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夫婦の日常と こころの中のこと
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梅雨の中休み。晴れ間が覗いた。

ここいらの梅雨は今のところ少雨であるが、九州では酷い被害が出ているようだ。熊本の、濁流に呑まれる民家のニュース映像に言葉もない。三年前の梅雨、中心街が泥水に浸かったさまを思い出した。恐ろしい。
毎年毎年、天候による被害が出る。豪雨による浸水、或いは四国の渇水。対策はないものか。
異常気象に国の対策が追いついていないと思う。

湿度が高かった。外に出ると足元から熱を孕んだ空気が、むっと上がってくる。湿った青草の香りが微かにした。
洗濯物を沢山したので、干す手伝いをする。綿毛布も一応洗ってみた。大きな干し物に娘が戯れた。きゃあきゃあ声を挙げて楽しそうであった。子供は見るもの見るものに楽しみを見出す。感動が鋭敏なのだろう。
ベランダから立葵の鈴なりに咲くのを眺める。下から咲き始めた花がテッペン近くまで開いている。梅雨の明けるのが待ち遠しい。
部屋の窓を全部開け放ち、掃除をした。床が湿気でべたべたしていたのが解決した。
それから買いだし。78円のキャベツを二玉と、真っ赤なトマトを一箱。今日は肉の特売だそうで、肉ばかり大量購入。
塩うにが出ていたので遠慮がちに妻に求め、一つ買ってもらった。夏はこれで冷酒、がいい。・・・ま、呑んではいけないのだけど、気分だけでも。
荷物がそれほど重いわけではなかったが、汗だくになった。Tシャツがぐっしょりと濡れ肌に張り付いた。


妻と娘は午睡。俺は自室で勉強。合間に藤の小説を読んだ。ホモエロ小説である。
感想文を付けてやろうかと思っていたが、不可能だと知る。恋愛小説と自分をだましだまし読んだが、本能の抑制には抗えぬ。
それでも、女性ならではの繊細で丁寧な心理描写などはおそろしく巧みであった。また性描写にかける情熱はかなりなもので、官能小説の話法としては一定のレベルと認める。

しかし・・・、後輩も部下も容赦なく襲ってくる職場ってどうよ?(汗)
しかも・・・、登場人物総ホモって・・・(血反吐)。
感想以前に、ケツがわさわさ落ちつかんわい。

エロが大好きな点は、藤と俺の共通点だと思う。が、ベクトルが違う。
実用には向かないということで。


夕食の支度を待つ間、娘と俺の地面を見に行った。
コンクリートの基礎が出来上がっている。ブルーとピンクの配管は下水と上水のものか。
ブルーシートを掛けられて、カットされた木材が置かれている。ヒノキの芳香が立ち込めていた。
大工の使う簡易トイレ設備や、廃棄物を入れるコンテナが運び込まれており、いよいよ工事現場めいてきた。
何にせよ梅雨時のこととて、上棟の日は晴天を願いたいものだ。

夕食は、鶏の手羽中のさっぱり煮に、焼き茄子、キャベツのコールスロー。
塩うにがどうしても食べたくなり、白米に載せて食った。鉄臭い味が舌に残るが、けっこう美味い。

夜半になっても気温は下がらず、湿度はむしろ上がってきた。
明日から崩れる予報である。
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蒸し暑い。

午前中、通院。
ここの医者は冷房が嫌いらしく、診察室が暑い。
今日は話すことがたくさんあった。
心の弱さと鬱病についての問題。まだこだわっているのが、われながら情けない。
「心の弱さと鬱病とは何ら関係のないことです」
「他人はいろんなことを考えて言うもんで、解ってない人もいますから、気にしないでおきましょう」
主治医の答えはこのようであった。

気にしないようになりたいものだ。言ったやつへの反論の機会すらないのが、悔しくて悔しくて。
考えてみると、機会が奪われているのなら、もうそれは俺の問題でしかない。心を切り刻むだけなのだから、もう相手も自分も許してしまおう、か。
誰も憎まず、許してしまおう。
胸の底の熾火もやがて消え、白い灰になってどこかへ飛ばされて行くだろう。

調子の優れぬ時期に嫌なことが重なり辛かった、ということで処方内容に変更はない。


七夕さん。忘れていた。妻が去年買った造花の笹を出してきたので、思い出した。
願うことはひとつだ。
梅雨景色。糸のような雨の降り注ぐ。アジサイの色もますます鮮やかである。
湿気の所為か、体はだるい。精神状態は低め安定。


世の中には言いにくいことが存在する。はっきり申し上げていいのやら、言葉を選んだ方が良いのやら、悩む。
毎度毎度のことながらだが、そんじょそこらの営業マンよりもはるかに厳しい交渉をしているように思えてきた、今日この頃である。
俺が客の諸事情をより深く思いやれるようになった所為なのか。そうならば、それはそれでいいことかもしらん。
・・・やっぱ精神状態が不安定だからかもしらん。
商談の際、俺は極力平易な言葉を使用することに努め、図解を示し、必要な書き込みをしながら、順序良く説明することに心がけておる。折々に区切って、客に疑問点を尋ね、理解の程度を測ることも忘れてはおらん。
それなのに、客は結局わかっていない場合がある。
「で、どういうことですん?」と最後に言われた日にゃ、全身脱力するというもの。
「ええ!そうだったんですか!」と驚かれた日にゃ、気絶しそうである。
人間は最初の五分しか話を聞いていないもんだ、と知ったその日から、俺は間違いを起こさぬべく、五分以内にまず結論を述べてから、話を始めることにしている。
なのに、覚えてないってどういうことですか・・・。
解ってないってどういうことですか・・・。
ええい、日本語に不自由な人め!。
というか、俺が日本語に不自由な人だから、解らせられないのかな・・・。

俺の仕事の中で、この種の商談が一番の難関かもしれない。
先輩は「人間は嫌なことは忘れるようにできているんや」と言う。至言なり。

解りの悪い人に、言葉を換え、方法を工夫し、何とか解ってもらおうと努力する。そんな機会を与えてもらったと思えば、徒労感も軽減されるか。
舌先三寸が鍛え上げれた暁には、悪用しないように自重したい。


