
池に落ちた木の葉をかき集めていたこと。
あねさん被りで庭の手入れをしていた母の姿がまぶたに浮かぶ。
世話をしてくれた人がいなくなっても、花は意に介さないのか。いや、その人を偲ぶがゆえに美しく咲くのか。

娘をひざに抱きながら、母は生前ついに、この家では孫娘に対面できなかったことを思いついた。
母にもっと娘をみてほしかったと思ってきたが、「この家で・・・」と思うと、その気持ちは濃くなる。

晴天。
今日の午前中の仕事が終われば、俺は一足先に休みになる。
既に習慣となった早朝覚醒のため、朝の時間は長い。朝の当番がついているときなどは、都合が良いとも言える。そこまで前向きに考えられ、行動もできるのだから、ずいぶん元気になったと思う。
早朝の得意先回りを済ませて、店に出た。相変わらず客が沢山入っている。しかし明日から休みだと思えば、がんばる気になれた。
正午を割って午前の仕事が終わった。そのまま書類の記入を念入りにした。客周りの仕事を済ませ、申し送りをして、3時過ぎに退勤。
前のときにあいまいに予約をしておいた主治医のところに電話をしたら、どうにか診察時間を取れるということであった。家に帰らずに病院に行った。

まだ日の高い平日に、街を運転するなど、久しぶりのことである。いつのも街が珍しい気に見えた。
診察自体は、病状が落ち着いてきているのでさほど時間はかからない。短く終わった。ゴールデンウィークに無理をしないように、と釘をさされはしたが。
処方は変更なし。


早い時間に帰宅。
天気がすばらしかったので、妻は沢山の干し物をしたそうだ。洗濯物をたたむのを手伝った。娘も俺たちの傍で手伝いの真似事をする。手伝いか、邪魔かは微妙なところ。
取り込んでたたんである布団の上で、飛び跳ねてふざけたり。歓声を挙げて、あちこち暴れまわる。興奮状態である。
俺が思いがけず早く帰ったから喜んでいるみたい、と妻が言った。
陽の匂いが立ち込めていた。

明日は法事があるため、新潟に帰る。妻は法事の世話をしなくてはならないと思って、緊張を感じているようだ。俺の親族とはいえ、普段付き合いのない相手に気後れするのだろう。
名ばかりの長男で、家のことは弟が取り仕切っているから、それほど神経質になることはない、と諭した。

晴れ。今年はなかなか天候がはっきりしない。きれいに晴れはしたが、気温は思うほど上がらない。
それでも、青空にこいのぼりの泳ぐのをみると、清々しい気分になる。

今朝も、俺の地面を見やりながら出勤。
昨日でコンクリートブロックが設置され、今日は土盛りが始められるのだろう。また早くから、作業の人々が集まっていた。
日に日に形が変わっていくのを見るのは、とても楽しい。俺は短気だからか、そうでなくては張りがないと思うのだった。


連休に向けて、手のかかる仕事は大方片付けてある。比較的ゆったりと仕事ができる具合だ。
困った客が現れることもなく、穏やかな一日が終わった。夕方の会議もいつもの如く平凡な内容で、みな疲れきっており、眠たげな進行であった。
明日の午前の仕事が終われば、俺は休みになる。金曜のはいつも長引きがちであるから、3時ごろまで勤務になるのかなと、おおまかな流れを想像しながら帰宅。

夕食時、今日の出来事やテレビネタの話をするのが常のことである。昼のメロドラマの話は既に筋がわからなくなっているので、俺は相槌を打つのみであるが。
今日のワイドショーニュースで、俺の実家の辺りの教師が逮捕されたことが報じられていた、と聞いた時はどきりとした。エロ教師の昏睡強盗の事件である。教師と聞いただけで俺の弟か、と一瞬思ったのだった。
こういうアホな心配をするところが、神経症的である。俺は俺の妄想に噴出した。
大笑いする俺に妻が怪訝そうな顔をした。馬鹿げた理由は、さすがに説明できなかった。

事件の小学校教師が、みなから慕われるいい先生であったというので、妻は不思議がっていた。
「みんなにいい人と思われようとすると、大きなストレスが掛かるものです」と俺が言うと、
妻は「そんなもんかねぇ」とぬるい相槌を打ち、俺はどうなのかと真面目な顔をして尋ねた。
過剰なストレスを発散できないと、弾けて反社会的な行動に及ぶか、病気になってしまうかだろう、というようなことを話し、更に
「俺はもう病気になってしまったから、犯罪はおこしやしないよ」と付け加えた。
究極の選択のような話で、拙すぎる答えだと思ったが、妻は以外にも笑った。そして、そんな言い方はしてはいけないと、やわらかく俺をたしなめた。
病気には誰もがなる可能性がある。他人を傷つけるより、自分が傷ついた方がよほどいい。そんなことを妻は考えていると答えた。

本当に・・・お前はなんて素直なんだろうね!