叔父から、上棟式の祝いはどうするのか、と電話があった。遠方ゆえ、不要だと思うのだが。
くれるのなら家の建った後にでも新築祝いをくれ、と答えたが、酔っており意思の疎通に難儀した。
終日雨。梅雨めいた天気だった。九州では大雨らしい。被害が出ぬことを祈る。


表面を飾り立てただけの言葉の空虚さを見分けられるようになった、と思うのは俺の驕りだろうか。
心が少し哀しい時のほうが、ひとのまことが見えるように思う。
職業上の事情、権力関係の事情、体調の事情、さまざまなことが、俺の人間関係に影響を及ぼした。
ある人は全く去り、ある人は距離を設け、ある人は時折の気遣いをくれ、またある人は変わらぬ情を示してくれる。

俺には壁がある。
俺は自分に自信がないのだった。それをひた隠しにし、殊更大きく自分を見せることに努めた愚かな頃もあった。それとて同じこと。
他人と親しくなり始めると、あえて自分から離れてみたり。
自分が他人に好意を持たれるようではないと、おかしな確信があるがためのこと。
自ら他人との間に壁を作ってきたと思う。


どこにでもあって、誰もが感じているだろう、一見小さな不満。でも、それには回答がない。それぞれの想いがあるのみ。

そう言いながらも、待っていてくれるだろうと思っていたのは俺だ。
そう言いながらも、待っていてくれなかったらがっかりしただろう。
そして、俺ががっかりすることを見越しているのだろうと、俺は思っていた。

思考の迷路に迷い込んで苦しみぬいて、ようやく見つけた言葉にこそ、ひとは心動かされるのだろう。
『たとえどんな波がこようとも、しなやかに受け止められる広い気持ちを持てるように』
俺もかくありたしと思う。
七月の始まり。今年も半分終わった。
晴れという予報であったがうす曇り。ぱらりとにわか雨もあった。

光市の母子殺害事件、差し戻し控訴審について。
「ドラえもん」だとか「魔界転生」だとか、ようも恥ずかしげもなく言いますな。藤子不二雄先生も山田風太郎先生も、さぞかしお怒りのことでしょう。
被害者の夫は弁の立つ人で、冷静に話しのできる人である。それだけに、あの荒唐無稽な陳述にコメントをさせられるのが、余計気の毒に見えた。
弁護団がいかに否定しようと、死刑廃止運動の一環としか見えない。そういうことは、司法の場ではなく立法の場でしてほしい、と俺は思う。彼らが立法府に入り込めるかは微妙だが。


午前中は職場に出た。日曜日の静謐な空間が落ち着きを取り戻させる。
馴染み客が「田んぼが青々してきたな・・・」と呟くのを聞いて、初めて眺めたように思う。昨日の雨に洗われて、風景が瑞々しい。アジサイの色も濃くなったと見える。

午後からは妻の買い物の荷物もち。
レンタルバスケットというものを使っているのだが、娘は品物の袋詰めをしたがる。買ってやったお菓子を備え付けのビニール袋に詰めさせてやった。帰り道の間、嬉しそうに手にして歩いた。
お買い得品の醤油を、お一人様二本までで四本買ったゆえ、俺は帰り道に往生した。指が笑う。

ショップジャパンの番組が都合よくあった(妻の計画に嵌ったのかもしらん)ので、電話した。ビリーズ・ブートキャンプである。
混雑しているようで、注文ができなかった。明日担当者から電話がくる旨。
HPによると、発送まで四週間もかかるらしい。買うかどうかは、妻に任せることにした。
疲れたので夕方になって、午睡をとった。


先日俺の精神を動揺と混乱に陥らせたものから、第二波がやったきた。ネットのみなさまと妻のおかげで、薄皮の張ってきたところだというのに、残念である。





☆閲覧者さまへ。以下刺激的な文言を書きますので、閲覧は自己責任でお願いします☆
湿度の高い朝の始まり。

妻が人間ドックに入る。
大きな病院で、早朝から駐車場がいっぱいになるから、娘を保育園に連れて行くのは俺が引き受けた。
今朝の出は家族総出となった。
娘は、妻と俺が別々の車に乗り、自分は妻の車ではなく俺の車に乗せられるのに、不審そうにしてしておった。
「今日は保育園だよ」と話しかけるのに、大して関心もなさそうであった。大泣きされるよりはよっぽどいいが、どうも子供らしからぬところのある娘である。
おむつと着替えを持って、保育園の玄関で別れた。
「オトウチャン、ダイジョウブ」と言っておった。
「ダイジョウブ」は最近の娘の口癖である。階段を上ったり下りたりするときなどに、「ダイジョウブ、ダイジョウブ」と自分を励ましながらやっている。
今日のは、対象が娘自身であるのか俺だったのか。どちらにしても意味深。本人は無意識なのだろうけど。


職場の新人さん・くりんちゃん(笑)が「ある意味、ある意味」と多用する。聞き苦しい。
「ある意味ってどういう意味なんだよ? 意味をぼかすな」と俺は思います。
イラっとくる言葉ですな、ある意味。
根拠に則った方針を述べること、明確な説明をすることを指導した。


夕食は近所の焼肉屋。
ここの焼肉屋の女将さんは韓国の人だ。働いている人も韓国からの留学生であったり、韓国籍の人が多い。韓国語の飛び交う空間なのである。微かに韓国旅行の気分が味わえると、俺は気に入っている。
韓国料理はもちろん、女将さんの作るキムチは大変美味い。何と、弱冠二歳の娘もパクパク食うのである。
娘の辛味嗜好に目を留めた女将さんと話しが弾んだ。巡り巡って、朝鮮民族も大和民族も元を辿れば同じところに行き着くもんだ、と落ちがついた。
「人間だもの、みんな一緒よ」という女将さんの言葉が印象に残った。
韓国海苔をお土産にもらった。

さんざん肉を食ってから、妻が告白をした。「体脂肪率が大変なことになってたんやって~」と。聞くと、恐ろしい数字であった。
なるほど、以前より腹がぽっちゃりしているし、抱き心地が妙に良くなったとは思っていたのだが。さすがにそこまでとは思っていなかった。
「お菓子ばかり食べているからです」とたしなめると、娘がいる手前あまり食べていないと言い張る。
そう言われても体を見る限り、真実味皆無である。食ってないといいつつ結構食ってるはずだ。或いは、食ってないつもりでもかなり食っているはずだ。
「やっぱ・・・ビリーしかないな」と、話題のビリーズブートキャンプの購入をねだられた。
続けられるのかよ?>奥さん


【体験談@妻の人間ドック】
妻の感想①胃カメラが辛かったこと。えずいて、バイトガードが外れそうになったこと。
・・・下手な人に当たったもよう。評判のある大きな病院なのに、経鼻内視鏡をまだ導入していないとは驚いた。苦し紛れに噛まなかったのは幸い。ひと噛み100万円ですから。

妻の感想②マンモグラフィーの対象年齢に満たないため、追加料金が5000円ほどかかったこと。
・・・30代で乳がんを患う人も増えている。妻自ら希望をしたことは素晴らしいと思った。意識を持っていると感心した。

妻の感想③外科の直腸診にショックを受けたこと。いきなりするとは犯罪だ。
・・・ま、ね。乳もまれた後にケツに指突っ込まれたらショックだろう。
挿れたのとは他の四本がグーなら医療行為、パーなら犯罪。
挿れた指が一本なら医療行為、それ以上なら犯罪。
挿れた指が長時間留まり、不可思議な動きをしていたら犯罪。
以上は俺の私見であるが、妻に披露したら「ばかばかばか~」と叱られた。
曇り。ほんの少しの雨が降った。
緑の多い田園の道である。足元から蒸気の立ち込めるのを感じる。
熱く湿った風がまとわりつく。

マンションの花壇のサルビアの赤い花が、夜目に鮮やかであった。そこだけ色があるような。
ネットの友達の言った言葉がよみがえる。
俺を追い込んだその人が許せないのか、無邪気な言葉に過剰反応した俺自身を許せないのか。
何だかよくわからない。どっちもなのだろうか。
というより、それについての思考がブロックされている。考えるなということか。
ただ・・・俺の脳の暗闇の中、その言葉だけがくっきり浮かび上がっている。緋色のサルビアのように。

「心が弱いのはあかんの?」と妻が問う。
「あかんらしいです」と俺が答える。
今までにも夫婦で、何度も同じ質疑を交わした。
「弱い=悪い、強い=良い」の考え方では心などは計れないものだ、というようなことを妻は言う。
もし心が弱いのが欠点だとしても、俺自身がそれで全て否定されるわけではない、というようなことも言う。
妻が、言葉を探しながらとつとつと語りかけるのを聞いていると、頭の芯がほぐれていくようでもある。
その一方で、こんな些細なことに捕われてしまう自分が情けなくある。妻にこんな話しをさせる自分も嫌いだ。
曇り。相変わらず、むしむしする。

今度の金曜日、妻は「奥様人間ドック」に行く予定である。
持参する検体がいくつかある。尿・便・痰である。
尿は検査日の朝に採取のことであるから、問題はない。
問題は便だ。
妻は毎朝方に排便を見る、大変健康的な体質である。それなのに、便を採取するタイミングを悩んでいる。
毎朝「もし明日から出なくなったらどうしよう」と思い、トイレで逡巡しておる。
とるべきか、とらざるべきか・・・。
ここへ来て、まさに考え込む日数になったらしい。
俺が便所を早く空けろと言ったら、「勝負やで!」と言いながら水を流しておった。大げさな・・・と思う。
「出なかったら、家族のを借りるよ」と言うので、さらに可笑しい。意味ないじゃないか。


昨夜寝つきが悪かったからか、食欲がない。妻の食べているシリアルを食って出勤。あれはけっこう腹で膨れてくるものであるようだ。
今日は早飯して、上司の付き合いをする予定であった。朝食に食いなれないものを食ったゆえ、腹が減らん。握り飯を一個だけ食って、立ち会った。
中途半端な摂食が悪かった。におってくる焼肉の匂いが麗しく、ぐうぐう腹が鳴った。

蒸し暑い。曇り空で、降雨はなかった。不快指数は高いもよう。

昨日はNHKで、鬱病患者の職場復帰についてのドキュメンタリーがあった。今日は、タレントの高島忠夫さんの闘病記のドラマが放映されていた。
日本の自殺者の増加と、その多くに鬱病ないしは精神疾患の関係がいわれているゆえ、啓蒙の一環であろうか。
NHKで紹介されていた企業のように、メンタルヘルスを重んじ、鬱病患者に理解の在る職場はまだまだ少ないと思われる。しかし、あのような企業の様子は、鬱病患者だけではなく、健常者のためにも好いことである。
上司や管理者が、偏見にとらわれず正しい知識を持って、対処してくれることを望まずにはいられない。
高島忠夫さんは俺と比べるとずっと重症で、気の毒でしかたない。俺にも思い当たる姿がいくつかあり、いたたまれなかった。
「何故?」と思われることが言動に多く現れる。それは病気の所為なのだ。
そして、その病気は誰しもが罹る可能性がある。


心が弱いから鬱病になるんだ。
甘えているんだ。
誰よりも病人自身がそう思って、自分を責めている。気合でなんとかできれば、それは病気ではない。

心が弱いから鬱病になるのか、鬱病になったから心が弱くなったのか。俺も本心では疑っているところが、まだある。
それでも、俺は「必ず治るはずだ」と自らに言い聞かせて、二週に一度の精神科への通院を欠かさない。
妻は「治る病気。ゆっくり焦らずいこう」と、ときに自暴自棄になる俺を諭し、支え続ける。
そんな生活が三年にもなるだろうか。
精神に影響を及ぼす薬など、誰も飲みたいわけはない。薬で得られる眠りだって、好きなわけではない。
ただ治りたい・・・その一心だ。

ずいぶんと回復傾向にある俺ですら思う。
「心が弱いんだよ」という言葉の残酷さ。何気なく言い捨てられる冷酷さ。
知らない人に言われるならまだしも、知人に言われるのはよほど苦しい。
こころの痛さ。こころが痛むなどとは知らなかった。
「こころ」などという臓器はない。なのに、そこに痛みがあるのだと肉体が訴える。

自らを奮い立たせることができないなら、心が弱いなら、居場所すらないのか。
だったら、もう死ぬしかない。

「人は所詮独りだから」と言いながらも、自分にできることを探す。俺の両手ができることには限りがあるというのに。
中途半端な手助けをするのが心苦しく、見つめ続けることの辛さを知りました。それはよほど辛いことでした。

弱さをしって受け入れた後の、何にも動じぬしなやかな強さに感動する。
苦難の中にいて、未来の輝きを見出して、信じ、一歩前に出ようとする姿の眩しさ、鮮やかさ。生命の煌めき。

踏んだ地はゆるいか固いか?
ゆるければ注意を払い、固ければそのまま行けばいい。
なにより踏みしめた脚の逞しさをいったらどうだ!
遠くを望む瞳の光の強いこと!