助けられるより助けたい。
認められるより認めるようでありたい。
愛されるより愛する方でありたい。

小雨の降る一日。
4月の雨は恵む雨だとか。なるほど、みるみるうちに黒かった地面は青々と若芽に覆われた。今日は優しい雨に、瑞々しく濡れている。
春の雨は好きだ。若葉が美しく、目にしみるよう。

俺の地面の埋め立てが始まる。
昨日重機が田んぼの真ん中に入れられているのを見た。
今朝は、俺の出勤する早い時間から、業者の人たちが来ていた。家を出れば、自分の地面が難なく見通せるというのも都合のいいことだ。
出勤にほんの少し回り道になるが、そちらに出向いた。
みなで相談している様子で声を掛けづらかったが、車を止めて挨拶をした。
彼らは今日の作業について丁寧に説明してくれた。境界にコンクリートブロックを入れる作業をするとか。埋め立て自体は日数の掛かるものではないそうだ。しかし、連休を真ん中において作業してもらうことに、若干の申し訳なさを感じた。
作業前に邪魔をしてしまった。「よろしく」とよくよく頼んで、出勤の途についた。

早朝の楽しみに押し出しされてか、また今度の薬が俺に合っているのか、すこぶる体調が良い。いつもの営業スマイルにも、自発的な微笑みが加味されていたように思える。


早めに帰宅した。
日中工事の様子を眺めていた妻と、その話をした。妻もとても楽しみにしてくれている。娘はまだよくわからないのかもしれないが、親が楽しげな様子なのは感じているだろう。
少しずつ少しずつ、芽吹いてきた。

以前「風に吹かれて波乗りジョニー」という豆腐の話をしたことを覚えている。
その製造元の「男前豆腐店」はかなりメジャーになったようである。我が家の行きつけのスーパーマーケットの豆腐売り場にも、かの豆腐店のコーナーが設置されているそうだ。
そんな話を妻から聞かされた。

今日は「男前豆腐店」の製造なる「実録男前豆腐店」という、三連の小さな豆腐が食卓に並んだ。
「実録」という言葉には、妖しさがある。週刊誌的ないかがわしさもある。
それぞれのパッケージには、名前と干支・星座が書かれて、似顔絵が載せられている。マサヒロだかテツオだか。「誰それ?」という可笑しさがある。
「実録」ということは、こういうプロフィールの人がこの豆腐店に実在するのだろうか。
妻は「イミフ(意味不明)で笑えるやろ」と面白がって買ってきたのだった。俺も、こういう商品は好きである。
パッケージから出すと、男という文字が凹んで出るようになっておった。「男」「男」と強調されると、こんなにも可笑しいものなのか。試しに想像してみたが、「女」「女」ではこういうわけにいかないと思う。
ねっとり甘くて、美味であった。
マサヒロについてだけは、大きなバージョンの商品もあるそうだ。何故彼だけなのかはわからん。
妻が言うには、似顔絵から察するに一番格好いいからではないか、とのこと。女の人は見るところが違う。


愛染恭子という名前を久しぶりに聞いた。
しばらく前に、加藤鷹か誰かと実践もののAVに出ていたように思うが・・・、それは樹まり子だっけ? それ以来のことだ。
俺がちょうど色気づき始めたころに、一斉を風靡していた彼女。
芸名からしてやらしい雰囲気、と少年の俺は思い、当時見ることの叶わなかった彼女の出演作品について、いろいろ妄想したことであった。ま、何見てもやらしいと思い、何聞いても妄想できた、懐かしい思い出であるな。

その愛染さんが逮捕されたそうな。自分の愛人と関係した14歳の姪に対する、暴行の容疑だとか。
14歳って・・・淫行罪ではないか。場合によっては強姦罪も考えられる。いくら発育が著しいとはいっても、子供に欲情する気持ちが俺にはわからん。
ボコるなら愛人の男の方ではないかと、俺は思う。動機はしつけというよりは嫉妬なのではないか、とも思う。
それにしても、私生活の、いまだ華やかなることをうかがわせる事件である。

豆腐ではないが、「実録・愛染恭子」は結構そそる(苦笑)。
曇り空。今日から天候が崩れる予報であるが、それほど不穏な感じはしない。

すったもんだがあったが、やっと住宅ローンの話に目処がついた。
もう告白してしまう。
銀行から金が借りられないって、恐ろしく哀しいことだよ。
ちゃんと稼いでいるのにさ。
人並み以上に稼いでいるって、銀行の人も褒めてくれたのに、なにさ・・・。と、これは愚痴になるからよす。
結局愚痴なんだけど。どうにか借金のアテもできたことだから、よしとしよう。以上。

ようやく整地が始められるわけだ。
現状が田である。深田ではないように見受けられるが、軟弱地盤と認められれば、地盤改良が必要となるそうだ。工務店さんの話では、必要である気配がするとのこと。

懸念事項が解決して、妻も俺もほっとしたのが、本音。


妻と娘と買い物。
たけのこ・ふきなど、春めいた食材を購入。今晩はたけのこご飯にするべく、たけのこを茹でた。

午後より、職場に出る。
得意先廻りをして、事務所で溜まっていた書類を書く。日曜だからといって、捗るわけではないのだが。
夕方まで職場でダラダラ仕事をして、こころもち疲れて帰宅。

夕飯はたけのこご飯。また、穂先を刺身にして食べた。しゃりしゃりとうまい。娘も欲しがったが、妻が止めるのでやめておいた。精が強すぎるからだ。
にんじん・油揚げ・たけのこのシンプルな炊き込みご飯だったが、それだけで何杯もいける。
たけのこだけは旬のものだ。

昨夜は妻と一緒に、ずいぶん早い時間に床に入った。ひと仕事して、そのままいつの間にか寝入ってしまったのだった。
ひと汗かいて、風邪もすっきりしたように思う。


曇り空。明け方に雨が降ったか、アスファルトは黒く濡れていた。
遅めの朝食を摂り、歯科受診。歯のクリーニングのためである。

今日行く歯科医院は最近できたばかりで、初めていくところだ。今まで通っていたところは職場の近くなのだが、混みすぎていて思うような予約が取れないのが、難点だった。
小さな歯科医院は真新しい建物の匂いがし、置いてある観葉植物にはまだ、開院祝いのリボン飾りがついたままである。俺のほかに一人、高校生くらいの女の子が待合室にいた。
予約を入れていた旨を告げ、簡単な問診用紙を記入する。
ほどなく名前が呼ばれた。
例の不愉快な椅子に座らされ、口腔内のチェックを受ける。幸いにして、治療済みの歯にも健康な歯にも異常はなかった。当初の思惑の通り、クリーニングだけで済む。

丁寧に歯磨きを行っているつもりでいたが、少々の歯石が付着しているとのこと。またタバコを吸うゆえ、歯の裏が汚れ始めているそうだ。
俺は痛みに弱い。歯石を削るのさえ、結構痛いと感じた。情けないことだと、自嘲する。
歯間の触れ具合が鋭角になり、ヤニ汚れも落ち、すっきりして終了。
歯間ブラシを歯の表からだけではなく、裏からも通すようにアドバイスされた。ついでに歯間ブラシも買っておいた。
半年後に定期健診の案内葉書をくれるとのこと。

歯は消化器の入り口である。消化器の健康のためにも、歯の状態を保つことは大切である。また、歯周病が全身に及ぼす影響についても言われて久しい。
人と接する仕事をしている身であるから、歯の汚れや口臭には気をつけたい。清潔な歯でいることは基本だと思う。

晴れ。清んだ青空の広がる美しい一日であった。気温も高め。

風邪は相変わらずであったが、体調不良で欠勤する習慣はない。それほど重篤でもないしな。とりあえず出勤。
早朝はだるかったが、働き始めると調子が出てきた。
今日は予約の客と会う日だ。今日は比較的楽なスケジュールとなっており、風邪気味の俺にはありがたい展開だ。
気持ちゆったり目に商談した。


昼飯を食ったら、眠くなってきた。
眠気覚ましにコーヒーを飲みに行った。すると知り合いのご婦人がやってきた。向こうから俺にから話しかけてきた。彼女の近況など。
そのうち違う話になった。