俺はその歩みを信じています。
賢いあなたが、取り込み消化し、より豊かなひとになるだろうと、確信しています。
蒸し暑かった。空はうす曇りである。

今日は何事もうまくすすまない一日であった。こういう日もある。
イラっとすることが多かったが、新人さんの手前我慢。我慢の目的が間違っている気がするが。せっかくいい関係で日々過ごしているゆえ、吼える熊の恐怖を味あわせずに済ませたい。

藤から託された小説(フロッピーディスク入り)を読もうかと開いてみる。
「今回のはハードですよ?」と注意を受けていたことを忘れていた。繰るページごと全てに、性的な単語が目に付く。それがまた男同士の関係であるから困る。
まったく・・・精液の臭いが漂ってきそう。
俺のPCが犯されそうである。
俺の本能が藤の小説に接することにアラームを鳴らす。冷静に男同士の濃密な関係を眺められない気分だ。
精神的な不都合により本日の下読みは中止することにした。

もう疲れた。寝るし。
晴天。
午前中は職場に出た。先輩も出勤しておったので、今日の新人さんの面倒は彼に任せた。
得意客に挨拶をして、詰め所で書き物をした。
仲良しの藤が寄って来て、小説の新作を下読みしてくれとこっそり依頼してきた。またホモエロ小説だそうな。でも、藤の小説は結構良く書けていて面白い。一応、不承不承承諾。快諾するそぶりをちらとでも見せることは、俺の本能が拒むゆえ。

電器屋に寄り道。
手持ちのプリンターが古いので。カタログをもらって検討しようかと思っていたが、見ていたら欲しくなり購入。
自室でごそごそ接続作業をする。
特別プリントアウトしなくてはならないものもないのだが。試しに写真など印刷して、ひとり感動にふける。
喜びついでに、妻に見せたら「ああ、綺麗に刷れるもんやねぇ」と感心しておった。

夕飯は野菜の天ぷら。玉ねぎ、茄子、ピーマン、かぼちゃ、ニンジン、椎茸、えのき茸、といったところ。
スーパーの魚屋というところが侘しいが、刺身の盛り合わせを注文してあったので、それを取りに行った。
この注文は父の日むけの企画ものである。父自らが出向くところが、現在の我が家の力関係を如実に表しているように思われる。
ささやかなご馳走(?)に少量の冷酒を付けて。
小さな冷酒のビンは美しい濃い青だ。ヴェネツィアのガラスのようだった。
「今日は父の日です。お父さん、ありがとう」と食卓を囲む。
豪勢な祝いはないが、この一日に意味を持たせてくれる家族のあることが一番だろう。
ずいぶんぶりの酒が五臓六腑にしみわたり、早々に好い気分に出来上がった。
また明日からがんばる。

久しぶりの日記である。
ここしばらく忙しかった。俺の仕事だけではなく、新人さんの面倒に手間がかかった。俺が彼女の仕事をも引き受けている気がする・・・というと言いすぎか。
彼女はがんばっていると思う。だがスキルが足りないゆえ、目が離せないのだった。今のところ波乱はない。
すると、俺が心配症だから、気になるだけとも思える。
俺の損な性格が、自らにストレスを与えているとも考えられる。
そのわりに寝つきは良い。それこそ気絶するような秒眠(?)であった。セックスをするゆとりもない(苦笑)。
夜中にたびたび目が覚めるのに、目覚めにさほど疲れが残っていないのは、それなりにしっかり眠れているからだろう。
寝つきは良いが夜中に目が覚めるのは、教科書的ともいえるが・・・。結果オーライということで、あまり考えないことにする。


ここのところぐずつく天気で梅雨を思わせたが、今朝は綺麗な青空が広がった。
洗濯物が多く布団を干す場所がない、と妻が託つ。
家が建ったら好きなだけ干し物ができるだろうと返すと、そんなに干し物をためこまないよ、と妻は笑った。午後には帰るつもりで出勤。
当然新人さんも出ていて、一緒にラウンド。いつもの倍はかかったろう。その後もいろいろと話し込むことがあり、時間をとられた。
昼過ぎに退勤。強い陽光の下で、車のドアを開けるとムッとねつい空気が迫ってきた。

帰り着いた家で、娘は午睡中。妻は早くも干し物を取り込んで畳んでいた。
開け放った窓からは、風向きが変わったのか、思いのほか涼しい風が吹き込んでいた。乾いて爽やかな心地のする風であった。
明日は「父の日」だが何か欲しいものはあるか、と妻が訊いた。「父の日」と聞いても俺にはあまりピンとこない。普段父親らしいことをしていない所為か、「父の日」自体が影の薄いものであるからか。
「父の日にはお父さんにプレゼントしていたのですか?」と妻に質問で返すと
「いやあ・・・してないわ」と苦笑いしておった。
俺には欲しいものも特にないし、ちょっとしたご馳走にありつければ、それで大満足の「父の日」になるだろう。そう答えておいた。
妻は「安上がりやなあ。でも・・・私らもいい思いできるってわけやね」と、ご相伴に与ることを思いついたようだった。
妻と俺が年老いて、また二人きりに戻ったら・・・、記念日ごとの小さな晩餐に喜びを感じて過ごしているに違いない。穏やかな老夫婦の生活が脳裏に浮んだ。それは俺の、なりたいと望んでいる姿そのものだ。

日暮れの遅い、まだ白々と明るい夕方、3人で涼みがてら散歩。
黙っていても当たり前のように、われわれの地面に足が向く。
そこは、木枠が施され、既に基礎となるコンクリートが流し込まれている。風呂場や便所、台所になるところには配管の端がのぞいている。
ゆっくり周りを巡って、「ここが台所ならこっちは居間だな」などと、楽しい想像を話し合う。
「間取りが見えてくると感動するよね」と、妻も嬉しそうだった。
見渡してみると、建物の敷地はとても小さく見える。建つとまた違うのだろうか。

3人、影を並べて、堤防まで歩いた。犬を連れた人とたびたびすれ違った。その幾人かは、妻と娘の顔なじみらしく、にこやかに挨拶をくれた。
紅の立葵の列。丈の高い青草を揺らす川風。ばら色の夕暮れ。穏やかな人たち。
何でもない、しかし癒しに満ちた六月の一日を、微笑み思い出す日が来ることだろう。

群青の空の広がる。気温は真夏日であったが、日差しはまだそれほど力強くない。


今日は立ち仕事。かかる時間が短いが、並んで二つあった。
新人さんの後学のため付き合わせてみた。それゆえ、いつものくだらない話はなしだ。説明したり、質問を提示したりしながら、粛々と進めた。
新人さんは質問には答えようと努力する人で、また答えられる人であった。
ちっ、面白くねぇや・・・。
いやいや、優秀で何よりだ。
その優秀なお方に優秀だと褒められて、俺は非常に恥ずかしかった。俺を褒めてはいかん。
他のスタッフまで、つられたのか、今日の俺の仕事ぶりを讃えた。慣れておらんので、対応に苦慮する。
「いらんこと言わんでもよろしい」と一喝したかった。
曖昧な謙遜とお礼を述べて、次の仕事に向かうべく、そそくさと退出。
この調子が続くと、現場はやりにくいと思った。
素直に返すことができれば、生きやすいのだろう。


遅めの帰宅。
煮魚、焼き茄子、シジミの味噌汁で軽く夕食。
妻の煮付けの味がよくなった。本でも見て料理したのかと思ったが、違うそうだ。

風呂に入ると、肉体の疲れが湯に溶け出すようだった。
窓からの夜風が涼しく、熱った肌に心地よい。ほうっとした。
これで冷えたビールでも飲めれば、一日の締めとしては最高だ。だが、飲まない。

うす曇り。湿度高め。


夏に向かう夜は何かが起こりそうな予感がする。期待にたがわず、いろいろな事件が起こった。
艶めいて、わくわくして。心を惹きつけて止まない匂いが溢れていた。
夜を待ち焦がれて、楽しい夜を過ごし、早い朝日の訪れを嘆いたものだった。

あの時と同じ夜はもう来ない。
しかし、同じ仲間はまだいる。
一度ならず不義理な行いを俺はした。わがままも言った。それでもなお、残っているものがあることに、俺は感動する。
これからもよろしくと告げたい。


今晩は焼肉だった。
むしむししてだるいから栄養を付けるため、と妻が言う。昔から、栄養というと肉だと思う女なのだった。
確かに俺らの子供のころは、肉などめったに与えられなかったものだが。
家で焼肉をすると、事後に床の拭き掃除をしなくてはならん。俺はそれが面倒で気が進まないのだ。
野菜で周りをかためてみたが、しっかり脂が飛び跳ねてしまった。
ホルモン焼きがいかんかったらしい。こってり脂のついた、美味しい牛の小腸の所為だ。
美味しい思いをしたのだからがんばれ、と妻に励まされて床掃除。娘がうろうろし、いらぬ所まで脂だらけであった。
娘の足の裏を拭いてやった。
風呂場に向かう、俺の大きな足跡と娘の小さな足跡が並んだ。

天気は谷底状態。雷雨に見舞われた。
先週は忙しかった。他人の面倒を見るのに細心の注意を要求されるゆえ、気が張り詰めていたことも大きい。

土曜日は通院日であった。
気候が俺の腰部を苛むのと、肉体の疲れから、出かけるのが非常に面倒であった。「いや、俺は真面目な患者なのだから」と自分を奮い起こして医者がよい。
ほんにいつまで続くのかと、嫌になる。
事務的に短く最近の出来事や仕事の事情、自覚している心身の状態など、箇条書き的に主治医に述べる。面倒がる態度が前面に出た。
処方内容に変化なし。
全くもって、しつこい病気じゃわい。

土曜日の夜半から、久しぶりに片頭痛。激しかった。娘の声がビンビン響き、拷問を受けているようだった。
自室に籠もって冷やしながら耐えていたが、というより身動き取れない状態に陥っていたわけだが、妻子のかすかな生活音すら苦痛を増強する激しさ。
這ってどうにか、机の引き出しにあったイミグランを取り出す。一番上の引き出しに入れてあることを、これほど呪ったことはない。むさぼり飲んだが、とき既に遅し。
急激な嘔気を覚えた。くらくらする頭を抱え、便所に駆け込み嘔吐。
妻が黙って背中をさすってくれた。
娘が覗き込んで「げろげろ?」と声をかけるのだが、幼女独特の甲高い声がまた、頭痛を誘発す。
ひとしきり吐いた。
「頼むから静かにしてくれ」と哀願する俺に、妻は娘を寝室に連れて行ってくれた。

ダイニングテーブルの席に着きへたりこむことしばらく。もう一錠イミグランを飲む。極期の片頭痛にどれほど効くのか、不安と期待の半ばする気持ちであった。
ぼんやり効き始め、俺はテーブルに伏して居眠りをしていた。
いつしか妻が傍に座っていて、静かに「大丈夫?」と声をかけた。心配そうな目をしていた。すっきりとはいかなかったが、痛みは峠を越していた。
こんなに激しい片頭痛の発作を妻に見せたのは初めてだ。片頭痛について少し説明し、安心してもらった。


俺の地面は、土壌の改良工事が終わった。
先日まで再び重機が入り、掘り返して、地盤を固める処理が行われていた。今はきれいに均されて、縄張りがされ、建て代の部分がわずかに盛り上がっている。その部分は、触れてみると驚くほど固い。
今後は基礎部分の工事が始まるのだ。