「やっぱね、女はいつまでも恋をしてないとあかんと思うんです~」などとため息をつきながら、話し出した。
恋愛をして気持ちに張りが出るのはいいことだろう、と当たり障りのない応えを返す俺。
「私も恋がしたいなあ・・・」と言う彼女。
「旦那さんがいるではないですか?」と俺。
「あんなもん・・・」と吐き捨てる彼女。
「誰か、そういう人いるんですか?」と一応訊いてみた。
「いませんよ!でもいいじゃないですか~」と彼女。

いいですけどね・・・。でも、俺の娘と同じ年の孫が彼女にはいるはず。
いつまでたっても乙女ということか。夢見る乙女の彼女にかける言葉は、俺にはなかった。
しかし、素敵なひとに憧れを持つとか、淡い恋愛感情を持つとかは、いいことなのだろう。
ぬるまったコーヒーを啜り終えて、俺は仕事に戻った。

ここのところ、寒かった。今日はやっと過ごしやすくなった。
少々風邪気味である。咽喉にくる。
舌圧子のかわりにまた、歯ブラシを使用して咽喉の様子を観察。軽く赤くなっておった。風邪引きの咽喉である。
今更ながら、イソジンでうがいをしてみた。


鼻で充分に呼吸ができない所為で、唇が乾燥しがちである。職場の空調もあり、かさかさになった。
昼飯のとき、合いと向かいで食事をしていた先輩に指摘された。
「唇割れとるで?リップクリーム貸したる」と言われた。
親切はありがたいのだが、先輩のリップクリーム塗るってのは・・・。というか、先輩がリップクリームを常時携帯していることが、驚きだ。
俺は丁重に断ったのだが、先輩は「いいから、いいから」と言ってポケットを探って出してきた。
メンソレータムのやつだ。キャップを外すと、結構使い込まれていた。
先輩が汚らしいとか、そういうわけではない。

・・・なんか・・・やじゃないですか・・・。

積極的に嫌ではないのだが、やっぱり嫌。この感覚、先輩にはわからんのであろうか。
「俺、食ったばかりですけど・・・いいんすか?」と、一応きいたが「かまわんわ」との答えである。
せっかくの親切をこれ以上固辞するのも失礼だと思い、遠慮がちに使わせてもらった。

先輩も乾燥するため、家にあったものを持ってきているのだとか。もともとは先輩の奥方が持っていたものではないか、とのこと。
俺の胸のうちには更に、説明できない気持ちが湧いてきた。
先輩の奥方→先輩→俺で、リップクリーム共用・・・。別にいいんだけど、いいんだけど。いいんか?

すごい美形だと噂の、先輩の奥方と、リップクリームを挟んで唇を合わせたと思えばいいか・・・。
いや、その妄想も俺的にはゲロゲロだ。
夢を見た。
ウフィツィ美術館を妻と見学している夢だった。
ダ・ヴィンチの「受胎告知」の絵の前で「この聖母の顔は厳しすぎるよな」などと、妻と話し合っていた。
大天使ガブリエルの赤い衣も、聖母の青いマントも色鮮やかで、リアルな夢であった。
俺の脳髄は何を呟いたのだろうと、寝覚めにしばらく考えた。

妻に話したら、画家などの色に敏感な職業の人は、天然色の夢を見るとか聞いたことがある、と言った。俺はゲージュツはわからんのだが。


正午過ぎに地震。先日の能登の地震より、揺れは強かったように感じた。
ちょうど、昼飯の後、娘と書斎に入ったところであった。
本棚ががたがた揺れた。とっさに必死に本棚を押さえた。
娘は空に目を見張って座り込んでいた。
揺れが治まると、娘は俺の脚に擦り寄ってきた。
妻が書斎を覗いて「また能登?」とか言う。
居間に戻ってテレビをつけると、三重だとわかった。
東海地震であるとか、東南海地震であるとか、両方連動であるとか、近い将来に起こるだろうと言われて久しい。ここへきて、地震活動が活発化したのか。日本国内でももちろん、世界中をみても大きな地震が立て続けに起こっている。
「気持ち悪いね・・・」と話し合った。家を建てようとしているので、余計に不安になる。

友達のところは、怪我や倒壊などの被害はなかったそうで、安心した。
昨日よりは肌寒い。小雨模様である。


今日は通院日。処方が変わった。
聞いたことのない薬だった。薬剤師によると、去年こっそり認可された新しい薬だそうな。Pに似ているが、Pにありがちな副反応が出にくいとのこと。
略歴聞いても、な・・・。自らの肉体でとっくり検分いたす所存、ってところ。