苦しむ友達からメールが舞い込んだ。
抑うつ状態にあるときは、すべてが自分を苛む凶器だ。その辛さは想像を絶する。
だから、彼は何のしがらみもない、友情だけで繋がる俺にメールをしたのだろう。
彼を楽にしてあげたいと思った。
俺は自分に照らし合わせて、彼への言葉を探った。しかし言葉はない。
ありきたりの慰めや同情、きいた風な言葉など、たくさんなのだ。
ただ、彼を想う俺が在ることだけを示そうと思う。
晴れ。湿度高し。じめっとした空気が鬱陶しい。梅雨が近づいた気配。


話題の「鈍感力」を遅ればせながら読む。
平易な文章で小一時間、二時間もあれば読み終えられる、手軽な一冊である。
複雑な世の中を生き抜く上で鈍感力がいかに大切であるかが、滔々と述べられておる。細かな説には同意しかねる点も数々あるが、なるほどそうかもしれぬ。
ただ、あくまで「鈍感力」であって、「鈍感」ではない。
時と次第によっては鈍感になれる能力をして「鈍感力」と称しているのだと、俺は理解した。敏感な感性の上に鈍感力を、という意味であろうかと。
常に何事にも、我が道を行く、傍若無人、自己中心、聞く耳を持たぬといった、絶望的なまでに感性の鈍った状態を、著者は提唱しているわけではないと思う。
巷に鈍感な輩が蔓延っている様子を見るにつけ、このベストセラーの題名だけを真に受けて、更に鈍感な人間が増えるのではないかと、ちらっと危惧を覚える。俺の身近にいるTであるとかNであるとか、まさしく誤解しそうであるな・・・いやいや。

「鈍感力」が重要であるのはわかったが、それで?と思うのも、ある。
その「鈍感力」を鍛えるにはどうしたらいいのかの記述が、この本にはまったくないからである。そこは自分で考えろということであろうか。
「鈍感力」に欠ける俺にとっては暗澹たる思いにかられる部分も、なきにしもあらずだ。だが、「鈍感力」の大切さがわかっただけでも、収穫か。


この書物に俺の評価が辛いのは、つまるところ、渡辺淳一が嫌いだからだと思われる。
書物に私情は挟まないつもりだが、やはり書かれたものには書いた者の癖が滲むのは必然であった。
渡辺さんにはどうも、女を見下した視線を俺は感じるのだ。それと、エロスにタナトスを安易に結びつける流儀に違和感がある。
穏当な表現をすれば、彼と俺では女性観・恋愛感に著しい相違が認められる、といったところだ。

それにしても、この本を買うときの恥ずかしさは尋常なものではなかった。
すんご~~~~~~く難しい本と一緒に、レジに出すときは難しい本を上に置いて出して、買いたい気分になった。
或いは、B級のエロ雑誌と一緒に買って二度とその本屋には足を踏み入れない、の方が潔いかも知れん。
晴れ。暑い。最近の六月は暑い。

娘の顔の様子。腫れは多少ひいた。痒みもほとんどないようだ。
疑い深い妻は皮膚科を受診した。弱めのステロイド軟膏が出、手持ちの薬と合わせて塗るように指示された。
お岩さんのような顔も早晩、人らしいものに戻るだろう。


今日は嬉しいことがあった。一人笑みの漏れる夜更けである。
おぼろな雲の隙間から、柔らかな黄土色の大きな月が覗いている。水分の多い大気に滲んで、微笑みかけるように見えた。
気分によって、見えるものもまた違うと知る。
微笑むたびに、向こうから良いことがやってくるような。そんな気持ちすらするのだった。

すっきり晴れた。気温も高め。美しい初夏の一日であった。
五時前にもう目が覚めてしまったことで、東雲のばら色を見ることができた。自然と手を合わせたくなる様子であった。

午前中は職場に出た。新人さんに合わせて。


昼飯に遅れて帰宅。かなり気温が上がっており、歩いて帰ったこともあって汗ばんだ。昼食はそうめん。今年初めての出番となった。
熱せられた体を冷ますようで、たいへん美味であった。

娘に午睡をさせて、衣替えをする妻の手伝い。
以前の俺の体格に合わせてあるズボンがまだある。いつかまた、太ってはけるようになるかと取りおいてあったのだが。おそらくあの体格には戻らないと思う。
体に当ててみると、余り分が見て取れる。
「こんなにでかかっんやなぁ」と妻が失笑を漏らす。
「すげぇよな」と俺も苦笑い。
「でも、昔は体がしまっていたよ」と妻が言う。
彼女の言うとおり、今の俺の肉体は筋肉が落ち、たるんだ印象がある。そして、俺からそぎ落とされた分は、妻に移ったと思えるほど、妻はリンリンの肉体になった。妻に言うと怒鳴られそうであるゆえ、それは黙っておいた。
昔のでかい服はみな捨てた。その結果を眺めるに、持ち物はすっきりしている方が、好ましいと思った。


娘は午睡から遅めに覚め、夕方になって起き出して来た。
娘の顔を見て、妻と俺は息を飲んだ。
左側の顔が赤く腫れ、左目はほとんど開かない具合だったのだ。
「かゆかゆ」と娘が困った表情で言う。
妻はおろおろして「どうしたんやろ。どうしよ、どうしよ」と、俺に救いを求める。
よくよく触れてみると、発赤はいくつかに分かれており、その中心部にわずかなしこりを認めた。かきむしる様子ではない。機嫌も悪くない。痒みは見た目ほど強くないようだ。
いつもの寝室で、いつもの布団で眠っていたゆえ、何かにかぶれた可能性は低いと思われた。
「虫さされだと思うが」と言うと、妻は「何の虫?」と怖い顔で俺に詰め寄った。
子供の肌は大人とは違うから、ありふれた蚊のような虫に刺されても酷い発赤になる恐れがある・・・そのようなことを妻に説明した。
妻は不信感いっぱいの目で俺を見ながら、「で、どうしたらいいん?」と訊いた。
子供の変調に、母親は自らの亭主すらそのような目で見るのか。

奥さん、俺は味方ですよ~(泣)、と訴えたい気分である。

それはともかく、顔なのでステロイドは使いにくい。オムツかぶれに使っていた非ステロイド系の軟膏を塗っておいた。月曜日に皮膚科受診ということで、と話した。
妻は納得がいかないようであった。頼りにならんと独り言に俺を評価し、ため息をついていた。


夜更けになって、空気も心地よい具合に冷えてきた。
妻は娘が心配で一緒に寝室に早く引き取った。
俺は久しぶりにテレビを見た。松本人志の番組で、「タンポンに火をつけて教師に投げつけた男の話」を聞き、腹を抱えて笑っておった。くだらない話だったが、腹の底から笑えた。
娘があの調子で、妻も心配気であるのに、俺だけ馬鹿笑いしているのは、多少罪悪を感じた。番組を最後まで見たかったけれど、止めて寝室に入った。
すると、妻も同じ番組を見て笑っておった。

干した布団は、中にまだ陽を秘めていた。一方で、パジャマから出た妻の手足の肌がひんやりとして心地よかった。
ほのかに欲情した。
自然な入眠であった。

晴れの予報ははずれた。小雨もようの六月のはじまりだ。

早朝のミーティングに新人さんが現れた。俺が面倒を見ることになる相手だ。やる気だけは満ち溢れている女子である。
女と聞いて多少期待する気持ちがあったが、残念ながら色気はない。


友達が商売を始めた。勤務のはけた後、様子を見に出かけた。
様子といっても、他人を訪問するには不適切な夜更けである。表から建物を眺めるに留めた。モダンな西洋風の建物で、赤毛のアンの家みたいだった。彼らしいデザインの建物でもあった。
夜更けの新造成地ではぽつんと建っている印象であった。
商売始めの今日、客の入りはどうだったのだろう。
既に店じまいした建物はどこか華やいでいて、眺めなおすと、彼の意気を感じるようであった。がんばってほしいと思う。


俺の病状は安定する方向であるが、いつまでこうしているのだろうと情けなく思う。
同病者の手記はいろいろある。それこそネット検索すれば、何万ヒットもする。しかし、一進一退を繰り返しいまだ病んでいる様子を書き記したものはあっても、健康を取り戻し寛解する過程を綴ったものはない。
克服した人はいるはずなのだ。どういうきっかけで、どのような変遷を経て、そこに至ったのか・・・。俺は知りたい。
だが、誰かの言葉によって励まされる程度であれば世話はない、と思うのも事実。
それでいて、誰かに励まされたいのも事実。
ただ、自分でも説明しにくい、こじれた心を誰かに相談するのに、躊躇する俺がいる。また、相談相手になってくれるような友達がそう何人もいるとは思えない。
俺の心の中にはアンビバレントな感情が渦巻いているのだ。

娘や妻の寝顔を見て、「嗚呼、申し訳ないなあ」と思う。
晴れ。

今日は長い立ち仕事になった。立っている間はちらとも感じなかったが、終わったら足腰にきていた。
椅子に座り一息。膝が笑っていた。床の上に脚を投げ出して座ったら、楽だった。
尿意を覚えたが、床の楽チン具合を知ってしまった後ではとても立ち上がる勇気がない。
おしっこを我慢するべきか、膝の不具合を我慢するべきか?である。
おしっこを我慢してくつろいでいたが、我慢できずトイレへ。便器に座り意味不明な呟きを繰り返し、休憩する俺であった。
疲れたわい!


今日は風が強く、干していた洗濯物が飛ばされたとか、妻の言うのを聞きながら食事。
おかずの煮付けたカラスガレイが、思いのほか脂っこかった。飯ばかり進む。
通販会社から靴下が届いたというので、金具を外す作業をする。
妻はどうして、俺の靴下は通販ばかりで購入するのだろう?
何足組みかの靴下セットの中に赤っぽい色のものがあり、「これは履かないよな・・・」と返事を期待せずに呟くと、妻は「安いから色は選べんの」と答えた。
ああ、安いから通販なのだね・・・。先ほどの疑問に回答がついた。

松岡農林水産大臣が自殺なさった翌日には、疑惑の農林水産省関連団体の元幹部が自殺。
闇の深さを垣間見せる事件であった。
亡くなった個人に向けては冥福を願う気持ちはある。しかし、「どうせやってたんだろ。てか、誰もやってないとは思ってねぇし」と白けた気分があるのも事実。
昔と異なり、不透明な金の流れを世間が見逃してくれなくなったことを、彼らが自覚するのは何時だろう。それが周知される日が来ても、もっと巧妙に金を作る方法が編み出されるのだろうが。この手のことは底が知れないから、怒りの持って行き場がない。
ただ・・・ずるいこと・卑怯なことは必ずばれる、と俺の母が言っていたことだけを、希望のように思い出す。
晴れ。気温はそれほど高くない。
地鎮祭日和というのがあるとするならば、今日はいい感じだろう。

地鎮祭といっても、業者任せである。昨日は工務店の人が、テントを張りに来ていた。今朝は早くからまた、準備に来ていた。
祭壇の設営をしているところに出て行って、頼まれていた酒と米を渡した。何だか忙しそうであったので、「後ほど・・・」と濁していったん帰った。
俺は何もしなくていいのかなあ、と悩む。俺にとって初めてのことでも、工務店の人にとっては何十回目かそれ以上なのだから、任せておいていいのかとも思う。

平服でいいと言われていたが、夫婦とも一応スーツで。娘もかすかによそ行きの服装にしてみた。
会場(?)は、工務店さんが手際よく組み立ててくれてあった。これまた工務店さんが手配してくれた神主さんが到着。
俺の家族と、工務店の現場担当の人、設計の人、営業の人が並んで儀式は始まった。それなりに、かしこまった気分になる。
何が始まるのかどきどきしていたのだが・・・、
神主さんが例の棒を振り、俺らは頭を垂れ。
神主さんが祝詞を唱え、俺らはかしこまってそれを聞き・・・といったような様子。
祝詞の中に、俺の名前・建てられる地面の地番などが入っているのがわかった。
その後、砂山に鍬を入れ、玉串を上げて、拝む。
ひとつひとつ指図を受けながらである。言われるままに動いていたら、あれよあれよという間に終わった。あっさりした儀式であった。
みなでお神酒をいただいて終了。
時間にして、一時間ばかり。
神主さんは「本日はまことにおめでとうございました」と、俺の渡した熨斗袋を掲げてお辞儀をし、帰っていった。
そういえば、神主さんはたいていおめでたい場が仕事場であるなと、気づいてちょっと羨ましかった。