街の春祭りであったが、あいにくの天気。それでも中心街には、沢山の見物客がいた。
改めて昼から、家族で見物に出ようかと思いついた。


祭り見物ということで、娘は赤い別珍のスカートに着替えさせた。二重のスカートでレース飾りがついて、ふわりとお姫様のスカートのようだ。女の子らしく、おしゃれをするととても嬉しそう。
妻は小さいころ、母親にズボンばかりはかされていた為、スカートに憧れていたわ、と忘れていた思い出を話した。
そして「今はもう、脚出せないしな」と笑って付け足した。ぽっちゃりした脚がぴょこぴょこ跳ね回るのも、俺は案外好きだが・・・いやいや。
可愛い娘が生まれたのだから、憧れを娘に投影するのも楽しかろう。

空模様は怪しかったが、雨は落ちてきていなかった。
中心街の駐車場はどこもいっぱいであった。祭りのメイン会場には少し歩かねばならなかった。
散り際の桜を入れて、何枚か写真を撮った。晴れていたらもっとよかったのに、こればかりは仕方ない。
屋台のベビーカステラなど買い、食いながら歩いた。
娘の小さい手は冷たかった。スカートの裾をひらひらさせながら、先へ先へ歩いていこうとする。俺の手を振り切ろうとする。
危なっかしいなとはらはらしながらも、すっかり一人前のつもりで歩いている娘をほほえましく見た。
祭りの通りの端まで行き着く前に、雨が降り出した。ちょっと残念だったが、本格的になる前に帰ることにした。

スーパーで軽く買い物をして、帰宅。
暖かかった。桜は満開で、一部散り始めている。
ここ数日夜になると、大気の状態が不安定になるらしい。雷が轟き、通り雨がある。

体調はまずまずを維持。
仕事にやりがいを少し感じるような気がする。特別仕事がうまく行っている、ということでもない。難しいのも抱えているには違いないのだが。ほぼ体調の好調な所為だと思う。
暖かい一日であった。
本日より新学期が始まるとて、朝の街には初々しい新入生と思しき子供たちが目立つ。
特に小学一年生たちの、体には大きなランドセルを慣れない様子で背負って、上級生の後についてよちよち歩くのが可愛らしい。目を引く。ランドセルが歩いているみたい。しかし、夏を迎えるころには、見違えるほどに逞しくなってしまうはずだ。

ブログを始めてまるまる三ヶ月になるが、今日始めて「続きを読む」の作り方を発見した。
そんなもの始めたその日にわかるだろうに・・・と呆れられるかもしれない。俺も自分の拙さに苦笑いを禁じえなかった。

うす曇。
満開近いと聞き、市内の桜の名所に家族で出かけた。つらりと歩いた。
樹によっては、まだつぼみの半ばしているものもあった。雲霞のように見える満開の桜並木には、もうわずかばかり時が要るだろう。
樹形の美しさもあるが桜の樹の傍には、たとえ大勢の人がいようと、静寂が満ちているように感じる。時の流れが止まったような・・・とでも言おうか。
桜の葉陰に鬼が住む、というイメージも頷ける。俺は夜桜が怖いと思ったことを、思い出した。

娘にアンパンマンのビニール風船を買ってやった。
風が案外冷たかった。外を歩いていると何だか、体がむずかゆい気がしてきた。黄沙が舞っているのだろうか。
花は美しかったが、心地よい陽気ではなかったゆえ、早めに帰宅した。


夜、妻と俺の病気について話をした。お互いに長く話すつもりではなかったが、短くすむ話ではなくなった。
娘を寝かしつけるのに中断して、また話した。
話をしても結論の出る種類の話ではない。いくつか胸を打たれる言葉を妻からもらったが、反面申し訳なく思ったりする。それは思考の癖か。
今はまだ興奮しすぎて、その夜の会話についてまとめて書き留められない。鬱の話を嫌う人もいると聞くから、ここで書きとめておくべきなのかも、悩ましい。

興奮しているのは、心が震えたから。
この人の愛情のまっすぐさが伝わったから。
まだ億劫感が抜けない俺に、ほとほと嫌気がさす。
どうしたらいいですか?
昨夜の寒さに耐えかね、オイルヒーターを最強にしたまま枕上に据えて就寝した。おかげで朝方咳き込んで目が覚めた。乾燥しすぎたようだ。
晴れて、また寒い。


今日は現場がちまちましており、大変面倒であった。大工さんと鉢合わせの日であるから、彼らの立てる物音が更に神経を苛立たせたのかもしれない。
丁寧すぎる仕事であったが、うまくいって終了。まずまず。

6月ごろ、新しい人が俺の部署に回ってくるらしい。先輩と俺で面倒を見なくてはならない様子だとか。
先輩とふたり、面倒の見方・指導の仕方について、何となく話し合う格好になった。本社暮らしの長かった俺に、先輩は多くを任せたいようであった。そんな雰囲気を感じた。
最近は若い人の中に変わった人が多いから・・・と、もう億劫がる俺がいる。まだ見ぬ人を否定的に考えることはないじゃないか、と思いなおす自分もいる。
新人さんが俺らの部署にわらじを脱ぐ、ということではないのだから。しばらくの間のことだ。そんな風に自分をなだめた。
俺が主たる指導者でもいいのだが、フォローはしてくださいよ、と先輩にお願いしておいた。更に、まだまだ自分に言い訳をしなくてはいられない俺であることを、先輩に告白しておく。
俺の事情は知っている先輩だから、快諾してくれた。


熊本の病院に設置許可された、例の赤ちゃんポスト。「こうのとりのゆりかご」という名称になったそうだ。
誰もが赤ちゃんを手放すことなく育てられたら、これほどいいことはない。しかし現実はそうではない。子供を受け入れられない親の、どんなに多いことか。
今起こっている事実に、いいことだとか悪いことだとかいう判断を下しても、何にもならないと俺は思う。
わが国では幸い、人の命は最も尊いものとされている。無防備な小さな命が、それは人の手がなければ一日たりとも生き延びられないのだ、拒む親によって危険にさらされるのなら、この「ゆりかご」には益があるはずだ。
「親が子供を捨てるのは許されない」と反対する政治家に、腹立たしい思いがある。彼の唱える「美しい国」が薄っぺらな精神論に根ざしているのなら、俺はそんな国にはなって欲しくないと思う。
行政の無策の間隙をぬって民間の病院が動いたわけだが、これを期に行政が重い腰を上げてくれることを願う。子供を救う手立て、不安な親を支える方法など、行政のできることはあると思う。

そうは言いながら・・・。
子を捨てる者もあれば、望んでも望んでも得られない者もある。このニュースをどこか冷静に聞けない俺でもある。
黄沙。遠くの景色がかすんでいる。気温は高めであった。
静岡では真夏日であったとか。ちょっと異様だな。

朝方職場を覗いた。帰り道は花を探して、散歩しながらだ。
民家の花壇に、黄色や白の水仙が花盛り。ラッパの部分が濃いオレンジ色で、口紅をつけたようだ。かわいらしく、ぬくい風に揺れていた。歩く人に挨拶を送るようであった。
白木蓮は木に鈴なりだ。紫の木蓮も愛らしい花をつけていた。こちらはマグノリアという洒落た名前が似つかわしいのかもしれない。
黄色いエニシダもつぼみをつけている。ヨーロッパの中世文学で、美姫の金髪の美しさに喩えられる黄金の花は、華やかで目を引く。
桜は以前として咲き初めで、枝にこんもりと房状にうずくまっている。初々しい咲き始めの様子が、満開になると妖艶なものになる。散り急ぐさまは切ない。桜に対する特別な日本的な思いで見る所為か、こんなにくるくると表情を変える花は稀であろうと思う。

午後からも家族で買い物のついでに、花を見て歩いた。
遠回りをして、工場の塀越しに並んだ桜の木を見た。こちらもまだ咲きそろってはいない。日当たりのよいところはぼちぼちであったが、ほとんど咲いていない木もあるのだった。
中学校の校庭の木もまばらに咲いているのみであった。
娘は桜を見ると「春!」と言う。桜めぐりで娘は「春、春」としゃべり通しだ。
妻は、桜は咲き初めが好きだと言う。これから・・・という期待感にうきうきするからだとか。感性に若々しさがある、と俺は思った。
俺は桜吹雪の舞う、散り際が好きだ。壮絶な滅びの美しさとでも言おうか。
妻は俺の意見を評して「デカダンやな」と笑った。悪い気はしない。