それから、工務店の人と一緒に、隣の田んぼの持ち主のところに挨拶に行った。お土産に洗剤のセットを持っていった。
戻ってくることには撤収作業もほとんど終わっておった。お供えの果物や野菜はその後どうするのかな、とおばかなことをぼんやりと考える俺であった。
早速地質改良の工事が行われるそうだ。毎日俺の地面は様変わりしていくことだろう。
妻と娘は散歩がてら、その様子を見守りに行くつもりである。


最近は地鎮祭をしない場合も多いと聞くが、古来からのしきたりを大切にしたいと思う気持ちがあり、執り行った。気の抜けるくらいあっさりした儀式であったが、これから工事が始まると気の引き締まる感覚は感じた。
晴天。昨日の強い風の名残が木々を揺らす。黄沙で遠くが霞んで見えた。

午前中通院。
体調は申し分ない。
先週からの勉強をしたこと、内なる欲求に駆られて読書をしたことなど、主治医と話す。日々のルーチンワークに疲れることはない。読んだ本のエネルギーに圧倒されて、少々疲れたことを打ち明けた。
俺の読んだものを聞いて、主治医は苦笑いした。思いがけずも文学の愛好者なのだ、と思われたようだ。
読書に楽しみを感じることはいい傾向だが、深く思索にふける内容のものはいかがなものかと思っているらしい。軽い内容のものから初めてはどうかと、助言された。
もっともだと思うが、読むからには何か考えさせられるものの方が俺は好きなのだ。得られるものがなくては、という・・・ある意味貧乏性なところがある。

主治医は、俺の状態を「春先の雪道」に例えた。
しゃばしゃばの雪道に急発進や急ハンドルは危ない、という意味だ。
日々の激務に加えて、まだ頭脳を酷使しようとする俺を諭そうとする。精密な頭脳であればあるほど、常にフル稼働状態のままであっては、性能を維持することが難しくなるものだ、と。
「疲れた」と思うのは、脳が正しく状態を伝えてきている証であるから、無理せず休めということだ。
重々心に留め置くことにしよう。


帰りに職場によって帰宅。
通院のことを妻に話しながら、家事の手伝いと食事。
最近の俺の顔は険が取れて優しくなった、と妻は言う。今日は主治医の言葉よりも妻の言葉に、慰められることだった。
買い物に行ったり、娘と遊んだり。
明日は地鎮祭を予定しているから、のんびりすごすことにした。
いつもの土曜日だ。
雨。上空には速い風があり、黒い雲がどんどん流されていた。通る雲が時折、激しい雨を落としていく。


最近、強烈な事件が続いておる。玄関を出たらいきなり刺されるなど、気軽に来客にも応対できんわい。
ラテンアメリカの国では、電話や来客に応じるのは必ず頑健な男の家族で、決して女や子供はださないとか、昔聞いたことがある。治安に不安があるためであるが、日本もその状況に近づきつつあるのだろうか。
我が家でも、来客には注意せねばならんと思った。
今日は今日で、ショッピングモールで幼児が母親の目の前で刺されたという。これまたショッキングであった。
現行犯逮捕された女は統合失調症の病歴があるとかで、またこれを機に精神病歴者の処遇について騒がれることだろう。
危ないキチガイは閉じ込めておいた方がよい、のが世間の本音か。
俺も・・・「そんな人が野放しで隣にいるとは!」と薄気味悪く思った。だから、人権派を気取ってモノを言えるわけではない。
ただ、堂々と適切な治療のできる「環境」であってほしいと願うばかりだ。


夕方勉強会があった。
みな忙しい中、英語の勉強をしてきていた。俺もやってきてよかったわい。これでやってないことがばれた日には、みなの白い目が突き刺さるというもの。
指名されて意見を求められることはなかったが、元本を読んでいるゆえ、議論を聞いていても飽きることはなかった。
うん、やはりちゃんと勉強はしなくてはならん。日ごろの怠惰な態度を思い起こし、反省した次第。

BOOKOFFで手に入れた「クォ・ヴァディス 上」は、読了。つらりと読んだが、重すぎた。
小説は真剣勝負で文章と格闘して初めて、身の中に入る部分が大きい。だから、いくら面白い小説でも、俺の今の状態では読んだあと、いくばくかの疲労感が残るのだった。
しかし、しばらくのうちに身についた、活字への欲求が止み難く。軽く読み流せるものがほしい。
よって、夜な夜なAMAZONをうろつくこととなる。
夕方の反省は何処へ(Quo Vadis?)、と自嘲する。
雲ひとつない。晴天。
やる気に満ち溢れておる。体調万全。こんなに快調でいいのかしら?と思う。

今日は現場だ。そう思ったところで、去年のことを思い出してちょっとブルーが差した。
オッカサンが逝ったあの日は火曜日で、俺は今日と同じく現場に立っていたのだった・・・。
しかしブルーな気分をも振りやることができる今の俺である。
俺はやるぜ。
現場は長時間に亘った。持てる技術を存分に生かしきれた、爽快な仕事上がりであった。


月の美しい夜であった。空気が乾燥しているのか、輪郭のくっきりした半月が夜空に架かっている。
妻は「あれ~、あばたもくっきり見えるわ~」とのんびりした様子の感想を述べた。
あばたって・・・確かにあばたみたいだが。
もう少し情緒のある表現はできんのか、と俺が笑ったら、長く一緒にいるから俺に似てきたのだとか、答えた。
妻の認識では、俺は依然として無粋な部類らしい。あえて否定はしないけど。

俺の「あばた」はまだ「えくぼ」に見えているか?
いやいや、「あばた」は「あばた」のままで愛しんでもらえたら、最上だと思う。
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