きゅうりが安かったので、大袋で買った。しばらく酢の物を食っていないと思ったら、とても欲しくなった。茹蛸と酢の物にすることにした。
今日の俺の腹具合は、魚モードである。鯖の良さそうなのをカートに入れたら、妻は「また鯖?!」と不満そうであった。妻は生臭い青魚があまり得意ではない。食べるのも料理するのもだ。
日本の食文化を娘に継承させるためにも、魚料理は外せない。などとわけのわからん理屈を捏ね回して、妻を黙らせてやった。
でも本当にそうだと思う。あれ嫌いこれ嫌いという偏食の娘は、みっともないではないか。女だけに限らず男でもひどい偏食のひとを見ると、俺はその親の育て方を疑ってしまう。

鯖の味噌煮、ひじきの炒め煮、ほうれん草と千切りのおひたし、蛸ときゅうりの酢の物、しじみの味噌汁。思いがけず、貧血対策の献立になってしまった。
鯖の生臭さを消すために、にんにくと生姜を使ったら、こってりしたものになった。これはこれで悪くはない。食べでがあった。俺の料理はますます熟練されていく、と妻が持ち上げた。持ち上げても毎日はしないぞ。

食事の詳しい話を書いたついでにひとつ。かなり痩せた。
薬のため、運動量の減少もか?、一時期どんと肥えた。今度は減薬により体重が急降下だ。一瞬癌持ちになったのかと思うほどだ。


のんびりした日曜日だった。妻とも親しんだ。
何も起こらないことに、幸せを感じる。この思いを大切にしたい。

朝から雷と強風。春の嵐というにはすさまじすぎる。

通院。
ここのところ調子がよい。Pがなくなった影響はない。むしろない方がいいようだ。
主治医に話すべき悩みも不安もなかった。主治医は俺がまた嘘をついているのではないかと疑っているようで、俺の目を覗き込んで考えていたが、嘘だと認める確たる証が見つかるわけではなく、診察は終了した。
すっきりしたdoseのまま。
このまま寛解してくれればいいと、祈るような気持ちである。

帰り道、神社の満開の枝垂桜を見た。強風にあおられて揺れていた。濃い桃色の花が鈍色の空の下ですら鮮やかであった。晴れた空の下ならば、どんなに美しいことだろう。残念に思った。
染井吉野の方はまだ咲き始めである。
しばらく天気が優れないようだが、染井吉野が満開になるころには回復する予報。家族で花の下のそぞろ歩きを楽しめるといいと思う。


午後になっても天候は変わらず。地鳴りのような雷が続いていた。風も先に増して強く吹きつける。外は黄沙の所為か、ぼんやりと黄色いフィルターをかけたようでいて、薄暗い。不吉な感じのする光景だった。
能登のあたりもそうなのだろうか。被災した人たちは余計に不安を感じていることだろう。気の毒である。

買い物に行くのも躊躇する様子だった。冷凍庫にあった豚もものブロックをトンカツにするとて、手伝いをした。作り始めて、パン粉の少ないことに気づいたが、どうにか足りた。俺はこういった状況に焦るのだが、妻はまったく気にならない性格だ。夫婦とは凹凸がうまく合っているものだと、改めて感心する。


本日でポケットベルのサービスが終わるそうだ。
若いころ、俺も持たされた。ポケットベルについての悲喜劇がたくさんある。一時代を作った道具の終焉に、去来する思いがある。

桜の開花宣言が出たそうだ。
俺の家や職場のそばの桜木には、まだつぼみの固いもの、ほころび始めたものがある程度だったと思う。開花した実感はないが、宣言が出たからには瞬く間に咲きそろうのだろう。
日本人の桜を待ち望む気持ちは、毎年のことながら、一種異様な観を呈する。民族的な高揚感とでもいえばいいのか。
気がつけば、俺も桜花を待っている。


年度末で、人員の面でばたばたしている。その所為もあって、仕事に追われる感じがした。店に出ていると、現場からお呼びがかかった。それを済ませて店に戻ると、また呼び出し。
まとめて呼んでほしいと舌打ちしながら、階段を駆け上がったり、駆け下りたり。まことに慌しかった。
俺だけが駆け回っているわけではないのだが。自分で自分に文句を聞かせて、なだめる。
効率の悪い仕事ぶりを披露している間に、昼飯を食う暇がなくなった。なんだかんだで、昼の休憩すらなかった。オレンジジュースなど一気飲みして、血糖値を気分上げてみる俺であった。

労働基準法とかいうものが、わが国にはあったように思い出されるが、なくなりましたんか?(苦笑)


わたわたしてわけがわからなくなった割に、退勤はそれほど遅くならなかった。
職場では気が張り詰めていて平気に思えたが、車に乗るとどっと足腰の疲れを自覚。肉体は疲労を訴えているのに、精神はまだ職場モードであった。客のことが頭から離れてくれない。
これはまずいな、家に帰る前に落ち着かねばと思い、駐車場でしばらく休んだ。レヴァインの「さまよえるオランダ人」を聴いた。
大きな音にはしなかったが車の外に音が流れ、退勤する同僚たちみなが俺の車の様子をうかがう。怪訝な表情だ。
俺はシートを倒して、半眼で、努めて彼らに気づいていないように振舞った。
音楽は俺を抱きとめてくれたが、ときどき外の様子に引き戻される。そこには同僚たちの、俺をうかがう視線があった。人気のないところに行って休めばよかった、と思った。

人目に負けたわけではないが、大概にして帰宅。
妻に少し遅くなったわけを話した。家に帰ってからCDを聴けば人目も気にならないのに、わざわざそんなところで・・・と、妻に苦笑いされた。それはそうなのだが、俺はひとり車の中でCDを聴くのが案外好きなのだ。音に抱かれている感じがたまらないから。

ゆっくり風呂に浸かったが、脚のだるさが残った。そう言うと、妻はぽこぽこ脚を叩いてくれた。

娘はいつもに増して、早寝だ。昼寝も長いとか。これはタミフルによる異常行動ではないのか、と妻が心配している。確かに過眠傾向だが、起きているときは変わりなく元気なのだから、問題はないと思う。病み上がりだからじゃないかと返しておいた。
タミフルによる異常行動について、調査検証を急いでほしいと思う。幼い子を持つ母親は気が気ではない。


知り合いのサイトがひとつ無くなってしまった。特別親しくしていたわけではないが、寂しいことだ。土俵がネットといえど、仲間が減ると、気持ちの中にぽかりと穴が開く。穴が小さいか大きいかはあるけれど。
毎夜の巡回先がひとつ減ってしまった。ため息を付きながら、ブックマークを削除した。
晴れ。今日は暖かかった。四月中旬なみの気温だそうだ。

能登の地震から一夜あけて、最新の状況など報道で見るに、大きな地震であったと改めて知る。高齢者の多い地域なのだろう、避難生活をする老人たちの疲れた表情に胸が痛む。余震も続いており、不安この上ないことだろう。
俺の住むところは今回被害がなかったが、もとより地震の少ない土地で防災の準備はしていない。最低限のことだけでもしておくべきだろうな、と思った。

震源に近いことで、いろいろな人から安否を気遣う便りをもらった。ありがたいことである。感謝。


娘の熱はすっかり下がり、いつもの元気が戻った。食欲も旺盛である。子供は本当に回復が早い。もういつもの様子で跳ね回り、親を困らせる勢いである。先日まで39度の熱があったとは思えない。
妻の方が疲れてしまったようである。
昨日とはうって変わって雨。肌寒い。
娘の熱はまた38度台にまで上がったが、機嫌はよく食欲もある。
天候もよくないし、娘の様子もよくないので、外出はできない。ゆっくり家ですごそうと決めた。

10時前、地震。ゆらりゆらりと嫌な揺れ方であった。ここしばらくないような揺れの大きさだった。
あまり地震のない地域であるから、揺れの大きさと長さにとても驚いた。家財が倒れたり、本や皿が飛び出したりすることはなかった。
ちょうどラジオがついていたのだが、番組が中断してニュースになった。そんなに大きな地震だったのかと意外であったが、石川県でさらに大きな揺れを観測していた為であった。
震源に近い能登では家屋や道路に被害が出たとか。昼過ぎまで、地震の報道にテレビ番組編成が変わっていた。

妻の実家の被害はどうだったのだろうと心配するが、なかなか電話がつながらなかった。ようやくつながり、被害のないことを確認し、安堵。
なにやら、先の新潟の地震の時を思い出させる状況で、胸狂おしい思いであった。
情緒ある金沢の街並みが破壊されずにすんで、よかったと思った。


家のこと。間取りもほぼ納得のいくものが決まった。審査が終わりローンの申請が正式に受理されれば、本格始動だ。
地鎮祭や棟上など、家に関する儀式も多く、それらにわからないことが多々ある。住宅会社の人が教えてくれるのだろうけど。
日にちの良し悪しなど考慮すると、俺は休みを取らねばならないのだろうか。なかなか難しいことだ。


午後には娘の熱も下がった。動き回る元気も出てきた。
タミフルによる異常行動は今のところ認められない。
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